久しぶりの、Taj West End。昨年の11月中旬、米国から移住した当初、このホテルを拠点に行動していた。わずか3カ月前のことだが、もう遠い過去の出来事のようだ。
あのときに比べると、我々の精神状態も、日常生活の有様も、実に落ち着き、平穏になったものだ。この穏やかな日々がしばらくは続いてほしいものである。
さて、今日はTaj West Endのマネージャー、ナターシャとランチミーティング。とはいえ、予定していたもう一人の参加者が急遽キャンセルとなったため、仕事の話はさておいて、単なる「ランチ」となった。場所はこれまで幾度か書いたことのあるヴェトナム料理レストラン、Blue Ginger。
思えば、我がホームページの最初のページにある蓮池の写真は、このBlue Gingerのそばで撮影したものである。
この店に、ランチタイムに来るのは初めてだ。ナターシャに勧められて、ランチセットを注文する。スープや前菜、主菜数種類が少しずつテーブルに供される。風が吹き抜けるダイニングは、ロマンティックな夜とは異なった、しかし華やかな情趣があり、非常に居心地がいい。
料理を味わいながら、先日のパーティーでの話、家族の話、仕事の話など、主にはプライヴェートの話題を語り合う。
デリー出身の彼女は、約7年間、デリーにあるTaj系列のホテルで働いたのち、3年前にバンガロア(バンガロール)に移った。ヒンドゥー教徒の彼女の、しかし夫はムスリム。異教徒同士の結婚は、インドにおいては国際結婚と同じほどか、それ以上に珍しく、また難しいこと。
イスラム教徒と結婚するには、そもそも「改宗」する必要があるのだが、彼女は思うところがあったのだろう、ムスリムにはならず、従っては結婚式も挙げることなく、夫婦となったという。
数年前に生まれた子供と3人で、今はこの地で暮らしている。ナターシャというまるでロシア人のような名前は、彼女の祖母が命名した。
話がストリートチルドレンの話題にのぼったとき、彼女は言った。
「わたしはもう、子供を産むつもりはないの。男の子がすでにいるから、あと二人ほど、女の子を養女にしようと思ってる。インドには、恵まれない子供たちがたくさんいるからね。経済的に許すのなら、そのあたりにいる子供たちをみんなまとめて、面倒見たいくらいよ」
インドの貧困、不遇な子供たちの存在について、インドのある程度豊かな人たちは、いったいどのように考えているのだろうか。これはインド移住前から気になっていたことである。
この問題については、さらりと書けることではないので、いままで触れずに来たし、今後も慎重に書きたいと思っている。だから今、ここでは深く触れないが、彼女のような意識を持ったインド人女性と出会えて、わたしは非常にうれしい。
海外からインドに移住した人の間で、ヴォランティアで子供の面倒を見る人は少なくない。それは、とてもすばらしいことだと思う。
しかし、根本的には、インドに永久に暮らすであろうインドの人々が、方策を講じて対応して行くべき、重要な問題だと思うのだ。他国人の情に甘えて、見過ごしているべき問題ではない。
なにしろ、この国の富裕層は、「桁違いの」豊かさなのだから。
たとえそれが小さな子供であれ、人間の面倒を見るということは、大いなる責任である。一過性の感情で接するには重過ぎる、大切な行いである。子供たちへの深い配慮と、「世話をし続けること」に対する、然るべき知識が必要だ。さもなくば、子供たちだけでなく、自分自身も、傷つく結果になりかねない。
ナターシャはインドから一歩も外へ出たことがないという。しかし、彼女の視点は、非常に「グローバル」だ。客観的にインドを見、自分ができることを、速やかに分析している。
このごろ、多くの人々と接して思うのは、「グローバル」とか「インターナショナル」といった概念についてだ。
たくさんの国を訪れた経験があるからといって、その人がインターナショナルな人だとは言い切れない。幾つもの国に在住した経験がある人でさえ、現地の文化に心を開かない人はたくさんいる。現地の人々に関わらずして、グローバルな思考は育まれにくいだろう。
表層だけを捉えて、すべてを知った気になっている人もいる。
一方で、一つを見て、まだ見ぬ百を予測できる人もいる。汎用性のある思考力で、世界を見渡せる人がいる。
経験を尊ぶ人、受け売りで満足の人、したり顔が好きな人、いろいろあるだろう。
わたし自身は、年齢を重ね、経験を積むほどに、身の程を知る日々が続いている。
敢えて謙虚になろうとしているわけでもなく、端から見ても、ちっとも謙虚な人物には見えないだろうけれど、自分自身の心根は、歳を重ねるごとに、まだ見ぬ世界の広さに、自動的に圧倒されている。
この国に暮らし始めて、悪しき点をこれからも、きっと見続けることになろうことは予測がつく。
しかし、こうして、強くしなやかな意志を持つ人との出会いがある限り、この国への敬意を、わたしは決して失わない。
いや、決して、失えない。