インドに移住して15年目。
こんなにも静かなときを過ごすのは、初めてのことで、夢現(ゆめうつつ)の気分だ。
今日もまた空は青く、遠くに、トンビの鳴き声、かすかに、車が走る音……。昨夜の雨、マンゴーシャワーで洗われた緑は、瑞々しく輝いて眩い。
猫らは陽光を受けながら眠り、夫は瞑想をしている。
なんという平穏だろう。
今日からは当面、緊急時以外、誰も外に出ることはできない。必要不可欠なビジネスを除いては、すべてが閉鎖を命ぜられている。メイドもドライヴァーも庭師も休み。ゆえに妻は、朝から洗濯、掃除を片付ける。家事はまた、いいエクササイズでもある。
急激な都市開発に伴って、かつては「ガーデンシティ」「エアコンシティ」と呼ばれていたこの地が、「ガベージシティ(ゴミの街)」と揶揄されるようになって久しい。
わたしたちが移住した当初は、この家に、赤や黄色、緑の野鳥たちが遊びにきて、さえずりを聞かせてくれたものだ。それが少しずつ、しかし確実に緑は喪われていき、西隣は巨大なテックパークに生まれ変わった。
北隣の小さな森は、樹木がすべて伐採され、今、高層アパートメントのビルディングが建設中だ。
いつもは早朝から轟く工事の槌音に、うるさいと不満を言ってはいるが、いざ、何も聞こえないとなると、心許なくもある。
数日前までは、インドの友人たちからのWhatsAppには、情報のやりとりがせわしなかったが、昨日あたりから、不必要なやりとりが減った。無駄な情報交換も激減した。
本当に大切な情報だけが、送られてくるようになった。
身近な友人たちは、思いがけない家族との時間を、「ギフト」として受け止め、過ごしているように見える。わたしも彼らに倣って、夫とは諍いなく、できる限りにおいて、平穏に過ごそうと肝に銘じる。ゆえに、最低限の片付け要求だけは、ミニ・ホワイトボードに記してアピール。
この事態において、そのライフが窮地に陥っている人たちの存在も理解している。特にこのインドにおいては、その国民の多数を占める貧困層。彼らの住環境、ライフスタイルを鑑みるに、この事態は著しく、厳しい。このバンガロールにおけるスラム居住者は人口の3割以上。ムンバイに至っては約半数。
インフラストラクチャー不全の環境下、普段は街をうろうろと行き交い、路傍でチャイを飲んだり、世間話をしたり、ただ茫漠と時を過ごしたりしている人が、みな、狭い家に押し込められている。その不健康さを思うと、別の不安を覚えるが、今はアンテナの感度を落とすべし。
先週の木曜日、最後の外出時に撮影した道中の光景。普段は交通量の多い道が、先週はすでに閑散としていて、牛らが悠然と歩いていた。今この瞬間、外は牛や野良犬、野鳥、あるいはサルらが、のびのびと、自由の時間を謳歌していることだろう。
今、何ら太刀打ちできず、動物園の檻の中に閉じ込められているかのような、人間。
ライフの優先順位を、深く、見直すべきときなのだと、思わずにはいられない。