■■■ある晴れた日。シリコンヴァレーのオラクルで、エンジニアとして働いていたRajeev Samantは、会社を辞め、故郷のインドを目指した。そして1993年、ナシク(Nasik)にある家族の土地で、アルフォンソマンゴーの栽培をはじめた。
ナシクはムンバイ(ボンベイ)から120マイルほど離れた標高2000フィートの土地。インド有数のブドウの産地である。当時、Samantは、この地でワイン用のブドウがまったく栽培されていないことを不思議に思った。調査した結果、ナシクの気候はワイン用のブドウを栽培するのに好適な土地だということがわかった……■■■
上の写真は、これまでも幾度か記したことのある、インドワインのパイオニア、SULA VINEYARDSのワインである。ワインに関する詳しいことは、SULA VINEYARDSのサイトを見ていただくことにして、今日はこのワインをしたたか飲んだ午後であった、という話。
先日、輝け! ステンレスと題した記録に、我が家に遊びにいらしたマリコさんのことを記した。帰任間近のご両親を訪ねて現在、バンガロア(バンガロール)に滞在中。今週末にはここを離れるとのこと。
帰国の前にもう一度、ということで、 夕方、お茶にお招きしたのだった。
「お茶に」と言いながら、のっけから「ビールにする?」と酒類を勧める我。インドスナックやナッツなどをつまみに、日の高いうちからいい気分である。
彼女のご両親が初めてバンガロアに赴任されたのは7、8年前のこと。当時は今よりも町に牛や野良犬が多かったこと、アパートメントに猿が侵入してきたこと、毒性があるという真っ白いヤモリの噂(真偽のほどは定かではない)など、印象的なインド生活の話をあれこれと聞く。
つい数日前は、改装工事中の上階から大量の水が漏れて来て、床が水浸しになる大惨事に見舞われたとのこと。聞けば、上階の住人が、大理石であるフロアを、わざわざ剥がして木製のフローリングに変える工事をしているらしい。
大理石の床は、夏は涼しいし、清潔感はあるし、大理石が安価で入手できるインドならではの贅沢なインテリアなのに、それをわざわざ安っぽい木に変えるとは。
そういう「アメリカン」なムードが、今時のインド人夫婦の間ではやっているのかしら。勿体ない限りだ。勿体ない上に、そんな大掛かりな工事は、近所迷惑も甚だしい。
ところで、一昨日の月曜日、在バンガロアの日本人女性で構成されている「桜会」のお食事会があるというので、わたしも参加したのだった。「桜会」は、主には駐在員夫人で構成されている。
さて、ランチの折、新しいメンバーの自己紹介、というのがあった。わたしを含む6、7人のメンバーが起立し、挨拶をしていく。
「○○(会社名)の■■(名前)です。」
最初の人がそういったとき、ああ、駐在員夫人ではなく、自分の仕事で来ている人もいるんだ、と思った。でも、次の人も、
「○○(会社名)の■■(名前)です。」
と言うのを聞いて、気がついた。○○というのは、ご主人の勤務している会社だったのだ。それがわかった時点で、自分の立ち位置がひゅーんと音を立てて数百キロメートルの彼方に吹き飛ばされて行くような感覚に襲われた。
自分を紹介するのに、夫の会社の名前を言うのは、多分は全世界に散らばる日本人駐在員の夫人の間で共通していることである。しかし、噂には聞いていたその世界に、身を置いたのは初めてのことだったので、正直なところ、結構なカルチャーショックを受けた。
夫の肩書きが、人間関係と密接に関わり合うというのは、何かと大変ではなかろうか。
ところで日本のインド関連の書籍によると、インドではビジネス界でもカースト制度が根強く残って云々という記述を目にすることが多いが、わたしの見知る世界では、全くない。
わたしの家族、親戚、友人、夫の仕事関係者、誰一人として、カーストのことを意識したり口にしたりすることはない。
そんな環境にあって、むしろわたしは、夫の肩書きを意識せざるを得ないということのほうが、明らかに「階級制度」であると思われる。
最近はわたしも大人になったので、それは「不可避な現実である」ということも理解できる。が、率直に言って厄介そうだと思う。
とまあ、そんな話を、打ち明けられる方も困るだろうと思いつつも打ち明けつつ、自らの体験を語りつつ、杯を重ねる。
やがて、打ち合わせを終えたアルヴィンドが帰宅した。まだまだ日本語で話したいことがたっぷりあるというのに、夫はなぜだかご機嫌で、まるで当然のごとく、座に加わる。
更には、白ワインのボトルを持参して、積極的に我々にサーヴする。
「空きっ腹に飲むと、酔いが回るよ」
と、酒の強くない夫にはいつも警告しているのだが、夫は調子に乗って飲んでいる。白ワインを開け、赤ワインを開け、語り合ううちに、気がつけば9時近く。5時間ほども話していた。
キッチンでは、すでにモハンが夕食の準備を終え、待機している。今夜は、ラッセルマーケットで仕入れていたポムフレット(マナガツオ)を、マダム自ら「煮付け」にするつもりだったのだが、当然のごとく、料理する気分は完全に喪失しており、彼に調理してもらっていた。
なぜだかすっかりモハンのファンであるマリコさんに、最後に彼の手料理を食べて行ってもらおうと、夕食も勧める。モハンはいつも多めに調理してくれているので、一人くらいの飛び入りなら全く問題ないのだ。
夕食のテーブルにつこうとした時点で、夫は酔いが回っていることを自覚したらしく、ふらふらとベッドルームへ。そのまま意識が遠のき、ベッドになだれ込んだ彼をそのままにして、わたしとマリコさんは二人で食事。
女子同士で話したかったこともあり、これ幸いである。
それにしても、だ。モハン作のフィッシュカレー。見栄えは今ひとつだけど、旨すぎ。タマネギのほのかな甘みとトマトの酸味、スパイスの旨味がバランスよく調和して見事である。ちなみに、辛みは控えてもらっているので、非常にマイルドな味わいだ。ごはんが進む。
もう、わたしは完全に放棄したね。何をって料理を。最後の砦であった魚料理すら、こんなにおいしく作ってもらえた日には、もう、塩分のきつい煮付けなんて不要。
ヘルシーなスパイスで調味されたフィッシュカレーの方が、最早健康にもいいってものだ。マリコさんも気に入ってくれたようで、「これなら日本料理、いらないかも」の気分である。
やれやれ。これから先の人生、わたしは本当に、料理から疎遠になるんだろうか。ちょっと寂しい気もするが、こんなにもあっさりと、撤退する自分にも驚いている。あまり執着がないのね。我ながら。まあ、あと数カ月もすると、料理をしたいという欲求が芽生えてくるかもしれない。ま、そのときはそのときだ。
「もう、アルヴィンド、起きてこないと思うわ」
「そうですよね、もう遅いし」
「明日の朝まで寝てるだろうね」
などと話しつつ、食事を終えて、10時近くになったころ。モハンが、すでにテーブルから下げていた料理を、電子レンジで次々に温める音が聞こえて来た。自分の食事は、いつも片付けを終えたあと、冷えたものを口にする彼。なぜだか決して温めない、それが俺の哲学。
それはさておき、なぜ温めてるんだろうね、と不審に思いつつ、聞き耳を立てつつ、紅茶を飲んでいたところ、夫が、ベッドルームのドアを開け、「グッドモーニング!」と言いながら登場。
わ、起きて来た!
夫の登場と同時に、モハン、温めたばかりの料理をテーブルに供する。
ちょっとちょっとちょっと! どうしてわかったの? どうしてアルヴィンドが起きてくるってわかったわけ? ベッドルームはダイニングルームを挟んでキッチンの向かいにあり、だからキッチンからはベッドルームの様子は一切わからないと言うのに!
「どういうこと?! どういうこと?!」
「すごすぎる、モハン!」
モハンってば、透視能力、あり? マリコさんと二人で、興奮状態である。
食事を終えたあと、ご近所に住む彼女を、夫と二人で歩いて送って行った。夜の町は車も少なく、空気もきれいだ。
まだ酔いの抜けていない夫と、心地よい夜風を受けながらのんびりと歩く。
見上げれば、椰子の葉影の向こうに、くっきりと煌めく星々。オリオン座。
いい夜だった。