2013年から「ミューズ・リンクス主催」として、定義付けてきたインド・ライフスタイルセミナー。頻繁に実施できるわけではないから、多くの人に伝えるのは難しいと思ってきたが、気がつけば43回目。これは自宅で開催するものだけを数えているので、一時帰国時の勉強会や講演会、クライアント向けや外部主催のセミナーは含まれない。また「ミューズ・リンクス以前」にも、別のテーマでのセミナーを実施していたから、かなり多くの人たちに、伝えてきたことになる。
拙宅でのセミナーは、「一期一会」が基本。当初は複数回の受講を想定して、内容を分割していたが、一部、ご縁がある人を除いては、大半が、その日限りである。故に昨今は詰め込めるだけ詰め込むことに決めた。尤も、一度聞くだけでは当然、覚えられないし、忘れられてしまう。だから後々、紐解いてもらえるようにと、読みやすく編集したカラー印刷の分厚い資料を配布している。
受講した直後は、なにがなんだかわからなくても、資料を紐解けば、「そうだった、そうだった」と思い出せるし、自分の関心があるテーマについては、後々調査することもできる。インドに来たばかりで受講するのと、時を経て受講するのとでは、理解の度合いや印象が異なる。また1度目と、2度目とでは、感じ方も吸収度も大いに異なる。インドを深く知ろうと思う人には、何度か受けて欲しいと切に願う。
さて。一昨日、拙宅で実施したセミナーは、先月末、バンガロール日本人会主催で、約30名を対象に3時間半に亘り行ったセミナーと、基本的には同じ内容だ。しかしながら、時間枠は広い。懇親会を含めたら倍以上。すなわち、より深く伝えることができる。
参加者を12名以下としているのは、参加者それぞれのあるテーマを深く話すのに、ほどよい人数だからだ。定員数を増やせば、一度に大勢に伝えられるし、受講費も増える。しかし、一人一人の質疑応答や興味に対応しながら話を進めることは困難になる。昨日は11名の参加。参加者同士が交流を図るにも、いい人数だった。
セミナーで最も力を入れているのは、「文字にするには膨大になりすぎる」インドの多様性の実態や具体例、歴史、政治、日印関係などの情報だ。この「本題」は中盤以降にまわし、冒頭は、インドで生活するにあたっての実践的な情報、バンガロールの概要、インドでの食生活と健康管理の情報などをざっと説明する。これらは、資料を自分自身で熟読すれば応用できるものだ。
さて、セミナー当日に手間がかかるのは、おやつの時間と懇親会の準備だ。いつも「主体はセミナーなんだから、料理は軽めにすませよう」と思う。しかし直前になると「若者が多いし、普段、健康的なものを食べてない人も多いはずだ……」と、「寮母さん気分」が沸き上がる。ほぼ衝動的かつ自動操縦的に、食材を注文し、メニューを考えてしまう。
そんなわけで、朝はキッチンに籠って料理を仕込み、午後1時半に開場。途中休憩を挟んで7時まで。7時に一旦、ビールやジュースで乾杯しつつ、しかし語りきれていないテーマを「ビールを飲みつつ」語る。8時にはセミナーを終了し、料理を広げ、懇親会という名の宴会に突入だ。
いつもの丸鶏グリルに加え、豚バラ肉やら白菜、豆腐などを煮込んだ韓国料理風がメイン。韓国料理店で仕入れた大豆モヤシでナムル風も作った。朝のうちにパンを焼いておいたが、これは日本米が食べたくなるメニューだ。若者が多いだけあり、大量に用意していた食事も、あっという間に平らげられる。
若者向けセミナーでは、必ず語るところの「自炊せよ!」だが、海外生活に際し、自分で料理ができることがどれほどの強みになるかということを、肌身に感じて欲しいとも思う。口に合わないインド料理やインスタント食品ばかり食べていたのでは、腹の底から力が出ない。吹けば飛ぶよなメンタルになる。
腹が減っては戦はできぬ。
朝の調理時からセミナー終了の夜8時まで立ちっぱなし。都合10時間近く(!)も、ぶっ通しで語り、語り合えるのは、普段の健康的な食生活のお陰でもあると自負している。
一昨日のセミナーの受講者はまた、とても幸運であった。実は「年に一度、一晩だけ」咲いていたはずの月下美人が、ここ数年は「年に2、3回、一晩だけ」咲くようになっており、土曜の夜は、なんと20輪以上も開花したのだ。
セミナーのあと、ひとしきり飲んで食べて、庭に出て月下美人を愛で、さらに部屋に戻ってさらに飲み語り合い、日付が変わるころまで。お土産に月下美人の花を託して、皆を見送った。高原の風が心地よい夜。長距離を走り抜けたような達成感だ。
夫が出張中ということもあり、日曜日は転じて静寂。片付けをしたり、おやつの残りを食べたり、猫らと遊んだり、セミナーのフォローアップのメールを送ったりして、のんびりと過ごした。いい週末だった。
坂田、高校時代の世界史の教科書。表紙を開いたら見開きにある大航海時代の地図。欧州を中心にした地図を見ると、日本の極東っぷりが明らかになる。いかに特殊な歴史を育めた、育まざるを得なかった国であるかが、この地図を見るだけでも想像できる。