35年の社会人生活。日本で、米国で、インドで……。これまで一体、どれほどの方々をインタヴューさせてもらったことだろう。国籍、年齢、履歴を問わず、無数の方々の半生をお聞きする仕事もまた、わたしの人生を豊かにしてくれている。
東京でフリーランスのライターをしていた約30年前には、日本の著名人を取材する機会も少なくなかった。加山雄三氏、富田靖子氏、中山千夏氏、露木茂氏、弘兼憲史氏、松本零士氏……。インターネットのない時代。取材前の下調べには、今よりもずっと、時間とエネルギーを要した。
どの方々も、お会いした瞬間の緊張感と印象を鮮明に覚えている。特に松本零士氏は、ご自宅に伺っての取材で、その独特の雰囲気が今も懐かしく思い返される。書き始めたら止まらない。
約30年前、彼にお会いした1時間ほどの短いひとときが、しかし鮮やかに蘇る。
当時、JTB出版が発行していた『旅』という旅行誌の取材で、わたしは坂田利夫氏を取材したのだった。
待ち合わせのホテルのロビーに、お一人で、時間通りに現れた彼。わたしが挨拶をすると、満面の笑顔で、こちらに向かっていらっしゃる。
わたしが名刺をお渡しすると、「坂田さん? 生き別れの姉さんでっか!?」と、大袈裟な身振りで、当時まだ20代だったわたしにツッコミをいれ、場の空気を和ませてくれた。
取材のテーマは「飛行機」だった。しかし、「飛行機が大嫌い」だという彼の話はもう、ハチャメチャ。今思えば、こんな記事、よく掲載できたものだと思う。当時はまだ、機内で喫煙できていたのだ。写真の記事をお読みいただければ一目瞭然。こんな危険なことをして、それを面白おかしく語り、さらには雑誌に掲載していたという……😅
が! 非常におもしろい記事なので、どうぞご一読を!
録音を何度も聞き返しながら「テープ起こし」をし、要点をまとめる。関西弁を原稿にするのは、少々骨が折れたが、原稿を書いていて、とても楽しかったことを思い出す。今、読み返すに、我ながら、あの無茶苦茶な話を、淡々とうまくまとめていると感心する。
いろんな仕事を、やらせてもらっていたものだ。なにもかもが、糧となり、宝となっている。
坂田利夫さんのご冥福をお祈りします。
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