(日本語は下部に)
✡️“The first Jews arrived in India, in Muziris, from the Middle East. These 'Dark Jews' or 'Malabari Jews' as they are called to date, were granted the rights to flourish as a community by the local rajah, offering permission to trade, build synagogues and build houses. The 'White Jews' arrived much later; Historian MGS Narayanan says they came from Spain and Portugal in the 15th and 16th centuries' The Jews thrived here for many years, making Muziris and the surrounding regions their home. However, in the 16th century, because of Portuguese tyranny, many of them fled to Cochin (obtaining protection from its rajah) and other surrounding regions. In Jew Town, in Mattancherry, they cultivated their faith and culture on a few streets; the Paradesi Synagogue (Parades' meaning foreigner, referring to the 'White Jews') and the Clock Tower were both built in the 16th century next to the Cochin rajah's temple and palace. […] most of them having left after the formation of the State of Israel in 1948 ” (Eating with History ~Ancient Trade-Influenced Cuisines of Kerala~, Tanya Abraham)
✡️“A legendary port, the heart of the historic Spice Route, vanished off the grid over 3000 years ago. Historians and archaeologists hunted far and wide in search of it but to no avail. Then, one day, it rained in Pattanam, a small town in Kerala. The rains unearthed and revealed to mankind remnants of a legacy. The legacy of the lost port, Muziris […] The ancient world's greatest trading centre in the East, this legendary seaport traded in everything from spices to precious stones with the Greeks, Romans and the rest of the world. The Muziris Heritage Project will revive that lost legacy to conserve and showcase a culture of 3000 years or more for posterity […] Once the doorway to India for varied cultures and races including Buddhists, Arabs, Chinese, Jews, Romans, Portuguese, Dutch and even the British, Muziris has stood witness to civilisations being born, wars being waged and history being written.” (https://www.muzirisheritage.org/)
✡️4泊5日のコチ滞在。最初の3泊は、フォート・コチに滞在したが、最後の1泊はマッタンチェリーというエリアにあるホテルに移動した。ここは、はるか数千年前、古代のアラブ商人たちが行き交ったであろうスパイス街の名残があり、ポルトガル植民地時代に建てられ、その後オランダ人によって改築されたパレスがある。パレスは前回の訪問時に見学したので立ち寄らず、今回は、ホテルにほど近いシナゴーグ(ユダヤ教会)に足を運んだ。
コチにはかつて、ユダヤ人コミュニティがあった。最初のユダヤ人は、中東からインドのムジリスに到着した。そう。今回の旅で幾度となく記してきた「コチ=ムジリス・ビエンナーレ」の「ムジリス」である。ムジリス (Muziris)。どこかしら、魅惑的な響きを持つこの地名を持つ土地は、今は存在しない。なぜなら1341年に発生した洪水で、消滅してしまったからだ。
ムジリスの物語は、紀元前3000年ごろ、バビロニア人、アッシリア人、エジプト人が香辛料を求めて、アラビア海に面した、このマラバル海岸に到来したことに始まる。以来、ムジリスは世界で最も古い港湾都市の一つとして栄えた。胡椒と交換するための「金/ゴールド」を積んだローマ船が来航した記録も残されているという。香辛料だけでなく、宝石その他、さまざまなものが流通する東洋一の貿易拠点だった。
また、アラブ人、仏教徒、中国人、ユダヤ人、ローマ人、ポルトガル人、オランダ人、そしてイギリス人……と、多様な民族や、文化、宗教の、インドへの玄関口でもあった。
ムジリスはまた、かつて「ムラチパッタナム」とも呼ばれており、インドの神話『ラーマーヤナ』では、さらわれたシータ姫を探すために、猿の王様スグリーヴァがムラチパッタナムに立ち寄ったという記述もあるらしい。
歴史が古いだけに、逸話が尽きないスパイス・ルートの中心だった伝説の港ムジリスは、しかし1341年、マラバル(マラバー)海岸を襲った洪水と地震により地図から消えた。一方、ムジリスの歴史を発掘するヘリテージ・プロジェクトなどもあり、サイトを開けば、これもまた非常に興味深く、関心をそそられる……。
✡️話をユダヤ人コミュニティに戻す。中東からムジリスに上陸したユダヤ人は「ダーク・ジュウズ」あるいは「マラバリ・ジュウズ」と呼ばれ、地元の君主からコミュニティを構築する権利を与えられ、貿易やシナゴーグ(ユダヤ教会)、家屋の建築を許可された。
その後、15~16世紀にかけて、スペインやポルトガルからやってきた「ホワイト・ジュウズ」たちは、ムジリスとその周辺地域を拠点に、長い間この地で繁栄してきた。しかし16世紀に入ると、ポルトガルの圧制を受け、彼らの多くは、ここコチ(旧コーチン)をはじめとする周辺地域に逃れた。そのころから、このマッタンチェリーにユダヤ人街が構築されてきたというわけだ。
この「パラデシ・シナゴーグ」(パラデシとは外国人、ここではホワイト・ジュウズを意味する)は1568年に建立された。その後、1760年に時計台が設置され1930年までは動いていたという。ちなみに時計は四方に向けて4つ設置されており、文字盤には地元のマラヤーラム語、ヘブライ語、ラテン語で数字が書かれているという。
1948年にイスラエルが建国されたあとは、大半のユダヤ人がケララを去りイスラエルに移住した。彼らは今なお、ケララの先祖の文化を残す料理や習慣を伝承しているようだ。
なお、わたしたちが前回訪れた2017年には、シナゴーグに入ることはできたが、内部の写真撮影はできなかった。しかし、今回は可能であった。なぜだろうと確認したところ、2019年8月に、この地の最後のユダヤ人だったサラ・コーヘンという女性が他界したという。つまり、このシナゴーグが宗教儀礼を行わなくなったため、聖なる場所の意味合いがなくなり、写真撮影も可能になったのだろう。
一体、何人が踏みしめてきたのだろう、数百年前に敷き詰められた中国のタイル。足の裏からも、歴史を感じる。入り口には「紙芝居」よろしく、この地のユダヤ人の歴史が絵画と共に記されている。
……まだまだ書きたいことは尽きぬが、この辺で。
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