ダラムサラからアムリトサルまで車で約5時間、アムリトサルからバンガロールまで約3時間の旅を経て、今、ようやく自宅へたどりついた。猫たちにただいまを言い、お茶を飲み、一息ついているところだ。
昨年、ナーグプルを訪れ、佐々井秀嶺上人にお会いした後のように、いつもに増して、書きたいことが募る今回の旅。そもそもは、YPOフォーラムのメンバー8名でのダラムサラ旅3泊がメインで、うち3名はアムリトサルを加えての4泊となっていた。
そこに我が夫を含むメンバーの伴侶ほか、数名の親しいYPOメンバーが、アムリトサルとダラムサラ、それぞれわずか1泊ずつの滞在のために訪れたのは、ほかでもない、デッキーの計らいで、ダライ・ラマ法王14世にお目にかかれることになったからだった。
ダライ・ラマ14世は、ここカルナータカ州、バンガロールから車で数時間のバイラクッペと呼ばれるチベット人居住区を毎年訪問されており、その際、バンガロールにも滞在される。
講演会なども実施されており、アルヴィンドは昨年も会場でお会いしていた。しかし今回は、ダライ・ラマ法主公邸、すなわちチベット亡命政府の拠点において、直接、お会いできることになったことから、急遽、限られた周囲の人々も誘われた次第である。
ただお会いした、ということだけではない。諸々の背景を学び、自分なりに思い巡らせ、このような機会を得られたことの意味を、きちんと考えたいと思っている。
4歳のときにダライ・ラマ法王14世と認定され、1959年に、チベットという母国を奪われインドのダラムサラへ亡命して政治難民となられてからの足跡の、ごくごく断片を見知るだけで、途轍もない重みを感じる。
今は、気軽に今日の出来事を綴れる状況ではないので、一晩眠り、明日、写真などとともに改めて、チベットの歴史を含め、きちんと書き残そうと思う。
今日のところは、昨日の朝の動画や写真などをアップロードしておきたい。
チベット伝統的な弦楽器にて、伝統的な歌、新しい歌、自由を叫ぶ歌を歌う活動家、ロテン・ナムリン氏。
「ぼくは、普段はこんなことをしないんだけどね。君たちがあまりにも、すばらしい女性たちだから」
と言いながら、何曲も披露してくれた。
「ミホも歌って!」と友らに催促され、昨今では人前で歌うことに慣れた我、ティーストレーナー(茶漉し)をマイク代わりに、ミュージシャンの前で歌を披露する大胆さ。
「ふるさと」を即時に英訳して、そのまま歌いたかった。
山は青き、ふるさと。水は清き、ふるさと……。
先日、チベットの地図を見て驚いたことがある。黄河、長江、メコン川、インダス川……。数多くの川の水源が、チベットにあるのだ。中国がチベットを支配下におきたい理由は、ここにもあるに違いないと思い、ロテンに尋ねたら、その通りだった。
昨日の朝、散歩をしていたら、偶然、ロテンと会い、待ち合わせのカフェにて早めに到着したので、そのあいだ、彼にいろいろな話を聞いたのだ。
……ということを今書き始めたら尽きない。おやすみなさい。