土曜午後から月曜にかけての2泊3日、デリーから車でジャイプールへ出かけた。楽しい週末旅行だった。帰路、ニームラナという村にあるフォート(砦)を改装したホテルに立ち寄った。そもそもここに1泊したかったのだが、予約がいっぱいだったので諦めたのだった。
このフォートの雰囲気がまたすばらしく、デリーからは車で2時間ほどと近いので、いつかまた訪れようと思う。この週末旅行の写真などは、後日改めて更新する予定。
さて、月曜日はマルハン家に1泊し、翌日、つまり今朝の便でバンガロア(バンガロール)に戻った。デリーの冬は霧深く、飛行機の出発が遅れたので、2時過ぎに自宅へ到着。その直後、2日前にデリーを発ち、夜汽車に揺られてやって来た使用人のモハンも、「高木」ネームのジャージー姿で到着。長旅の疲れも見せず、元気そうだ。
とはいえ、我々一同、実は疲労困憊には違いないのだが、なにしろ食料がない。疲労した身体にむち打ち(大げさ)、夕方、総出で買い物に出る。いや、夫は基本的に家にいてもよかったのだが、なにしろ、先にも記した通り、わたしとモハンには共通語がないのでね。ハニーが通訳せねばならないわけだ。
ともかくは一度、一緒に買い物に出て店の名前などを覚えれば、あとはなんとか「音」と「ゼスチャー」でごまかせるはず。
3人そろって車に乗り込み、まずは、先日デリーのマルハン家で会ったバンガロア在住の女性、アニタに勧められていたThom's Bakeryに行ってみる。確かにパンやケーキの品揃えはいい。見る限りにおいてはおいしそうでもある。あと、アルコールのコーナーも、インドにしては品数豊富だ。しかし、全体的に、ニルギリズ (Nilgiei's)の商品力が勝っている。
ちなみに上の写真は、Thom's Bakeryのクリスマスケーキである。プラスチックの玩具ではない。ケーキである。食べ物である。この派手な色合いは「インド的」と思われそうだがしかし、アメリカのスーパーマーケットのベーカリーセクションは、こういう派手な食紅の庶民派ケーキに席巻されている。印米共通のムードである。
我が家から車で10分ほどの場所にあるThom's Bakery。食パンや、パウンドケーキ、インド的パン類は充実していたが、その他食料品は今ひとつ。とりあえず、ここ数日の食材をと、商品を選ぶ夫とモハン。夫、いちいち私的コメントをはさむため、会話のポイントがずれまくる。通訳にはふさわしくなく。
Thom's Bakeryにおいては、少々期待はずれの感を抱きつつ、帰り道に新鮮野菜を求めるため、ラッセルマーケットに行くことにする。汚い庶民派エリアを疎ましがる夫は、「ラッセルマーケットに行くのは、僕はこれが最初で最後!」と屈託なく笑う。いくら英語が通じないからって、今後しばしば訪れるモハンの前で、あんたそれは失礼な一言やろう、いくら相手が使用人だからって。と突っ込めど、どこふく風。
裸電球に照らされた水菓子屋の並ぶあたり。リンゴやパパイヤの値段を聞いたあと、わたしが求める数量を店主に伝えて店先を離れたのち、夫が料金を支払った。支払ったあと夫が、
「ミホ、あのFUJI、高すぎない? リンゴ 1個80ルピーなんて」
「なに?! 違うよ!! 1キロが80ルピーのはずよ」
どうやら、店主、だましていたようである。どういうことよ!
日暮れてのちの、客もまばらのマーケット。背後に炎をめらめらと燃え上がらせながら早足で逆行し、店主に詰め寄る女。
とても質のいい果物を扱っている風に見えたし、味見させてもらったリンゴもおいしかったから、うれしい気持ちで買ったのに、日本人ということもあるのか、だまされたことに(インドじゃ普通だけどさ〜)猛烈に腹が立って、つい感情のままに怒鳴ってしまう。他の店の人々もなんだなんだと集まって来る。ああもう、気分が悪い。
あまりにもムキになっているマダムを前に、店主は "I'm sorry" を繰り返しながら、差額を返してくれた。もちろんだます店主が悪いのだが、すぐ感情的になって、そもそも声がでかいのに、よりいっそうでかい声で詰め寄る自分を、実際のところは反省せねばならない。もっと冷静に、相手を諭すような、「大人な」ものの言い方ができるように精進しなければ。
という思いとは裏腹に、米国でもそうだったけれど、インドではよりいっそう「シャウト!」してしまう機会が多くて困るね。南インドの人たちは基本的に温厚らしいから、わたしも郷に従って温厚にならなければならないんだけど。
そうなるまでには、もう少し、歳月が必要のようだ。
果物を買ったあとは、更に奥に進んで野菜売り場へ行き、当面の各種野菜を購入。魚肉類の購入先はまだ確定しておらず(後日、義姉スジャータにお勧めの店を尋ねる予定)、当面はヴェジタリアンである。無論、夫曰く「隣のバンガロアビストロからチキンのグリルの出前を取ればいいよ」とのことであるが。
食材を得たとはいえ、まだモハンが望むところの鍋釜類がそろっていないため、今夜は外食。二人で日本食の「播磨」へ。連日の外食に胃袋も疲弊し、相当に「米味噌醤油欠乏症」になっており、ともかくは日本食である。
店には店主のジュンコさんがいらして、しばらく世間話をする。彼女もそもそもは米国でインド人のご主人と出会われ、カリフォルニアで結婚なさったそうだ。米国生まれの長男が、実質はこの店を切り盛りしているらしい。数十年前に、ご主人の希望もあってインドに移住。インド生まれの長女は現在米国に留学中だとか。
ご主人は17年前に他界なさったとのことだが、ジュンコさんはインドに根付き、バンガロアの地で暮らし続けていらっしゃる。いつかまた、ゆっくりとお話をさせていただく機会があればと思った。
ところで、わたしたちがジャイプールにいた17日土曜日は、バンガロア日本人会の忘年会があったとのこと。年に二回の大きな集まりだったらしく、行きそびれたことがちょっと残念。300名近くの日本人が集った、盛大なパーティーだったらしい。
さて。チェンナイ港から取り寄せられたというソフトシェルクラブの天ぷらや大根のサラダ、ししゃも、味噌汁、白飯を口にして、すっかり胃袋も落ち着いた。
食後、日本茶をすすりながら、夫が言う。
「先月、インドに来たばっかりのときは、ぼくは本当に泣きたかったよ。オフィスはネズミの穴だし、渋滞はひどいし、こんな"第四"世界には住めないと思ってさ。でも、最近、結構、悪くないなって思えるようになったんだよ。……。僕、クレイジーになってきたのかな」
いや、クレイジーになっているとは思わないよ。慣れて来たのよ、この国に。実にいいことだ。
その調子でがんばって行こうぜ!