ロックダウン21日目。軟禁生活25日目の朝(昨日)、モディ首相から、ロックダウンの延長が発表された。予想していたことなので、驚きはしないが、5月3日までという更なる3週間弱が、果たして長いのか、短いのか、よくわからなくなってくる。
地球全体の状況を鑑みるに、事態がここ数カ月で収束するとは思えない。楽観できない世界の中で、いかに希望を持って生きるかが、試されていると思う。
時間のループに留め置かれたような日々の連なり。映画『Groundhog Day』を思い出す。邦題は、泣けてくるほど野暮ったい『恋はデジャ・ブ』。
このごろは、若いころに見た映画のことを、思い出す。20代の東京在住時代。馬車馬のように働いていたころ。ボーイフレンドに振られ、孤独の絶頂だった20代半ばのころの楽しみは、休みの日にレンタル・ヴィデオ店で借りた映画を見ることだった。
今となっては、ストーリーを思い出せない映画もあるというのに、断片的なシーンが脳裏に深く刻まれている映画がいくつもある。
たとえばイングマール・ベルイマンの『野いちご』の、針のない時計。
アルフレッド・ヒッチコックの『めまい』の、鐘楼から飛び降りるマデリン。
アンドレイ・タルコフスキーの『サクリファイス』の、燃え盛る家、残された1本の木。
ビクトル・エリセの『エル・スール』の、アンダルシアへの憧憬と父の自害。
チャン・イーモウの『紅いコーリャン』の、日本軍によって血の海と化したコーリャン畑。
フィリップ・カウフマン(原作ミラン・クンデラ)の『存在の耐えられない軽さ』の、事故死直前の、ジュリエット・ビノシュの笑顔。
ジム・ジャームッシュの『ダウン・バイ・ロー』の、ラストシーンの分岐点。手を振り別れる二人の男。
やはりジム・ジャームッシュの『ナイト・オン・ザ・プラネット』の、タクシーに乗り込んだ盲目の女性の「見えている」態度。
ヴィム・ベンダースの『ベルリン天使の詩』の、空から見下ろすベルリンの街と人間になった天使の血。
トニー・リチャードソン(原作ジョン・アーヴィング)の『ホテル・ニューハンプシャー』の恐ろしいまでに濃密な家族模様と、窓から「Life is fairy tale」 (人生はおとぎ話)と叫んだ少女の姿。
エミール・クストリッツァの『黒猫・白猫』の、ジプシーのライフ。楽隊を引き連れて、入院中の祖父を脱出させる孫……。
……書きながら数え切れぬほどの映画のシーンが、次々に浮かび上がって尽きず。書き続けたら1日が終わってしまいそうだ。
「希望を……」と言いながら、全体に重苦しい映画が多いな。ともあれ、旅や読書や映画や音楽や芸術が、いかに自分を豊かに育んでくれているかを、改めて思う。
今、この南天竺にて、じっと留まり居てなお。
以下は、2019年元旦の記録から抜粋。
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◎若者向けセミナーで「贈る言葉」のひとつに挙げている「裸一貫の自分を思え」。なにも、裸になる必要はないが、前提にアウシュビッツに収容された人たちの身の上をイメージしているため、この表現だ。すべての所持品を破棄され、真っ裸にされ、消毒され、皆と同じ囚人服を着せられてのち。自分をどう、表現できるか。どう生きながらえることができるか。自分を、どう残せるか。
◎大学時代にフランクルの『夜と霧』を読み、30代でロベルト・ベニーニ監督・主演の映画『Life is Beautiful』観て、たどり着いた一つのテーマ。人に対して誤った見方をしそうなときに、思い返す。過去のテクノロジーをたちまち塗り替える「最先端」に出合ったときにも、引き返すように、思い返す。
◎自分なりに、「人間力」の鍛錬の仕方を、模索しよう。
◎「永遠なるものとはなにか、それは人間の記憶である」。「財宝がなんであろう。金銭がなんであるか。この世にあるものはすべて過ぎ行く。この世はすべて空(くう)だ」。チンギス・ハーンの息子、オゴタイ・ハーンの言葉を思い出しながら、遠い地平を見つめていこう。
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というわけで、「楽観できない世界で、希望を持って生きる」ことの尊さについてを学ばされた映画をご紹介。主人公であるお父さんは、わたしが最も尊敬する人間像の一人だ。
作品のタイトルは、ロシアの革命家、レフ・トロツキーがスターリンからの暗殺者に脅えながらも残した「人生は美しい」という言葉に因んでいるという。ベニーニは「どんな状況下でも人生は生きるに値するほど美しい」という信念に感銘を受け、物語を着想したとのこと。
K
苦境の中で笑い、悲劇を喜劇に変えながら、希望を持ち続ける、希望を託し続けることの偉大さ。そんなふうに生きていきたいと、こうして書きながら、改めて思う。観てください。