瞬く間に日本旅も中盤に差し掛かろうとしている。昨日は無事、下関にある母校での講演を終え、夜、福岡市内に戻って来た。2時間程度の距離なのに、関門海峡の向こうの本州にあるというだけで、なぜか精神的に遠い山口県下関市。門司や門司港に差し掛かるころには、昔から、なにかしら、一抹の不安げな郷愁に誘われて、心が揺れる。
関門トンネルの中で、電車の電気が、突然、切れる。架線に流れている電気が、九州側は「交流」、本州側は「直流」と異なるため、切替点を通過するとき、電車の構造上の理由から、車内の照明が消えるのだ。キキーッと車輪が軋む音と、刹那の暗闇が、あたかも時空を超えるような心持ちにさせる。
母校は、創設50周年を記念して、この4月に新校舎が誕生していた。若き建築家、小堀哲夫氏によるその建築物は、「大学の校舎」という概念を軽く覆す、斬新ながらも綿密に実用性と機能性を重視したことが伺える、「ここに毎日通って勉強したい!」と思わせられる場所だった。オープンスペースが入り組んだ、明るく、開放感のある館内。日本で、いや世界でも、こんなキャンパスを備えた大学はほとんどないのではないか。
館内探検を、ワクワクしながら楽しんだ。椅子や机なども個性的で、とにかく楽しい。一昨日の夜、イタリアンレストランで、樋口学長から新校舎建設にまつわるエピソードをお聴きしていただけに、尚更、関心は深まる。
昨日は、午前中に大学を訪れ、午後の講演の前に、樋口学長から梅光学院のバックグラウンドから現在に至るまでのプレゼンテーションをしていただいた。そのお陰で、母校の背景を具体的に知ることができた。また、現在の日本の少子化に伴う私学の問題、定員割れが続いていた時代の長さとその実態、樋口学長が就任して数年間の変革と実績などが具体的なデータとともに提示された。
詳細を綴れば尽きぬが、現在の梅光学院大学の在り方を、極めて興味深く思うと同時に、わたし自身も微力ながら、何らかの形で貢献して行きたいと思わされた。
カフェテリアでランチをいただいたあと、国際ビジネスの講師である高橋氏や、観光ビジネスの講師である井野氏としばらくミーティング。わたしが講演をするのは、お二人の授業の枠の学生たちで、いずれにしても、みな海外留学をする予定のある、あるいはしたことのある学生たちばかりである。昨年も記したが、梅光学院大学は、海外留学プログラムに力を入れており、大半の生徒が世界各地に飛び立っているのだ。
そんな母校の後輩たちに語るべく、与えられた90分間。いつものように情熱的に(と、自分で言う)、しかしいつもに増してフレンドリーかつ、やや厳しめに、話しをする。
彼らだけに言えることではないが、日本の学生は、表情に変化に乏しい。話しを聴いているのか、眠たいのか、興味がないのか、わからない学生が少なくない。100名以上はいるはずなのに、気配が弱い。人の気配が強すぎるインドから来ているせいか、尚更それを感じる。
こちらは、温度差を感じるものの、しかし、かような状況には慣れている。こちらを見て、熱心に聞いている人たちに向けて、とにかく、なにか一つでも伝わって欲しいと、願うような気持ちで語る。
今年は1年生が多かったからだろうか、去年よりもピンと来ている人が少ないとの印象を受けた。わたしは、自分が大学時代の気持ちに立ち返って、極力わかりやすく語っているつもりだが、それでも伝わらないのだろうか……と少し残念にも思った。ともあれやるだけのことはやったとの思いで帰路に就く。
そして今朝、高橋氏より、20数名からの感想を、送ってもらった。そこには、去年に勝るとも劣らない、しっかりと話しを聞いて受け止め、自分たちなりの考えが綴られていた。安心したし、行った甲斐があったと思った。それと同時に、彼らが「スマホ」の存在にいかに頼り切っているか、についても、多面的に思うところがあった。
わたしはライターだが、もう、文章を綴るだけでは、伝えたい人に伝えきれないように思う。前々からずっと思っていたが、いよいよ「動画」で発信すべきだろうかとの思いを新たにする。やるべきテーマが増え続けて、手に負えないが、YouTuberの線は、「前向きに検討」してみたい。