👘一昨日、新天町で購入した着物を嬉々として持ち帰り、母に見せたところ、「そういえば、クローゼットの中に、昔の着物があるよ。スーツケースの中に入っているから、明日、見てみたら」と母。
母が昔、着物を持っていたことは知っていた。しかし、着物姿の母を見たのは、数えるほどしかない。そもそも洋装が好きだった母は、着物にはほとんど関心がなかったという。ところが、父方の祖母(母にとっては義母)には「着道楽」なところがあり、母にも購入を勧めていたようだ。
わたしの父は、存命中、建設会社を営んでいた。わたしが生まれたころに、トラック1台で起業し、高度経済成長と並行するように、会社も成長していた。しかしながら、バブル最盛期に事業が陰り始め、当時住んでいた家を売却するなどの波乱があった。最終的には、バブル経済崩壊と重なるように、会社も倒産した。
そのときに、母の着物類も、着ることがないのだからと処分されたのだろうと思っていた。というよりは、これまで母の着物について、思いを巡らすこともなかった。
👘そして昨日。本当は、もう一度、天神で買い物をしに行く予定だったのだが、クローゼットの着物が気になって、大きな2つのスーツケースを開いた。たとう紙の紐をほどいて、開いていけば……。
なんてこったい!
京友禅の、久留米絣の着物! 総絞りの羽織! 西陣織の帯! わたし好みの派手めな色合いのものから、しっとりと落ち着いた風情のものまで、次から次へと、ヴァラエティ豊かに魅惑的な布が現れるではないか……!!
しかも、まだ仕付け糸がついたまま、一度も袖を通されていないものもある。帯も多分、ほとんど結ばれたことがないものばかりだろう。
👘わたしが子ども時代を過ごした福岡市東区名島汐見町(現在は千早)の家。その隣に、1968年ごろから1974年ごろにかけて、祖父母が暮らしていた。つまり、その期間に買われた着物だから、約50年前、半世紀も経っていることになる。
当時、呉服屋さんが祖母の家に着物を持ち込み、母は祖母に呼ばれて、購入を促されていた様子。日本の呉服産業の最盛期が1975年あたりらしいので、まさにピークの時代だったのだろう。
着物を広げ、愛でながら、祖父母や父のことを思い返す。この不思議な時間……。
中には、わたしが中学のときに仕立ててもらい、1度だけきたことのある絣のアンサンブルも出てきた。当時は「地味でババくさい着物」と思い、全くありがたみを感じていなかったが、今見ると、本当にいい! 本当にいいと思うまで50年も経っちまった。
着物の知識が皆無だったわたしが、インドのサリーを通してテキスタイルに惹かれ、そして母国の着物に還っていく……。
まさに、「お帰り/お還り」だ。
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