地球のうえには、無数の「力ある場所」がある。大地の力がみなぎり、人間にエネルギーを与えてくれる場所。欧米では磁力の強い場所をして「ヴォルテックス」と呼ぶこともある。昨今では、「パワースポット」という言葉が一般的だろう。
そのような場所は古来から、「自然崇拝」や「信仰の地」とされてきた。日本にも富士山や伊勢神宮、熊野古道、出雲大社など数多くの力ある場所がある。
気がつけば、これまでの人生、世界各地で、そのような地を訪れて来た。有無を言わさず引き寄せられる場所もあれば、「ん?」と思う場所もあった。一方で、世間には知られていない土地でも「ここは……!」と強いエネルギーを感じる場所もあった。
パワースポットとはだから、遍く人々を平均的に引き寄せる場所ではないとも思う。あるところは修行をした修験者だけが感じ得るかもしれないし、あるところは、ある性質を持つ人だけが感じ得るかもしれない。あるいは個人的に思い入れのある土地など。アンテナの感度と相性の問題もあるだろう。
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今回、旅先をここに選んだのは、夫の影響だった。わたしは幼少時から、人間の「スピリチャルな側面」を、見つめる機会が少なくない環境に育った。その、漠然とした精神世界の背景を検証したくなったのは、大学に入学してからのことだった。
高校の国語教師を目指していたわたしは、文学部日本文学科を専攻していたが、心理学や哲学の授業も選んだ。そうして、浅薄ながらも学んだ。ユングの心理学、夢分析から転じての自己分析……。
大学1、2年のころは、普通の日記と並行して夢日記も克明に記録。それらを自己分析して、自分自身の精神的な状況を憶測した。
社会に出て、「日常」に没頭する日々は、かような精神世界の旅から途絶され、せいぜい映画を見たり読書をしたりの際に、想念を飛ばす程度であった。しかし、旅は違う。特に、長期の一人旅は、長い長い瞑想のようでもあったと、今は思う。だめだ、話が長くなる。
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一方の夫は、そのような世界観に無縁の人だった。宗教も精神世界も、取り立てて尊ばず、「科学で証明できること」を優先して考えていた。この件については、こうして軽く一言では綴れぬ背景があるが、ともあれ。
しかし2020年1月、義父ロメイシュ・パパが急逝したことで、彼の精神世界は大きな転換を遂げる。彼の親しい友人であるCharu Sinhaに、ジャマイカに生まれポルトガルに暮らす「Mooji」というスピリチャルリーダーを紹介されたのが契機だった。Charuは、インドで最も力ある女性ポリス・オフィサー。常にテロの脅威にさらされているジャンム・カシミール地方において、数万人の警官を指揮してきた。
わたしも彼女と会ったことがあるが、そのミッションのタフさは壮絶だ。常に危機に立ち向かっている人たちの、精神の在り方についても彼女は慮っているのだということを知った。
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Charuの誘いによって、インドに来ていたMoojiに会うべく、夫はリシケシに飛んだ。そこでの体験、学びは偉大なるものだったのだろう。以来、彼は、バンガロールに暮らすMoojiの教えを引き継いだグルの元へ、毎週、通い続けている。なお、そのような学びの場をして、「サットサンSatsang」と呼ばれる。サンスクリット語で「真実を探求する仲間」という意味があるようだ。
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Moojiの教えを通して、アルヴィンドは江戸時代の日本の禅師である盤珪永琢(ばんけいようたく)を知り、南インドの聖人「ラマナ・マハルシ」を知った。ラマナ・マハルシが16歳のときに覚醒し、その後、彼がたどり着いて生涯、暮らし続けたのが、このアルナーチャラ山(丘)であった。ここはかつてから、ヒンドゥー教のシヴァ神が崇められている聖地でもあり、強い波動を持つ土地である。
ここは、シヴァ神を信仰する人にとっても、ラマナ・マハルシを信奉する人にとっても、極めて重要な土地なのだ。
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この3年間、夫は毎日、瞑想をし、自分なりの探求を続けている。わたしはといえば、夫とは異なる、わたしなりのやり方で、自分を見つめる生き方を心がけている。しかし、夫が見つめる世界をも知っておきたく、昨日、写真で紹介した書物を購入。目を通したがしかし、どうしても、自分の中に入ってこない。目が活字を追っていても、腑に落ちない。まずは感じてみようと、ここへ来ることにした。
到着して翌日の今朝は、アルナーチャラの巡礼者が行う「山の周辺14km」を歩くことで、心身のウォームアップを図ることにした。敬虔な信者は裸足で歩くらしいが、さすがにそれは無理。小雨降る中、履き慣れたビルケンシュトックで出発だ。(続く)
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