ロメイシュ・パパの「お見舞い」に来るつもりで予約していたフライトのチケット。月曜から日曜までの一週間。その間に、すべてがきちんと収まるように、事が運んでいる。小さなことさえも、パパの計らいだったような気がする。
パパの死から3度目の夜は、二人とも、少し落ち着いて寝ることができた。「順番通りの死」は、悲しみすぎてはいけない。自然の流れなのだから。
今日の午後、3時から4時までの1時間は、葬送の式典を行った。といっても、極めてシンプルな「お別れの会」だ。僧侶を呼ぶことなく、Bhajanという音楽を流すことにしていた。神に捧げる祈りの歌だ。
「会場担当」のわたしは、数時間前に現地入りし、花屋がアレンジメントするのを見守ったり、夫の友人が貸し出してくれたプロジェクタのセッティングを手伝ったりの準備をした。わたしは、インドでのイヴェントには慣れているので、作業はつつがなく進む。楽団の準備も速やかに、会場の30分前にはすべてが整った。
よく言えば極めてシンプル、悪く言えば殺風景な会場だったので、花をふんだんに使いたかった。
花屋のお兄さんたちには、昨日、イメージを伝え、見積もりを出してもらっていた。サンプル写真がなかったので、仕上がりの細かいところを詰めることはできなかったが、思い描いていた通りに華やかな雰囲気にしてもらえた。
パパの写真もほどよい大きさだ。11月下旬、我が家に来たときに、アルヴィンドと一緒に写った写真。自然な笑顔がとてもパパらしい。
準備をしている間、大雨が降り始めた。デリーの埃っぽい空気を洗い流すような、激しい雨だ。しかし、開場の少し前に雨は止み、晴れ間が見え始めた。「葬送日和だな」と、思う。
3時ちょうどに楽団が音楽を奏で始め、歌が始まった。その間、パパの人生を映し出すスライドショーが繰り返される。来訪者が次々に訪れ、気がつけば会場が満たされている。わたしたちは最前列の椅子に座り、1時間、写真を見ながら、音楽を聴きながら、静かに、パパを偲んだ。
特に挨拶をするわけではない。ミュージシャンが最後に、パパとわたしたち家族の名前を読み上げ、弔意を表してくれて、式典は終了。
そのあと、チャイを飲んだり、スナックを食べたりしながら、参列者と挨拶をする。
みな、写真がとてもよかった、花が美しかった、いい時間だったと異口同音に伝えてくれた。
花の一部を自宅に持ち帰り、ダイニングルームの一隅にデコレーションした。食卓の向こうに、まだパパがいるような気がする。
明日は、パパの遺灰を流すべく、ヤムナナガールというところへ行く。アルヴィンドの実母の遺灰が流された場所だ。車で片道5時間余り。日帰りするには辛いが、1泊する気分でもないので、明日は早朝、出発する。
本当は「近場の川じゃ、だめなの?」という気持ちもないでもなかったが、こればかりは夫のやりたいように、やってもらおうと思った。
というわけで、10時までには就寝予定につき。おやすみなさい。