一昨日の出来事を書こうと思うが、かなり難しい。誰もが受け入れやすい話題ではないし、スピリチュアルに対する偏向や偏見が発生しやすい日本に向けて発信するには、言葉選びにも配慮が必要だ。ともあれ、思慮深く読んでくれる人は必ずいると信じて綴る。
一昨日の夜、バンガロール中心部にあるハードロックカフェにて、創業者のアイザック・ティグレットのトークに赴いた。わたしは、高校時代にヘヴィメタのバンドでシンセサイザーを担当していたこともあり、ハードロックなサウンドにも慣れ親しんできた。今でも、「大音響はうるさい……!」と思う気持ちと裏腹に、音を聞けば血が騒ぐ。ロックダウン時代には、BABYMETALの『メギツネ』をカヴァーしてYoutubeに上げたりもした。
ニューヨーク在住時代の1998年にハードロックカフェを取材して以来、その店舗の雰囲気やTシャツが気に入り、2007年にバンガロール店がオープンしてからは、しばしばBengaluruヴァージョンのTシャツを購入してきた。
そんな背景があることから、この夜も、先日、ターミナル2(新空港)のハードロックカフェで購入したTシャツを着用し、張り切って赴いたのだった。
なぜ、アイザック・ティグレットがバンガロールにいたのか。ほかでもない、彼は20代のころから今日に至るまで、サティヤ・サイ・ババ (1926-2011) のアシュラムに通い続けているからだ。海外からサイ・ババのアシュラムの拠点に赴くには、まずバンガロールに着陸する必要がある。
サイ・ババとは、インドのスピリチュアルリーダー (Guru/指導者)であり、偉大なるフィランソロピストだ。宗教やイデオロギーの概念を超えて、国内外に無数の信奉者を持つ。人々を導き、無償の病院や学校を設立、肉体が滅びてなお、多くの人々を救済し続けている。
サイ・ババをして、日本では、かつてメディアでおもしろおかしく取り上げられ、紛い物の新興宗教のような扱いを受けていたこともあった。甚だ、嘆かわしい。わたしの尊敬すべき友人や家族の中にも、国籍を問わず、サイ・ババの教えを胸に、世のため人のため、そして自分のために尽力されている人が多数いる。
アイザックもまた、その一人であったということを、一昨日、初めて知って驚いた。
ハードロックカフェは、1971年6月、当時23歳だったアイザックとピーター・モートンによって設立された。英国在住の米国人だった二人は、アメリカ南部のダイナーをイメージした店舗でハンバーガーを提供する店をロンドンにオープン。当時、欧州にはアメリカ料理店が少なかったことから、物珍しさも手伝って、人気を集めた。
店内には著名ミュージシャンの使用した衣装やギターなどが飾られ、音楽がノンストップで流れる。やがてハードロックカフェは、世界各地に店舗を展開、多くの人々に知られるレストランに成長した。
アイザックは、1991年にハードロックカフェを売却。そのときに得た$108 millionをサイ・ババの財団に寄付した。今の日本円だと150億円ほどであろうか。その寄付金により、設備の充実した無償の病院(500床)や、メディカルスクールなどが創設されるに至ったという。
アイザックが、なぜサイ・ババに関わることになったのか。その理由を、この日の夜、彼の口から聞くことができた。それはあまりにも、起伏の激しい劇的なライフ・ストーリーだ。サイ・ババとの出会いなくして、アイザックの人生はなく、もちろん、ハードロックカフェもなかった。
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アイザックは、実業家の親のもとに生まれ、恵まれた子ども時代を送っていた。しかし、十代のころ、二人の兄が、立て続けに他界。一人は自殺だった。二人の息子を失った両親の関係は冷め、母親はアイザックに愛を注ぐことをやめた。辛く悲劇的な時代が続いた。
19歳のとき、彼の脳裏に、声が聞こえた。
“I’m waiting for you.”
一瞬、幻聴かと思った。自分の声? いや違う。誰かの声が聞こえてくる。しかし、誰の声なのかわからない。そんなことが、何度も起こった。
当時、米国は長引くヴェトナム戦争 (1955-1975)の只中にあった。反戦を訴える若者によって「Love & Peace」のムーヴメントが起こった。
音楽やアート、ファッションなどで新たな価値観を表現。カウンターカルチャーの発信源となった彼らは、「ヒッピー/フラワーチルドレン(フラワーチャイルド)」と称されるようになる。『武器ではなく、花を』が、スローガンだったからだ。
この時代、多くのミュージシャンやアーティストがインドを目指した。この話になると非常に長くなるので割愛する。
彼はハードロックカフェを開業した1971年に、「声の主」を探すべく、インドを7カ月間、バックパッカーで放浪した。各地の寺院やアシュラムを訪れたあと、ここバンガロールに隣接するアンドラ・プラデーシュ州に辿り着いた。宿でチェックインをしているときに、彼はかつてない大きな声で、呼ばれた。
“I’M WAITING FOR YOU!!”
驚いて、顔を上げると、壁にかけられている男性の写真が目に飛び込んできた。大きな髪の毛の男性。彼がサティヤ・サイ・ババというグルだということを知った彼は、アンドラ・プラデーシュ州のプッタパルティにあるアシュラムへ直行。遂にはサイ・ババと会うことになる。
やっと来たか。待っていたよ。懐かしい友達。ここで待っていなさい。一緒にすることが山ほどある……と、声をかけられた。
その後、15年間、彼はビジネスの合間を縫って、実に50回もプッタパルティのアシュラムに通い続け、奉仕活動などを続けてきた。その間、実際にサイ・ババから声をかけられることはなかった。しかし、アイザックの、サイ・ババへの信奉が揺らぐことはなかった。
インドでの質素な暮らしとは裏腹に、米国ではパーティ三昧の派手な暮らしをしていたある夜、彼は酩酊状態でポルシェを運転し、大事故を起こす。車が崖下に落下する瞬間、誰かが彼の肩をグイッと掴むのを感じたという。車は跡形もなく大破したが、奇跡的にも、彼は無傷だったという。彼はサイ・ババによって救われたのだと確信した。
アイザックの話は尽きず、2時間近くに及んだ。その間、彼は幾度となく、「あなた方は、インドという国にいることができて幸運です」と口にした。それは当然、インドの表面的な印象を指すものではない。魂の深淵、根源的な意味において、でああろう。
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Love All, Serve All. Help Ever, Hurt Never.
ハードロックカフェのスローガンは、サイ・ババの教えに彩られている。写真のMission Statementの周囲にも、その言葉が配されている。右端の「Clapton is God」だけが、異質でお茶目だ。Claptonとは、英国人の著名ギタリスト、エリック・クラプトンに言及した 1960年代のひとつの表現だ。
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ところで、日本で数年前から人気を集めているミュージシャン、藤井風。ロックダウン時代に彼の歌を何曲か聴いて以来、わたしもすっかり、引き込まれた。旋律もさることながら、歌詞が心に染みる。ゆえにその後、彼のご両親がサイ・ババを信奉していると知り、納得した。彼の歌が、人間の心を癒し光を導く力を持っている所以だ。
先ほど調べて初めて知ったが、藤井風の1枚目のアルバムのタイトルはLove All, Serve All。2枚目がHelp Ever, Hurt Never。まるごとサイ・ババのことばであり、ハードロックカフェのスローガンと重なっている。
「すべてを愛し、すべてに奉仕しよう」
「常に助けよう。決して傷つけないで」
美しい。
美しいにもかかわらず、サイ・ババをなんたるかを知らず、日本のメディアの偏った報道を鵜呑みにした人たちが、藤井風を批判している事実を見たときには、困惑した。
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姿在りしころのサイ・ババは、1年の大半をプッタパルティで過ごし、2カ月ほどを、バンガロール東部郊外のホワイトフィールドで過ごしていた。かつて、ホワイトフィールドにあるアーユルヴェーダグラム滞在中には、日本人を含む外国人のサイ・ババ信奉者と、しばしば顔を合わせていたものだ。
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若いころには、気づかなかった。しかし、歳月を重ね、経験を積むにつれて、確信する。「縁(えん)」と呼ぶには優しすぎる。わたし自身がインドに至り、今に至るすべてが、強い「カルマ」によって導かれていた。そして、そのすべては「自分の中にあるもの/真我」が握っているということを。
わたしは特定の宗教やグルを信奉しているわけではないが、「大いなる力」によって守られ導かれ、生きていることを感じている。さもなくば、今、わたしがバンガロールで、こうして幾多の出会いに恵まれながら、暮らし、働き、奉仕し、伝える原動力の説明がつかない。
ここバンガロールは、サイ・ババのアシュラムの拠点であり、ヒッピー文化の契機となるISCKON寺院の拠点でもある。わたしもまた、ここに来るべくしてきたならば。ミューズ・クリエイション (NGO)を創設し、活動を続けていることも、カルマであり使命であるだろう。
「LOVE & HOPE, NO BORDERS。国境を超えて、愛と希望」
これはミューズ・クリエイションのスローガンだ。わたしだからこそできることを、揺るぎなく続けよう。改めて、そう確信した夜だった。
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