ロックダウン5日目。軟禁生活9日目。もしもわたしがインド人だったら。この軟禁生活における精神状態は、今とは異なり、もっと心穏やかにいられただろう。
外に出られないのは不自由だが、食料は手に入り、電気や水道などの生活インフラも今のところは問題ない。公害が激減し、自然が輝いている。
朝は軽いエクササイズと掃除で始まる。普段、メイドは箒で掃いてモップがけをするが、わたしは掃除機を使う。そして数日おきにモップをかける。洗濯は1日おき。メイドのいない暮らしにも慣れた。
当初は夫との幽閉生活が不安だったが、ほとんど問題ない。「猫の餌やり」「庭の水撒き」「洗濯物を洗濯機まで運ぶ」「ベッドメーキング」というミッションを、不完全ながらも果たしてくれている。
わたしは、いつもより丁寧に料理をする。毎日ぬか漬けを作り、ときどきパンを焼く。昨日は、いつも自家農園からの収穫物をおすそわけしてくれるお隣のムスリム一家に、多めに焼いたショートブレッドを渡した。
時折、庭に出て、4匹の猫らと遊ぶ。ロフトで昼寝をする。次男のJACKが、わたしの傍で眠る。かわいすぎて震える。
昨夜はインドの女子友らと、Housepartyというアプリを使ってのパーティ。実際に会えずとも、違和感なく言葉を交わせて楽しい。彼女たちといっしょのとき、わたしは口を挟む暇がない。そのかしましい空気感も、いつもと変わらない。
音楽を聴く。ピアノを弾く。歌を歌う。絵を描く。本を読む……。家にいても、いくらでも楽しみを見出せる。尤も「塀の外」に目を向けられば、窮地に立たされた貧困層の人々の問題、不透明な未来への懸念はあるが、個人的には、安定した環境だ。そんな日常だけを切り取って、発信することもできないわけではない。
しかし、これを書かねば、先に進めない。
わたしは、日本を離れて24年経つが、当然ながら、日本のことが気になる。こと今回の件に関しては、短期間ながら、日本とその他の国々との、新型コロナウイルスに対する認識の極端な違いに、非常に混乱してきた。日本は異次元に存在する「パラレルワールド」のようだ。
無論わたしとて、1カ月前までは、これほど危機感を持たなかった。しかし、ここ2週間で、世界は大きく変わった。ニュースを見ていればわかる。他人事ではない。医療関係者ですら予測できなかった事態に発展している。
イタリアはじめ欧州で感染者が日増しに増え、続いて米国、ニューヨークも大変な状況に陥っているのに、大人数での花見やら乾杯やらパーティやらライヴやらで盛り上がっている写真が次々に目に飛び込んでくる。言葉を飲み込み、オブラートに包み包んで、もうわたしの周りは、溶けたり破れたりしたオブラートだらけだ。
今朝、フロアをモップで拭きながら、思った。今日こそは、オブラートを取り外して伝えねば。
わが半生、社会情勢の不安に巻き込まれたことは少なくない。しかし今回ほど壮絶なスピードで、地球上に緊張感が蔓延するケースを、わたしは知らない。
たとえばニューヨーク在住時、2001年9月11日の同時多発テロを身近に経験した。絶望感、底なしの不安に苛まれる日々が続いた。2008年11月26日には、当時、バンガロールと二都市生活をしていたムンバイで、同時多発テロが起こった。たまたま我々夫婦は京都を旅していて無事だったが、タージマハル・パレスホテルなど、よく訪れる徒歩圏内の近所で、多くの人が殺された。
自然災害を含め、直接の被害者、当事者以外は、落ち込み過ぎず、普段通りの生活をすることは大切だと、基本的には思っている。
しかし今回のケースは違う。地球に暮らす全員が、当事者になりうる。「経済を回す」の次元を超えて、もう世界は甚大なる損害を被りながら、目に見えない敵と戦っている。第二次世界大戦以来の、地球規模の危機に瀕している。
もしあなたが新型コロナウイルスに感染しても、あなたは軽症ですむかもしれない。でも、あなたが何十人にもばら撒き、次の一人がまた何十人にもばらまき、その中には老人や疾患を抱える人が混じっていて、死に至らせるかもしれない。
極東の島国日本は、歴史を遡って、地球上における特殊に「守られた国土」「遮断された領域」だ。江戸時代に鎖国が実施できたことにしても然り。福島沖から9年以上も放射能汚染水を流し続けていても諸外国からの干渉を受けずにいられることも然り。「コントロールされている」という虚構のもと、オリンピックを開催しようとしていたことにしても然り。
せめてこの地図を見て欲しい。3月初旬から中旬にかけて、爆発的に感染者が増えている。この時期、多くの日本人が、欧米旅もしくは滞在から帰国している。これから感染が拡大する可能性も否めない。政治家に頼れない以上、自分たちで行動規制するしかない。どうかこの先2週間、他者との接触を、可能な限り避けてください。