2019年、デリーの冬は、例年にも増して寒かった。体調を崩していたロメイシュ・パパは、病院で検査を受けてのち、心臓疾患の薬を処方してもらったのだが、その直後から急激に体調を悪化させた。当初は薬が強すぎたための副作用かと思われたが、実は、感染症を併発していたらしい。
2020年、年が明けても入っても、体調が戻らず入院した。夫がデリーに駆けつけたときには、危篤状態に陥っていた。
わたしがデリーに向かう途中、パパは他界。到着直後に葬儀所と向かい、亡骸と対面した。パパは、ひとことでは語れない、心根の優しい、穏やかな人だった。
まだ40代だった妻(我が夫の母)を慢性白血病で亡くした。やがて、新たな伴侶を得て再婚し、晩年は孫たちにも恵まれ、旅を重ねるなど、きっと幸せな日々を過ごしていた。
悲しみに包まれながらも、義父の死に伴い、事務的な手続きが山積していた我々夫婦。1年前の精神状態は、尋常ではなかった。葬儀を済ませ、遺灰を、義母を見送ったのとおなじヤムナナガールのヤムナ川へ流すべく、長距離ドライヴ。
遺言書、実家の権利、実質的な掃除や片付け……そんなこんなをすませるために、2月もデリーに滞在。ようやくひと段落した矢先に、インドはロックダウンに入ったのだった。
今思えば、パパは本当に、時機を見計って、わたしたちの元を去ってくれたような気がしてならない。もしも数カ月遅れていたら……。会うことは叶わず、その後の無念はひとしおだったろう。無論、このロックダウンの間、そのような思いをした人たちを見てきた。
どんなにか、悔やまれたことだろうと、心中を察するに余りある。
葬儀の準備などをする傍ら、実家のアルバムやわたしのブログの写真などを整理して、アルバムを作り、動画にした。
パパと初めて会った1997年。わたしと夫が同棲しているアパートメントに滞在した。今思えば、斬新なインド家族だったと思う。「インドでは、おいしいビーフが食べられないから」と、ステーキの名店、ピータールーガーを訪れたり、コリアンレストランでBBQを食べたことを思い出す。
「あからさまに、きれいな女性が大好き」なパパはまた、当時ブロードウェイで公開されていたミュージカルの『CHICAGO』をいたく気に入り、滞在中に何度も見に出かけていた。
ゆえに、動画のバックグラウンド・ミュージックにはCHICAGO、そしてパパだけでなく、多くのインド人が大好きなABBAの音楽を使った。
この動画は、個人の動画チャンネルに、限定公開で公開していたが、今日、こちらのチャンネルにもアップロードすることにした。一人のインド人男性が生まれて死ぬまでの物語が、10分間の動画の中に納められている。
長女スジャータの婚姻の写真では、皆の表情が暗い。妻アンジュナの余命が幾ばくもないということを、皆が悟っていたから。
母の死後、大学を休学し、デリーで1年間、パパと過ごしたアルヴィンド。彼の悲しみもすさまじかった。父子で「傷心旅行」に出かけた写真もまた、悲しみの霧に包まれている。
やがて、二番目の伴侶との出会い。自分の再婚と、息子の結婚……。パパのうれしそうな顔。人の幸福とはなんだろう……と、思わされる。
人間万事塞翁が馬。
周囲の人々に愛されて、パパはなんというすばらしい人生を送ったのだろうと、今改めて、この動画を眺めながら思うのだ。以下のブログの記録をお読みいただければ、動画のストーリーがお分かりいただけるかと思う。
●インド百景 2020(ブログ)
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