今日もまた、長い一日だった。
突然だが、英語では、使用人をservant(サーヴァント)と呼ぶ。サーヴァントという言葉自体には、何ら抵抗はないのだが、日本語の「使用人」という言葉の響きが好きではないので、今後は「家政婦」という言葉を使おうと思う。でも、我が家の家政婦は女性ではないので、「家政夫」と呼ぶべきか。いや、「家政士」か。
便宜上、家政夫としよう。
さて、今日から家政夫モハンは我が家の一員として、暮らしをともにすることになった。彼の本職は料理人だが、家事一切を任せられるとのこと。家事を他人に任せることのない人生を送って来た身の上ではあるが、この際、やってもらえることはやってもらうつもりである。
そんなわけで、今日は家電の使い方などを簡単に教える以外は、彼の作業を見守ろうと思う。
朝食の準備にはじまり、ベッドメイキング、洗濯、掃除、その他もろもろ、休みなく働き、すべてにおいて、そつなくこなしてくれる。何もいわずとも、窓ふきなど細かな掃除も率先してやってくれる。非常にうれしい。
まだ掃除をしていない食品の収納棚や食器棚などは、熱い湯で拭くなどわたしがあらかじめ「行動にて」示すと、彼も理解してくれててきぱきと拭いてくれる。すべてが着々と、整ってゆく。
今夜はスジャータとラグヴァンが来ることになっていて、モハンの本格手料理を初めて食べる夜でもある。しかし、彼が必要とする調理器具が一切ないため、午後は二人で、先日出かけた、あの「埃パラダイス」なキッチン用品店、Jamalsへ行く。モハンの選ぶにまかせ、わたしはわたしで、店内を徘徊。
調理器具を一揃え購入したあとは、ニルギリでスパイスなどを少々調達し、帰宅。新しい調理器具の準備を整えるモハン。キッチンは、最早、わたしの世界ではなく、彼の世界である。彼はキッチンで食事もとるため、彼用の椅子も買っておいた。
夜、スジャータとラグヴァンがやってきた。初出勤だった夫も帰って来た。リヴィングルームでワインを飲みつつ、ナッツなどを食べつつ、すっかり「インド化」した我が家で団欒のひととき。すべての準備をモハンがしてくれるので、わたしは何もすることがない。その感覚が妙である。
やがてキッチンからいい匂いが立ちこめて来た。ダイニングテーブルには夕食の準備が整えられている。何もしなくて、自動的に食事がそろうことの不思議。
今夜は食材の都合上、ヴェジタリアンメニュー。肉や魚の調達先は、スジャータにお勧めの店を教えてもらった。来週にでも、一緒に買い物に出てくれるとのことなので、そのときに購入する予定である。
さて、上の写真が、今夜の夕餉の様子である。皆が食事を始めると同時に、モハンがチャパティを1枚ずつ焼き、各々の皿に背後から、焼きたてを1枚ずつ、まるで「わんこそば」のごとく追加していくのである。この間、「瞬間チャパティ製造機」をよほど買おうかと思ったが、やっぱり1枚ずつ伸ばして焼くのが料理人の作法である気がする。買わなくてよかった。
まだ、絵も花もない、がらんとした家だけれど(トイレのドア、誰か閉めて!)、少しずつ、家らしくなってきている。
自分の家なのに、自分の家でないような、やはり不思議な感覚。
義姉スジャータと、ヴァラダラジャン博士(ラグヴァン)。ヴァラダラジャン博士はIISの教授である。いかにも博士らしく、いつもいかしたヘアスタイルである。それはさておき、今夜のメニューはダル(豆の煮込み)、ジャガイモとピーマンの煮物、サグパニール(ほうれん草とカッテージチーズ)、そしてヨーグルトとキュウリのサラダ。どれもわたしの好きな「浅めの味」でヘルシーな味わい。とてもおいしい! 当面、彼のレパートリーを尊重してあれこれと料理をしてもらい、たまにわたしも自分で作ろうかと思う。でも、落ち着くまでは、まだいいや。