結局、今回の旅。5泊6日の東京滞在は、銀座から一駅たりとも外へ出ず、徒歩圏内だけでの移動だった。それでも、まだまだ用事をすませることができなかった。東京は広く、銀座は深い。
過去、銀座において、いくつものホテルに滞在してきた。中でも最も気に入っていたのは、パンデミック明け直後、昨年6月の一時帰国で滞在したTHE GATE HOTEL TOKYO by HULICだった。マンハッタンのホテルを思わせる(またかよ!)な、すてきなホテルだったのだ。しかしながら、今回、出発前に予約をしようとチェックしたら、宿泊費が昨年の倍以上に跳ね上がっていた。
ホテルの高騰ぶりとインバウンドの旅行者の多さについてもまた、記したいことは尽きず。
ともあれ、今回のホテル。気がつけば、いつしか増えていた「三井ガーデンホテルズ」系列のホテルを選んだ。そして気づけば、そのほとんどに宿泊経験があった。2回利用したホテルもある。そして今回は、最も新しい、歌舞伎座至近の「三井ガーデンホテルズ銀座5丁目」を選んだ。
過去に利用した他の3つのなかで、わたしは一番、気に入った。それぞれに長所と短所があり、完全に好みにもよると思うが、真新しい大浴場がよかった。部屋にバスタブがあるし、温泉というわけでもないので、大浴場を利用することもないだろうと思っていた。しかし、広々とした浴槽は、思っていた以上にくつろげて、朝な夕なに利用した。
朝食のダイニングも、比較的心地よい空間だった。ただ、ホテルのパン類が全て「甘め」、かつ小麦粉がおいしくないのは残念だった。見た目はいいが、素材の風味が弱い。昨今の日本。小麦粉の品質が落ちているように思うのは気のせいか。
一方、日本米はおいしい。しかし、外食の日本料理は、味付けが濃すぎるものが少なくなく、朝食も全体に塩分過多だ。とはいえ、ごはんがおいしいので、毎朝がっつりうっかりたっぷり食べていた。ごはんのほかに、味噌汁、薄味の卵焼きにさっぱりとした野菜などがあれば、個人的には満足だ。
唯一のひとりの夜は、デパートメントストアの地下で寿司と酒を買って部屋で食べた。そんなシンプルな夕食も、とてもおいしく、至福であった。毎晩、誰かにお会いするのは、楽しいがエネルギーを要する。体調管理のためにも、「余白」は貴重だった。
ところでこのごろのわたしは、本当に日本酒が好き。この件についても書きたいことは募る。ともあれ、日本では、当たり前だが日本酒が廉価で手軽に手に入るのがうれしい。それにしても、昨今の日本酒の進化に驚く。香りよく洗練された味わいのものが増え、リラックスさせてくれる。アルコールの中では最も身体に優しい気がする。
過去十数年の日本酒の進化っぷりについても、じっくり探求したいところだが、今はおいしさを堪能する。
さて、1枚目の写真は、ミューズ・クリエイション同窓会その6。ミューズ・クリエイション創設期の初代メンバー、KIYOMIさんとEMIKOさん。二人はミューズ・クワイアのメンバーで、EMIKOさんとは、ロックダウンのころに始めたユニット「SAREES」で、何曲もの動画を一緒に撮影した。
そして最終日の前日には、元バンガローリアンの、ミューズ・クリエイション以前の友人から連絡があった。最終日は買い物その他、済ませておきたいことが募っていたので、朝食の時間でよければ、と提案したところ、ホテルまで来てくれた。
ホテルの朝食を食べなかった日があったので、朝食クーポンが一枚余っていたことや、用意していたお土産が一つだけ残っていたことは、彼女と会うためだったのかな……とご縁を感じたりもした。彼女はミューズ・クリエイションの活動に関心を持ってくださっていて、日本からできることがあれば……と申し出てくれたので、先月仕上げたばかりの「ミューズ・クリエイション案内(企画書)」をお送りしたのだった。
静かに、しかし確実に、新しいフェーズに踏み出しているミューズ・クリエイション。地味でも、目立たずとも、ここに在り続けることに意味があるのだ。
継続こそ、力。
◉小籠包は、ある日のランチ。鼎泰豊を見つけて、入らずにはいられなかった。1988年11月。社会人になって初めての海外取材は、戒厳令が解けた直後の台湾だった。鼎泰豊で、初めて小籠包を食べた時の感激を、今でも鮮やかに思い出す。35年前が、つい先日のことのようだ。以下の記録、当時の写真も掲載している。味わい深い。
◉異郷の食を巡る記憶 〜Since 1985〜《002》小籠包Taipei, Taiwan (November 1988)
https://museindia.typepad.jp/2019/2019/01/002.html
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