神社を離れ、小腹が空いたので、たこやきやさんへ。カウンター席で、店主のご夫婦と、常連のお客さんとの会話を楽しみながら、和むひととき。
帰路、わたしが1歳から13歳までを過ごした近所を歩く。古かったはずのあの小さな家は、きれいに改築されて、そこにあった。しかし、誰かが住んでいるはずなのに、しん、としている。
かつて「汐見町」という名だったそこは、海辺の町だった。しかし、高度経済成長期の昭和40年代に、海浜の埋め立てや、山々の造成が進んだこの界隈は、年々海岸線が離れ、自然が損なわれた。
「このあたりに銭湯があったの」
「ここは貸本屋と駄菓子屋さんだった」
「この角はとみやさん。なんでもやさんだった」
「ここは、おかあさんが通ってた丸善美容室」
「わたしはときどき、矢野理容院で髪を切ってもらってた」
「八木さんという八百屋さん。魚屋さんもここにあってね」
「ここの三角公園でいつも遊んでいた」
「ここには音楽幼稚園があった」
「ここに汐見マーケットがあって、便利だったの」
「鬼ごっこをするには、ここの広場が便利だった」
昭和のころの、活気溢れる商店街や公園は姿を消し、今は面影がない。味気なくも個性のない、無機質な住宅ばかりが立ち並ぶ。きれいだけれど、活気がない。淡々とした情景。子供たちが走り回り、ご近所さんが行き交い、賑やかだったあの町は、どこへ行った?
遥かな気持ちを抱きながら、水平線の彼方を夢想した。半世紀前のわたしが見た光景は、今はもう、ない。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。