豪雨で水が溢れかえっているムンバイのニュースが届くかたわら、チェンナイのかつてなく深刻な水不足が案じられる。そして過去何度も記したが、このバンガロールもまた、水資源が枯渇するのは時間の問題。そもそも、山あり川ありモンスーンあり。灌漑インフラストラクチャーが正しく整備されれば、不可避ではない社会問題。しかし、そのインフラが不全すぎるからこその、諸問題。
バンガロールに関して言えば、急速な都市化に伴い、過去20年で人口は倍以上に増えた。市街の樹木は悉く伐採され、大地はアスファルトやコンクリートに覆われて、水を得られない。深く掘れども井戸水は枯渇し、カヴェリ川の水(水道局/ BWSSB: The Bangalore Water Supply and Sewerage Boardが供給する水)は限られた世帯に、限られた時間帯のみ供給される。多くの住宅コンプレックスは、備え付けられたタンクに貯水された水を使っているのが現状。
我が家のアパートメントコンプレックスも、ここに暮らし始めて12年目にして、先日ついに井戸水が枯渇した。カヴェリ川の水では足りず、他の住宅地同様、毎日、どこぞの井戸水から日々運ばれてくるタンクの水が、暮らしを支えている。やがて、その水も枯渇するだろう。
昨今、行政は市内の住宅建築に関する条例を強化したようであるが、今となっては焼け石に水かもしれない。ともあれ、水に対する市民の意識を変えねばならない。うっかりすると、ザバザバと景気よく水を使うメイドにも、何度となく、水の大切さを説明している。しわ寄せは、彼女たちのような、低所得層の人たちに、一番にやってくるのだから。
ゴミ問題にしても然り。我が家では、ゴミを増やさぬために久しくコンポストを使い、プラスチック製品は極力使用を控え、出たゴミはリサイクル店に持って行く生活を続けている。ささやかだけれど、大切なことだ。
わたしは中学のころ、「福岡大渇水」を経験していることもあってか、水問題にも敏感でもある。中学1年の夏、プールは閉鎖され、自宅には蛇口に「節水ゴマ」が取り付けられ、福岡市民はひたすら節水に励んだ。
給水制限が始まる前日、バスケット部の先輩が「今日のうちに、水ばたくさん飲んどかな! 明日から、いつでも飲めんくなるけんね!」と笑いながら、蛇口から水をゴクゴク飲んでいたことを思い出す。Wikipediaの記事を読み返してみるに、287日間にもに亘って、時間指定断水による給水制限が行われていたようだ。ずいぶん、深刻だったのだ。
我が家の蛇口には、amazon.inで購入した節水ゴマならぬ「Water Saving Aerator」を取り付けている。これがかなり節水に貢献する。少ない水量でも、食器洗いや手を洗うときなど、水がまんべんなく注がれてくる。アパートメントコミュニティの人達にも情報をシェアしている。小さなところからコツコツと。
今年のモンスーンは雨量も少ないことが予測され、だから今日は昼間、わずかに降った雨さえもありがたく感じた。今の時期の雨が、この街を潤す。
夕暮れどき。すでに乾いた庭の緑の上に寝転べば、高原の風に椰子の葉が揺れ、なんともいえず、心地いい。今では「ガベージシティ(ゴミの街)」の汚名を着せられているこの街。昔日のように「ガーデンシティ」と呼ばれる日が来ることを、切に願う。