ロックダウン6日目。軟禁生活10日目。この半月ほど、自分の中に渦巻いていた日本との違和感を、昨日は文字にして表現できたせいか、少し気持ちが落ち着いた。
書き終わって、いかに自分が悶々と考えを募らせていたかがよくわかった。瞑想不足だ。
海外生活者の視点から、日本の問題点などを指摘すると、ほぼ批判されがちだ。ニューヨーク在住時からそうなので、状況を俯瞰して見るよう、常に心がけてはいる。しかし、いつもうまくいくとは限らない。
2007年から5年に亘り、西日本新聞に毎月『激変するインド』というコラムを連載していたときもそうだった。ネットで自分の名前を検索した時、「二度と日本に帰ってくるな」的な罵詈雑言を書かれていた投稿を発見して戦慄した。今でこそ、かような炎上は悲しくも一般的だが、当時のわたしは「会ったこともない他人に、こんな言葉を吐けるのか……」と衝撃を受けた。
2011年3月11日の直後は、外部のポータルに寄稿していたブログが炎上した。わたしが好きな、ルイ・アームストロングの『ワンダフル・ワールド』の曲を、シェアしたのが原因だった。こんなときに、世界はすばらしいなどという曲をシェアするなんてという趣旨の批判コメントが溢れた。
心が沈んでいるときに、さらに叩かれたことがショックで塞いだ。しばらくしたら、だんだん腹立たしくなった。「誰ね、いったい! 歌に罪はなかろうもん!」と思った。ブログ管理ページからIPアドレスを検索、過去のコメント欄の寄稿者と照らし合わせていったところ(執念)……これまで好意的なコメントを残してくれていた数名の読者が、それぞれ1人2〜4役を演じて、ネガティヴなコメントを書いていたのだ!
それはそれは、凍った。最初から、わたしをよく思っていない人が書いているというのなら、納得もいく。しかし、そうではなかった。批判をする人の共通項は、実名を出さないこと。文句があるなら素性をはっきりさせ、直接、メッセージを送ってくれというものだ。
そういう経験を少なからずしてきたうえで、わたしは懲りずに発信を続けている。SNSにおける共感され度が極めて低くても、地道に書き続けている。わずかでも共感してくれる人に向けて。未来の自分に向けて。
現在の環境下、みなそれぞれにストレスはあるだろう。何もかもが気に入らないと思うこともあるだろう。ゆえに、わたしの発信する内容に対して違和感を覚えた時には、どうかそっと閉じ、フォローをやめて欲しい。わたしはこれからも、共感を得られようが得られまいが、発信を続けていくだろう。間違った認識、誤った見解を発することもあるかもしれない。それを自覚した時には、速やかに軌道修正をする。しかし、誰かの負の感情の種にはなりたくない。
2000年に、わたしがホームページを創設して、今年で20年になる。ニューヨークでMuse Publishing, Inc. を起業したのが1998年。会社の営業ツールとしてのホームページだった。時を同じくして、メールマガジン(ニューヨーク通信)の発行をはじめた。当時の記事は、今でもネットの海の奥底に眠っている。今、久しぶりに起こしてみた。
たとえば20年前の今頃の記事。「ひまわり」というエッセイ。拙著『街の灯』(ポプラ社刊)にも記した一編だ。
「夏に生まれたせいか、ひまわりの花が好きだ。太陽に向かってすんなりと伸びる茎、鮮やかな黄色い花びら。元気いっぱいの姿がすがすがしくていい。
その日はわたしの誕生日だった。ボーイフレンドは祖国に帰省していたし、友人に祝福を強要するわけにもいかず、華やかさに欠けていた。子供じゃないんだし、そう大げさに祝うこともないわよね、と思いつつも、せめて花ぐらい買おうではないかと思い立ち、近所にオープンしたばかりの花屋に足を運んだ。
いちばんに目に飛び込んできたのは、ひまわりの花束。すぐにも花瓶に生けられるよう、短めに切りそろえられている。15ドルほどのその花束を抱え、レジに持っていった。店のマネージャーらしき女性が尋ねた。
「これはプレゼント用? それとも自宅用?」
「プレゼントといえば、プレゼントだけど……。今日はわたしの誕生日だから、自分への贈り物なの。だから包装は簡単でいいわよ」
そう言ったあと、なんだかわたしって寂しい女かも、などと思っていると、彼女はその花束に、きれいなリボンをかけてくれた。そしてこう言った。
「はい、お誕生日おめでとう! これはわたしからのプレゼント」
えーっ、そんなつもりで言ったんじゃないのに! いいの? 本当にいただいて? うれしいやらびっくりするやらで、もうたいへん。ありがとうを連発して店を去った。
帰り道、花束を抱えて、わたしはもう、幸せである。ああ、なんてやさしい人なんだろう。わたしはこれから、ずっとあの花屋で花を買おう、などと思いをめぐらせた。
透明の花瓶に生けたひまわりを窓辺に飾った。マンハッタンの澄み渡る青空をバックに、満開のひまわりは微笑んでいるようだった。(M)」
http://www.museny.com/essay%26diary/magcover.htm
記録は、宝だ。