バンガロールの陽光まばゆく、木曜日は青空が似合う社交スポーツクラブ、バンガロールクラブへ赴いた。ミューズ・クリエイションのメンバーと、お別れランチだ。
「スポーツクラブ」というと、エクササイズのためのスポーツジムのような場所を想像する人もいるので、概略を記しておきたい。
インドの都市部には、英国統治時代に創設された由緒ある会員制スポーツクラブが点在する。たとえばムンバイには、ジムカーナクラブ、ウィリンドンクラブ、クリケットクラブ、ヨットクラブなどがあり、ゴルフやテニス、クリケットや乗馬などのスポーツを楽しめる。
バンガロールクラブのメンバーであれば、インド国内だけでなく、英米ほか、オーストラリアやニュージーランド、シンガポール、スリランカなど、英国統治下にあった国にある提携クラブにも、自由に出入りすることができる。
バンガロールの中心地にあるバンガロールクラブは、1868年に誕生した。プールやテニスコート、スカッシュコート、バスケットボールコートなどのスポーツ施設をはじめ、時間が止まっているかのようなライブラリー、ダイニングルーム、バーラウンジ、カフェテラス、スーパーマーケットなどのショッピングエリア、そして宿泊施設などが併設されている。
1896年には、ウィンストン・チャーチルもバンガロールに「赴任」、同クラブのメンバーであった。昔日の面影そのままに、昼間は高齢メンバーの姿が目立ち、「ここは老人ホームか?」と思わせられることもある。また、ドレスコードで男性のインド服(クルタ・パジャマなど)着用を禁止していた時期もあるなど、英国統治時代の歪んだルールがそのままに残っていたこともあり、折に触れて、物議を醸す存在でもあった。
メンバーになるための条件は少なくなく、資産家だから会員になれるというわけではない。入会を申請した後、20年待ち、30年待ちというのが実情だ。にもかかわらず、我々夫婦がバンガロール移住当初からすぐに「家族会員」となり、10年も経たぬうちに「正会員」になれたのは、ほかでもない、ロメイシュ・パパのおかげである。
パパは1980年代、バンガロールで仕事をしていた時期があり、そのときメンバーになっていた。息子夫婦がバンガロールに住むとわかってすぐ、入会の手続きを始めてくれていたのだ。家族会員になるためは、他の会員5名からの推薦状が必要で、各会員は1年に一人しか推薦できないとのルールがある。5人分を集めるのは決して簡単ではない。
インド在住の友人だけでは足らず、フランスやスイスに暮らす会員たちにも声をかけ、パパは推薦状を集めてくれていたのだった。そんな次第で、わたしたちは移住直後からクラブに入ることができた。友人を6名まで、招くこともできる。ゆえに、折に触れて、関心のある友人や知人をご案内している次第だ。
なお、日本人駐在員家族でも、たとえば勤務先企業の提携先がコーポレート会員であれば、メンバーとして利用することができる。
前述の通り、「昔日の面影そのまま」に、決して豪奢でも華やかでもないが、歴史を刻む独特の重厚感が漂う。わたしは特に「ミックス・バー」が好きで、濃緑の革のソファーが気に入っている。
ちなみに、初めてロメイシュ・パパに案内してもらったとき、パパが「メンズ・バー」に連れて行ってくれた。入り口まで来た時、「ミホ、ここはね、男性しか入れないんだ。だからミホは入れないんだよ!」と、さも嬉しそうにいたずらっぽく笑ったことを思い出す。
そんなメンズバーも、「男女差別だ」との声があがり、今では単なる「バー」に名前を変えて、女性も入れるようになった。別に、殿方だけがくつろげる場所を残しておいてやってもいいんじゃないか……と、あの日のパパを思い出すにつけ、そう思ってきた。
ちなみに「ミックス・バー」とは、「メンズ・バー」の存在に対しての、男女両方ミックスで利用できるという意味での「ミックス・バー」である。
以前は館内撮影禁止であったが、最近は緩そうな気配なので、ちらっと撮影。英国統治時代のインドはまた、ハンティング・ワールドでもあったのだ。ランチを終えた後、クラブ内のナーサリーに立ち寄る。夏が迫りて、花々も彩り豊かに鮮やかに。
猫らと暮らすようになり、庭の花々は踏み倒されてばかり。このごろは買い求める機会が激減していたが、久しぶりに花の鉢植えを買う。
マリーゴールドやゼラニウム、キンギョソウなど。ROCKYは、甘い香りの花が「好物」で、ハイビスカスの蕾をモグモグと食べてしまう。花によっては有毒なものもあるので、迂闊には植えられないのだが、ここ数日、食べた形跡はないので、一安心だ。
ところで昨夜は、在ベンガルール日本国総領事館からのお招きで、令和天皇の誕生日を祝すべくバンケットへ。久しぶりにお気に入りのサリーを着用。これを買ったのは、前回の子年だ。
11年前、母校の香椎高校で講演をしたときのこと、親戚の結婚式に参席したときのこと、ロイヤルエコー15周年コンサートの司会を依頼されたときのこと……。サリーの向こうに、さまざまな思い出が蘇ってくる。インド生活が、加速度をつけて、長くなってゆくようだ。