拙宅に勤続8年のドライヴァー、アンソニー。彼と彼の次男は今、長男の死を弔うべく、タミルナドゥ州のベランカニに滞在している。明日からの仕事に間に合うよう、深夜の列車に乗り、明朝にはバンガロールへ戻ってくるという。
2年前の今日の出来事を思い返せば辛く、しかし「インドの宗教」を思うとき、回想せずにはいられない。
2年前の今日の言葉を転載すると同時に、その後、日本在外企業協会刊『月刊グローバル経営』に寄稿した記事の写真を掲載しておく。
◎2017年11月10日朝の記録
ドライヴァーのアンソニーは休暇を取り、一昨日から家族5人で故郷のタミル・ナドゥへ赴いていた。昨日、海辺で長男が行方不明になったとの知らせを受けた。そして今朝、遺体が見つかったとの電話。アンソニーが、電話の向こうで泣き崩れている。大声で泣いていて、もう何を言っているのかもわからない。
17歳。来年は大学進学か、就職か、考えていた矢先。
奥さんは、大丈夫だろうか。長女は、次男は……。
アンソニーは、家族思いで、心配性で、ときどき感情が乱れるけれど、妻は、いつも安定のやさしさで夫と子供らを見守っている、そんな家族だ。猫嫌いだったアンソニーが、慈愛深くなり、2匹の子猫を引き受けた。今回の旅も、不在時の猫を人に任せるのは心配だからと、ペットホテルに預けに行っていた。
信心深く、「善良」を絵に描いたような、いい家族なのだ。もちろん、ちょっとしたあれこれはあったけれど、そういうことを補ってあまりある、本当に善き人たち、なのだ。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。今はちょっともう、言葉がない。どうしていいのかもわからない。どうして彼らに、こんなにも地獄みたいな試練が与えられなければならないのだろう。
◎2017年11月10日夜の記録
メメント・モリ。死を思え。
ポルトガルのエヴォラの、サン・フランシスコ教会の納骨堂は、壁面が人骨で覆われていた。あの教会を訪れたのは、まだ30歳を過ぎたばかりのころだった。
死を思えども、死はまだ、遠いところにあった。不意に訪れる若き死が、至るところに在ることを、知っていてなお、「肌身には」感じられなかった。
しかし、生きていくにつれ、身近での火災、大小のテロ、身内の病死、友人の事故死、抗いようのない天災……。歳月を重ねるごとに、生き死にの関わりも増えていった。
そして思う。
生きている人は「紙一重」の違いで生きている。死んだ人は「紙一重」の違いで、死んでいる。
思慮浅く、冒険心が勝る若いころには、危険を危険とも思わずに、無謀なこともしてきたものだ。だから、若い人たちに、無茶をするなとは言いたくない。けれど、こうして若い死を目の当たりにすると、浅はかな好奇心が、一瞬の揺らぎが、致命的になることを、案ぜずにはいられない。
人の命の、強さ儚さ。激戦地で生き延びる命。難病を克服する命。漂流から生還する命。無数の強い命がある一方で、突然、ストンと暗幕が落ちるみたいに、消える命。
★ ★ ★
死を詳らかに人に示す国は、多分、インド以外にもあるだろう。しかし、その露骨さという意味で、この国は極めて特異かもしれない。新聞に遺体の写真が掲載されることも、珍しくない。最近は少し減った気がするが……。無論、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、スィク教と数多くの宗教が混在するこの国では、多数派や平均値を語りにくい。一概にはいえない。
それでも、たとえばまるで祝祭のように、派手に太鼓をかき鳴らし、遺体を神輿に乗せて練り歩くヒンドゥー教徒の葬儀の様子を初めて見たときには、呆然と言葉を失した。
そんな精神世界が根付いているせいなのか。
今朝、アンソニーから「遺体が見つかった」との連絡があったあと、WhatsAppで、長男の写真が、届いた。遺体が翌朝に見つかることは、かなり稀なことだと聞く。遺体がすぐに戻ってきたのは、せめてもの、救いだったか。
彼はただ、泳ぎ疲れて眠っているようかのように、静かに、海辺に横たわっていた。
今日は週に一度の、ミューズ・クリエイションの集いの日だった。お茶の時間に、メンバーにこのことを話しつつ、みなで、生死の狭間の出来事などを語りつつ、申し訳なくも、少し重い午後。なにしろアンソニーは、ミューズ・クリエイションのあれこれを、サポートしてくれている大切な助っ人でもあり。
夕刻、アンソニーから電話があった。これから列車で、遺体をバンガロールまで運ぶという。そして明日の午後、教会で葬礼を営む。
心の底から気泡のように、いろいろな言葉が浮かんで、漂っては、消え、漂っては、消え、を繰り返している。