🙏今回の旅。ここしばらく公私共に立て込んでいたこともあり、夫が決めるまま「受け身」で訪れた。なにかしら、聖なる日と重なると聞いていたが、ヒンドゥー教にはしょっちゅう聖なる日やら大切な祝祭日があるため、あまり注意を払っていなかった。前回も我が誕生日の8月31日がスーパームーンの満月だったこともあり、大勢の巡礼者が大挙していた。
しかし明日、満月の11月26日はそれどころではない一大祝祭日らしい。ゆえに、宿の予約も取れにくかった模様。本日移った宿は、「ホテル」ではなく「民宿」。まさにバックパッカー状態だ。夫から「安い宿しかとれなかったから」と聞いていたので、一応、自分のタオルや枕、ブランケットにシーツなどを持参しておいたのだが、大正解である。「なにやってんだか、わたし」と思いつつも、たちまちバックパッカーに戻れる自分に感心さえする。
さて、一大祝祭日に話を戻す。明日、カルティガイ・ディーパム(Karthigai Deepam)は、ここ南インドのタミル・ナドゥ州において祝福される光の祭典で、先日、全国的に祝福されたディワリの延長とされているらしい。特にここティルヴァンナーマライで行われる祝福が最たるものだという。祝祭の背景には、さまざまな神話があるが、あまりにもややこしいので割愛。
ともあれ、明日の夜、霊山アルナーチャラの頂上に「大量のギー(精製バター)」が運び込まれ、火が灯されるという。それはまた、シヴァ神の光とも見なされ、ここでの礼拝は最上のものとされるらしい。……なんてこったい。敬虔なヒンドゥー教徒でもないわたしが、そのような日にここに在ることの奇縁よ。
🙏朝、ホテルを出てふらりと歩く。たちまち寺院に出くわす。ヒンドゥー教の三大神は「ヴィシュヌ」「シヴァ」「ブラフマー」。幾度も記しているが、このアルナーチャラ山は「シヴァ神」の聖地として知られ、山の周辺には、シヴァ神を崇める多くの寺院が点在している。
ある寺院の前の9神の像が気になり、英語ができそうな礼拝者に声をかけ、説明を受ける。インドでは「9」といえば、宇宙を象徴するひとつでもあり。インド移住当初は、中央にルビー(太陽)、その周囲に惑星を象徴する宝石を配したNAVRATANの指輪やイヤリングを買って身につけていたのものだ。
この9神もまた、宇宙を象徴するもので、この寺院は「シャクティ」が祀られていた。
ヒンドゥー教、あるいはインド哲学における「宇宙の根理」とされる「シャクティ」。元来は「性的能力」を意味する女性名詞であるが、さまざまな哲学的概念を意味する言葉としても用いられてきたという。
シャクティの残虐や凶暴を表す「ドゥルガー」や「カーリー」
シャクティの愛情や慈悲を表す「サティ(シヴァ神の妻)」「パールヴァティー神(サティの生まれ変わりとされるシヴァ神の妻かつガネーシャの母)」
人間関係、いや神間関係がややこしい。
ここで祈りを捧げ、また少し歩くと今度は、どこからどう見ても「これ、相当古いよね」と思われる石の建築物に出くわす。ペンキなどが塗られているし、一瞬コンクリートにも見えるが、よく見るとすべて石。ハンピの遺跡とよく似ている。中に入り、僧侶の話を聞いたところ、やはりこの辺りでは最も古いらしく1000年以上は経っているとのこと。
明日の祝祭を控えて、ガネーシャ神も艶やかに飾られている。向かいには、アルナーチャラ山から流れ出す水を貯めた大井戸が横たわる。
🙏ひたすらに、手を合わせることの多い朝の散策。歩きながら思うのだ。わたしの知るインドは、氷山の一角どころか、氷山の欠片(かけら)でさえもない。わずか数百メートルにも満たぬ距離を歩くだけで、知ろうと思う衝動さえも、儚く霧散するような、圧倒的未知の世界。
その片鱗を綴るも虚しく、今日はこのくらいにしておこう。
[MUMBAI] わたしの指に、きらめく宇宙。NAVRATAN (2008/06/02)
https://museindia.typepad.jp/2008/2008/06/mumbai-7ea2.html
↓この地の背景に関心のある方は、このシュリー・ラマナ・マハルシのサイトをお勧めする。日本人の中には、宗教やスピリチャルに対する一定の距離感や偏見を持つ人も少なくないので、ここでは深くは触れない。夫は彼の存在を信奉している。わたしは彼の言葉をまとめた幾冊かの本をパラパラとめくり、言葉を心に刻んだ程度だが、それでも、かなり精神の在り様に影響を与えられた。さもなくば、多分バックパッカーと化してまで、ここに来なかったろう。
●シュリー・ラマナ・マハルシのホームページ(日本語)
https://www.sriramanamaharshi.org/arunachala-hill/?lang=ja
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