多々良川の河口にほど近い丘にたつ我が家。そこから海に向けて10分ほど歩いたところに、名島神社や、名島城の跡がある。あと2週間ほど早ければ、ここで満開の桜を見られたことだろう。
名島神社は、かつて「名島弁財天社」と称され、足利尊氏や豊臣秀吉などの時の権力者の参詣も受けて来た。幾度となく記しているが、弁財天はインドのサラスワティという音楽や芸術、学問などを司る女神が起源だ。また、蛇は弁財天の使いとされていることから、巳年のわたしにとっては、幼少時からご縁を感じる神様でもあった。
明治時代の「神仏分離」を経て、現在、弁財天は「宗栄寺」に移されているものの、名島神社に隣接しており、地理的には一体化している。
夫は初めて、この神社を訪れる。その一隅に、赤い鳥居が連なる名島豊川稲荷神社。彼にとっては異国情緒に満ちた雰囲気であろう。西に煌めく海を感じながら歩けば、時空を超える旅をしているかのような心持ちにさせられる。
多々良川が博多湾に流れ込むここにはまた、「名島水上飛行場」があった場所。1931年に、世界一周中だったリンドバーグ夫妻を乗せたシリウス号が来訪したことでも知られる。「孫文と頭山満が名島で密会を重ねた」とか、「蒋介石が危機一髪で航空機爆破テロ事件を免れた」といった史実もあるようだ。
国の天然記念物である帆柱石は、名島神社境内の海岸に露出する珪化木。カシ属の樹木の幹材が珪酸分に置き換えられてできた化石だという。「古第三紀漸新世前期(約3500万年前)に形成された砂岩・礫岩層を主とする志免層群名島層」に挟まれているとのこと。約3500万年前が、遥かすぎて、わからない。
名島神社の「臥龍桜」に、わずか残る桜を愛でる。待っててくれてありがとう。
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