本日未明、無事バンガロールに到着した。今回はかつてなく、自らの来し方行く末に思いを馳せる日本旅となった。同時に「わたしだからこそできる役割」を見つめ直す契機となる旅でもあった。
あらかじめ敷かれたレールの上を進んでいるにせよ。列車の状態は自分で整えられるし、変化し続ける車窓からの景色もまた、心持ちや捉え方次第で、どのようにも映る。
日本を離れたからこそ見える日本のよさ。今回の紀行はまた、行間から滲み出るメッセージも多く、貴重な備忘録となるだろう。これから山のような荷解きや、来週からの諸々が迫ってはいるが、深呼吸。深呼吸。できるだけ、書き残そう。すべては糧となる。
銀座ではまた、強烈なご縁を感じずにはいられない出来事があった。
わたしは普段、自分のソーシャルメディアに投稿することが優先で、人様の投稿に目を通す時間は短めだ。特に旅行中とあっては。そんな状況の中、白馬から銀座に戻った24日の夜、インスタグラムを開いた瞬間、エメラルドのスペシャリストである「ホノカズエメラルド」川添微(ほのか)さんの個展情報が目に飛び込んできた。驚くことに場所は銀座。しかも翌日25日から開催とある。これは、行くしかない……!
日本のメディアでもしばしば取り上げられている微さん。エメラルドのプレゼンテーターであり、ジュエリーデザイナーであり、GIA宝石鑑定士でもある彼女。わたしが知る限りにおいても、実に個性的でバイタリティあふれる魅力的な女性だ。
彼女との出会いは1998年のニューヨーク。当時わたしが自社ミューズ・パブリッシングから出版していた日本語の季刊情報誌『muse new york』でも、彼女を取材し紹介している。当時の記事へは、以下のURLにて読むことができる。
22年前から、わたしの左手の薬指で光っているダイヤモンド。わたしの婚約指輪は、彼女に手配してもらったものなのだ。婚約指輪を自分で手配するという個性的な経緯は、最早ひとつの物語。ほのかさんの存在あってこそのエピソードだ。『深海ライブラリ』ブログに、当時の記録を転載しているので、ぜひ読んでいただきたい。
彼女と最後に会ったのは、今からちょうど20年前の2013年。彼女の結婚式のときだった。当時、我々夫婦はワシントンD.C.に暮らしていたが、ニューヨーク北部の結婚式の会場まで、車を走らせたことを思い出す。
あれから20年……!
会場となっている「森岡書店」。「一冊の本を売る書店」という極めて個性的なこの場所が、非常に興味深い! 詳細をぜひ検索してお読みいただきたい。
ホテルから銀座の中心部を対角線に進んだ新富町に近いエリアにある森岡書店。足早に歩きながら、東京でのフリーランス時代、新富町にあった会社にも籍を置いて、馬車馬のように働いていたことを思い出す。
あれから30年……!
微さんは店にいるだろうか。お昼を食べに出たりしていないかな。わたしが突然現れて、びっくりするだろうな。いや、すぐにわかるかな……などと考えるうちにも、ワクワクして顔が綻ぶ。
そうして、静かな路地を左折し、少し進んだ先に……森岡書店はあった。
無口に見えて饒舌な存在感を放つその小さな書店。少し遠目から、まずは店内を覗く。長身の店長、森岡督行氏と、3名の女性……。
微さんは……いた!!
マスク越しでも、すぐにわかった彼女の姿。こんにちは〜と店内に入ると、目を丸くして驚く彼女。そこからはもう、大騒ぎだ。他のお客様の邪魔にならないように……と思いつつも、しばらく森岡さんやゲストの方も交えて、ニューヨークの話、インドの話と盛り上がる。
インスタグラムの限度2000文字を超えるので大幅に割愛するが、人とのご縁のおもしろさ、を痛感せずにはいられない午後だった。わたしは、いつかきっと、微さんのジュエリーを買おうと思っていた。それも、エメラルドだけではなく、天然真珠がついたものを。
なぜなら、インドの占星術(生年月日と時間&生誕地の緯度経度)によって導き出されたわたしの誕生石は、知性やビジネスを司るのがエメラルド、感情や精神を司るのが天然真珠だからだ。
夫の父方祖母がわたしに残してくれた形見が、エメラルドと真珠のネックレスとイアリングのセットだった時には「出会うべくして出会った」と実感したが、57年も生きていると、そういう偶然がしょっちゅう発生する。ゆえに定められたレール。
研磨されていない、ロウ・エメラルドの味わいが個性的な微さんの作品。ふたつと同じものがないところも魅力だ。インドでは、ロウ・ダイヤモンドはじめ、研磨されていない宝石も一般的。だめだ宝石を語り出すとまた長くなる。
天然真珠が施されたジュエリーは限られていたので、選択肢は少なく、あまり迷わずに決められた。チェリーと名付けられたそれ。アンシンメトリーがユニークでかわいい。インドは大ぶりジュエリーが多いから、むしろこの小さくも上品な存在感がいい。
ジュエリーと写真集を購入し、森岡督行氏のご著書『ショートケーキを許す』をいただく。これまでの人生、さまざまな菓子を焼いてきたが、日本人だけでなく、他国の人々含め、最も人気があるのが「日本らしい」ストロベリーショートケーキやロールケーキ。この話になるとまた、長くなる。
森岡氏のお話もまた、極めて楽しく興味深く、時間がいくらあっても足りそうになかった。バンガロールでの再会を願って別れた。新居の「月光ライブラリ」で語り合いたい。
🗼
わたしは20代の8年間を東京で過ごした。当時のことを、微さんに「どうだった?」と尋ねられたとき、一言「悲喜交々」と言ったら、森岡さんが「悲喜交々!」反応された。「悲喜交々」と、文字にはすれど、口にする人は稀だった模様。東京での暮らしが辛かった。「喜」は圧倒的に少なかった。しかしあの下積みの歳月があったからこその、ニューヨークであり、インドである。
ホテルへ戻り、部屋に至るエレベータの中で、鏡に映るイアリング(ピアス)を、満たされた気持ちで見つめた。アンシンメトリーの真珠は、涙の雫のようにも見える。悲しみの涙。喜びの涙。まさに「悲喜交々」を形にしたようなイアリング。耳から外して、手のひらに載せ、そっと握りしめる。
🗽どんなに時代を経ても、輝きを失わず、刻んできた時間を思い出させてくれる……宝石を通して物を愛おしむ気持ちを伝えたい。(muse new york 2000年夏号)
http://www.museny.com/newyorkers/newyorker4.htm
🗽婚約指輪。2001年春。ダイヤモンドを巡る旅@ニューヨーク
https://museindia.typepad.jp/library/2001/06/diamond.html
🗽友人の結婚式のため、ニューヨークの郊外へ出かけた。(September 2002)
http://www.museny.com/essay&diary/mag103.htm
◎Honoka’s Emeralds
https://honoka.us/05-2
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。