ヒンドゥー教のカースト制度における最下層「ダリット」(不可触民、アウト・オブ・カースト、アンタッチャブル、スケジュールド・カースト)の出自ながら、類い稀なる才能を持ち、海外留学を経て弁護士となったアンベードカル。
彼は弁護士としてはもちろん、政治家として、思想家として、大学教授として活躍したほか、インド憲法の草案をも作成した。
海外では、彼を知る人はあまりいないが、マハトマ・ガンディーに勝るとも劣らぬ、インドという国に多大なる影響を与えた人物である。
アンベードカルは最晩年の1956年10月14日、インドの中心点にある都市ナーグプルにて、ヒンドゥー教により定められたカースト制度から脱却すべく、約60万人のダリットたちと共に、仏教徒へと改宗した。
1967年にナーグプルヘ渡って以来、半世紀以上に亘り、アンベードカルの遺志を引き継ぐように、仏教の布教や改宗に身を賭している日本人僧侶、佐々井秀麗上人。
2018年4月末、彼に一目お会いしたく、折しも仏陀生誕祭にあたるころ、わたしはナーグプルを訪れた。筆舌に尽くしがたい、稀有な経験をさせていただいた3泊4日だった。そのときの記録や、その後、実施した「インドの中心〈ナーグプル〉で仏教を叫ぶ」勉強会で準備した資料の一部を、ブログに転載している。
今日という日、インドと関わりのある方には、ぜひ読んでほしい。超長いけど。一冊の本を読むくらいの意気込みで、一人でも多くの人に、読んでほしい。インドをより深く知るための、ひとつの契機として。
歴史とは、書き手や語り手の立場や見方、考え方によって、どのような風にも描かれる、過去でありながら、いつまでも変容し続ける生き物のようなものだ、とわたしは思う。
だからこそ、何らかの判断を迫られたときには、なるたけ異なる視点からの描写に触れなければ、とも思う。
浅薄な知識と情報に翻弄されて白黒つけるのは危険なことだ。
同じ出来事をガンディ視点とアンベードカル視点とで眺めると、両者は著しく異なる。ガンディを学ぶとき、アンベードカルについても「セット」で同時期に勉強すべきだと思う。
歴史の広さ深さを思うと、人間が同じ失敗を繰り返すのは、残念ながらも、仕方がないのだろうか、とさえ思えてくる。
●インドの中心で仏教を叫ぶ。佐々井秀嶺上人を訪ねて。(2018/05/27)