●眠り浅い一夜を経て、青、鮮やかな朝。
確かにベッドは堅かった。高級ホテルを除いては、インドの「ベッド事情」はよくない。藁のようなものをぎゅっと圧縮した、まるで畳のようなベッドや、硬い大型のスポンジといった態のベッドなど、他国には見られぬ個性的商品が主流だ。
藁圧縮ベッドはしかし、堅い分、背骨にもいいと聞いている。聞いているが、母には硬すぎたらしい。それに加え、マイソールへの道中に見た風景に、少々、精神が高ぶり、さらには年季の入ったホテルが「怖かった」ようで、どうも熟睡できなかった様子。
2泊の予定で宿にも予約を入れていたのだが、我が家のベッドが恋しいとのこと。1泊で帰りたいという。そもそも、二日続けてのドライヴだと疲れるだろうとの配慮から2泊にしていただけで、母さえドライヴに問題がなければ1泊でも十分だ。今日はパレスを見学して帰ることにした。
それにしても、今日の空は雲一つない晴やかさ。朝の風はまだ軽く爽やかに、朝食のテラスに吹き込む。母がまた、朝食のテーブルで作文を記したので、ここに。
●母の作文(4) 3月12日 眠れぬ夜。
百年以上、時間を重ねて来たホテル。光が差し込む部屋のガラス窓は、見たこともない色彩に彩られ、小花の模様がとてもかわいい。
部屋も整い、ベッドが少々堅いと思っていたが、シャワーもすませ、眠りに着いた数分、いや数十分後からパタッと目が覚め、眠れない。
昼間、車中から見た葬列の様子、そして驚くことにジョン(亡くなった夫のニックネーム)の死に顔、悲しいと言うわけでもないけれど、思い出されて眠れない。
2泊の予定をわがまま言って、1泊で帰ることにした。
今年の5月27日はジョンの三回忌。次女のあゆみもインドに来るので、長女と3人で一足早い三回忌をしたいと思う。わたしたちを愛してくれ、愛したジョンの法要です。
彼は日蓮宗で、日本の平和の日(広島)には、インドより訪れるお坊さんを、三度ほど我が家にお泊めして、食事など、もてなしたことがあり、インドにはひとかたならぬ思いが……。
そんなインドで彼の三回忌を思い立つなんて。人生には次々と思いがけないことが展開するものだ。少々、年を重ねたせいか、身体と精神のバランスを保つのが難しい。
しかし、誰もそうそう経験しないであろうことがらに、いまチャレンジしている気分は悪くない。日本でいえば、5月か10月ごろのそよ風が吹いて、心地よい。テラスで朝食をすませ、のんびりとペンを走らせている。
いろんな人たちが次々と朝食に訪れて来る。日本人はわたしと娘の二人。世界はなんと平和なんだろう。グローバルな気持ちになってみた。
ヨガをする一行が来た。皆さんスリムで、男女ともちょっと違う雰囲気を醸し出している。この近くにヨガの聖地があるらしい。広い庭にはパラソルがいくつもたてられ、若いカップルが朝食をするらしい。一瞬、インドにいることを忘れる。
さあ、今日はパレスに行く。楽しみだ。雲ひとつない、青い広い空。
●思い出しながら、じわじわと癒されてゆく
父の死後、母が心中に封印していたものが、今になってようやく、少しずつ解き放たれているように思う。いたたまれぬほどの強烈な痛みや、激しい情念を伴う時期を過ぎて、やがては静かな心の疼きや、遣る瀬なさに変わるころ。
癒されていく過程にあるのかもしれない。それは、日本とはまったく異なる、母の日常からは隔絶したこの地であるからこそ、比較的速やかに、流れてゆけるものなのかもしれない。
マイソールは、芳しき香り漂わす白檀(サンダルウッド)の産地でもある。「無宗教」で通して来た我が家には仏像のひとつもないけれど、三回忌と、インド訪問を記念して、帰りに白檀で作られた仏陀像を買って帰ろうということになった。