今月は自宅開催でのセミナーが3本。小規模ながらも、いずれも濃いものになるだろう。
以前は「若者向けグローバル・キャリア勉強会」としていたものを、今回からは「異文化コミュニケーション勉強会」と表現することにした。すでにキャリアのある人にとっても、あるいはこれから先、子どもを育てる人にとっても、参考になるであろう話が、盛りだくさんだからだ。
とはいえ、自分の経験、及び自分が取材したり、あるいは周囲を見たり、他者の話を聞いて学んできたことだけを語るのは弱い。ゆえに、折に触れて、関係書籍を入手して目を通す。しかし「これだ」と共感できるものには、なかなか巡り合えない。日本に住んでいれば、書店でパラパラと立ち読みをして内容を判断できるが、インドに暮している限りはそうもいかず。日本のアマゾンのサイトで、書評などを読みながら選び、送料の高さにたじろぎながらも、買う。 「紙の本」をやめられないがゆえ、仕方がない。
このところ「海外で働く」をテーマにした何冊かの書籍を購入した。海外で働くことを説いている書籍が「英語力よりも大切なもの」を強調するのはなぜか。英語力は手段である。観光旅行ならまだしも、海外でビジネスをする際に、英語力がなくて、どうして実力を発揮できるだろう。英語力が不全なわたしだからこそ、切実にそう思う。
そんな中、勉強になっている書籍の一冊がエリン・メイヤー著の『異文化理解力』。これは主観的な経験に偏らない、ビジネスにおける異文化理解を解説し、ケーススタディも多い。採用されているシンプルな図表も理解を促進させ、参考書のような塩梅。お勧めの一冊だ。
さて、数日前にデリーの繁田女史のFacebook投稿で紹介されていた一冊、大谷真樹著『世界で学べ』にピンときて、直後に注文。本日午後、受け取った。日本から届きたてのほやほや。まだ全部を隅々まで読んだわけではないが、すでに強く共感を覚える点が多い一冊である。
米国に10年、インドに14年暮らし働き、多くの「異国人」と関わってきた中で経験したことを、わたしは自分なりの言葉で紡ぎ、学生や若い世代の人たちに伝えてきた。この本にある記述、あるいは図表などの多くが、それらを裏付けてくれ、膝を打つ思いである。今週土曜のセミナーでも、早速、参考にしたい記述が見つかった。
著者の大谷氏は、同著で綴られた課題を反映した理想的な教育を実現すべく、ご自身で高校(インフィニティ国際学院)を創設されたとのこと。どんな学校なのだろう。授業を受けてみたい。
🇯🇵日本人としての矜持をしっかりと持ちつつ、世界へ。
このごろは、明治維新の年(1867年)に生まれた夏目漱石と、その2年後の1869年に生まれたマハトマ・ガンディとの共通項にもまた、強く心を惹きつけられており、伝えたいことは尽きぬ。
【囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって、贔屓の引倒しになるばかりだ】
夏目漱石が『三四郎』を発表したのは1908年。日露戦争に勝利した日本が、ポーツマス条約で朝鮮半島における権益を承認されて、3年後のことだ。
明治維新後、西欧化が進み、軍事国として突き進む日本を憂う漱石の心情は、数々の作品や書簡に散見される。
わたしが大学時代から座右の銘としている言葉。「囚われちゃ駄目だ」を、このごろは若い人々に向けて、しつこくしつこく伝えているのだが、この深みを100年の歳月を経て、しみじみと実感する。
以下、セミナーの資料から。『三四郎』の一部を抜粋。
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「どうも西洋人は美しいですね」と云った。
三四郎は別段の答えも出ないので只はあと受けて笑っていた。すると髭の男は、「御互は憐れだなあ」と云い出した。「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応の所だが……
あなたは東京が初めてなら、まだ富士山を見た事がないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだから仕方がない。我々が拵えたものじゃない」と云って又にやにや笑っている。
三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢うとは思いも寄らなかった。どうも日本人じゃない様な気がする。
「然しこれから日本は段々発展するでしょう」と弁護した。
すると、かの男は、すましたもので、
「亡びるね」と云った。
熊本でこんなことを口に出せばすぐなぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中のどこの隅にもこう云う思想を入れる余裕はない様な空気の裡(うち)で成長した。だからことによると、自分の年齢の若いのに乗じて、他(ひと)を愚弄するのではなかろうかとも考えた。男は例の如くにやにや笑っている。その癖言葉つきはどこまでも落付いている。どうも見当が付かないから、相手になるのをやめて黙ってしまった。すると男が、こう云った。
「熊本より、東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切ったが、三四郎の顔を見ると、耳を傾けている。
「日本より頭の中の方が広いでしょう」と云った。
「囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって、贔屓(ひいき)の引倒しになるばかりだ」
この言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持がした。
* * *
●この同盟(日英)事件の後、本国にては、非常に騒ぎおり候よし、かくの如き事に騒ぎ候は、あたかも貧人が富豪と縁組を取結びたる嬉しさの余り、鐘太鼓を叩き続けて村中をかけ廻るようなものに候わん。(ロンドン留学時代、義父への書簡 1902年)
●明治の思想は西洋の歴史にあわられた三百年の活動を四十年で繰返している。(『三四郎』1908年)
●西洋の理想に圧倒せられて眼がくらむ日本人はある程度に於て皆奴隷である(『野分』1907年)
●日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。それでいて、一等国を以て任じている。……あらゆる方向に向かって、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。……目の廻るほどこき使われるから、揃って神経衰弱になっちまう。……日本国中どこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。(『それから』1909年)