古来、人間は、もっと野性味を帯びていた。100年前、いや50年前でさえ、今よりもっと、直感に優れた動物的な生き物だったはずだ。
人間が「裸一貫」でできることは、たくさんあった。しかしながら、利便性が高まるにつれて、進化のようにみえる「退化」が始まった。わたしたちは、「研ぎ澄まされていない」状態でいる時間が長くなった。
わたしが若者向けセミナーで、常に「裸一貫の自分を思え」と、提言して来たのは、旅を重ね、歳月を重ね、それが人間として、とても大切だと思うからだ。モノに頼らず、どこまで自分が、自分で在れるか。
わたしは、自分が体験したことを、自分が感じたことを、優先して、信用したいと思う。
一昨日、バンガロールからここに向かう途中の車中にて、空を見ながら夢想していた。計画は立てまい。ただ、到着して、自分が欲するままに、極力、夫の意思に巻き込まれないよう、自分の直感を尊んで行動しようと決めた。
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車窓から雲を眺めつつ、龍神について考えていた。龍とは、古来から、特に東洋において尊ばれて来た神でもあり、昨今のスピリチャルな世界においても、重要視されている存在である。
わたしは、2018年、佐々井秀嶺上人を訪ねて「南天龍宮」とされるナーグプルヘ趣いた。マンセル遺跡に立ったときには、否応なく、龍樹(ナーガルジュナ)の力を強く感じた。
雨は龍神による歓迎の証。アルナーチャラ山と龍神は関係ないかもしれないが、青空を眺めながら、「雨が降ってほしい」と願った。すると、果たして、わたしたちが到着するころ、雨が降り出した。
この地でわたしがしたいことは、限られている。いくつかの寺院に立ち寄り、ラマナ・マハルシのアシュラムへ行き、アルナーチャラ山に登り、アルナーチャラ山の周囲14㎞を歩くこと。満月の夜には、地球上の津々浦々から巡礼者が集まり、山の周囲を歩くという。
次の満月は8月31日。この日は、スーパームーンであり、わたしの誕生日でもある。相当の人出が予想されるので、まず、朝の涼しいうちに歩こうと決めた。
明日がいい、と思った。
8月31日に再び歩くかどうかは、そのあとに決めよう。
到着した日の夜は、10時ごろに寝た。雨は夜通し、静かに降り続けた。朝5時ごろ目が覚めた。まだ降っている。今日は無理かなと思いつつ、もう一度寝た。
6時に目が覚めた。雨はかなり小降りだ。やがて止むだろう。眠っている夫を起こして、身支度をして、出かけることにしたのだった。
14㎞といえば、約25000歩といったところか。3日分ほどの歩行を数時間で一気に。疲れるには違いないが、平坦な道だから、さほどの負担はかからないだろう……昼間は気温が上がるから、早めに出発しようと歩き始めたのだった。(続く)
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