「見る目」というものは、好奇心によって育まれるのだということを、改めて思う。
たとえば、猫に関心がなかったころには、近所を行き交う猫らを見ても「あ、猫。」で終わっていた。ところが、NORAが我が家を住まいに決めてからというもの、近所の猫らの1匹1匹の個性を見分けられるようになった。そればかりか、無駄に万猫への愛情を抱いてしまう。
たとえば、京友禅サリーのプロモーターをお受けしていなかったら、着物姿の女性たちを見ても「あ、着物。」で終わっていたかもしれない。
インド移住後、サリーを通してインドのテキスタイルに触れ始めてからは、サリー姿の人を見るにつけ意匠に目が行くようになった。京友禅サリーに関わったことで、今回は京都でお見かけした着物姿の人々の一枚一枚の個性に、関心を持つようになった。近寄って、声をかけたくなる衝動に駆られてしまう。
臨済宗大本山である建仁寺で、麗しい着物姿の女性たちを眺めて目の保養をしたあと、まだ京都駅へ赴くまでに少し時間があったので、隣接する建仁寺の塔頭である「正伝永源院」へ足を伸ばす……。
と、知ったふうに書いてみたが……「塔頭」って、何ですか?
調べるに「たっちゅう」と読むらしい。禅寺における、高僧の基所に建てられた塔、あるいはその塔を守るための庵のことを指すらしい。知らない日本語の多さを痛感するのも、知るは愉し。
折しも4月中旬から5月中旬にかけて、「正伝永源院」にて、つつじと新緑の庭園が特別に公開されているのだ。こぢんまりとした庵ながらも、得も言われぬ情趣が漂う、陽光朗らかにして静謐な世界だった。以前ならば、軽く一巡し、しばし座って眺めて去るところだったろう。
しかし、既述の通り、ここ数年、スピリチャルや禅について学び実践している夫にとって、この空間は極めて意義深いものだったらしく、赤い毛氈(もうせん)に座し、静かに庭を眺めている。わたしはといえば、木造建築のその精緻な造りに見入り、感嘆するばかり。
実は新居の地下に、数奇屋造りの和の空間を作る予定だということもあり、今回の京都旅では、とてもソーシャルメディアには載せきれない大量の写真を、参考資料として撮影した。インドで数奇屋造りとは極めて実験的であるがゆえ、多くを望んではいないのだが、それでも「自分の好み」を知るためにも、データは必要なのだ。
この「正伝永源院」は、自由に中へ入り写真撮影も可能だったことから、すっかり長い時間を過ごしてしまった。庭の一隅にある茶室もまた、しみじみと興味深い。この狭く密なる空間の中に込められた、日本の伝統と独特の作法。世界観。一つの宇宙だ。
なお「正伝永源院」は、細川家にも縁があるとのことで、元内閣総理大臣、細川護熙氏の揮毫による襖絵が奉納されている。わたしが正座する背景がそれだ。
ちなみに、わたしが着用している、かなり派手目なトップは、[🇯🇵DAY 13-5/ KYOTO] の記録に残しているところの、「パゴン (Pagon)」で購入したもの。3枚のうちの一つである。同ブランドの詳細は、そこに記しているので割愛。京友禅の「型染め」の手法で染められたそれは、ダイナミックなデザインが楽しく、着心地もとてもいい。次回は本店を訪れ、できれば工房も見学させてもらいたいと思う。
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