母の来訪から早くも十日が過ぎ、この町は、日一日と、夏色を濃くしてゆく。昨日、20ルピーで買ったバラの花束は、晴れやかに部屋の一隅を飾っている。
数日前、母の夢に父が現れたという。父が他界して、5月で丸2年。父が夢枕に立ったのは、初めてのことだったらしい。
と、そんなふうなことを、母につぶやいたという。父は多分、時期を見計らって、現れたのだろう。
母を見ていると、父に守られているな、と思う。ワシントンDCや、カリフォルニアや、この地に、母を招いて、ともに過ごせる機会が今、わたしに与えられているという事実もまた、その証のひとつだろう。
夫の仕事のこれから、自分の仕事のこれから、わたしたちの家族のこれから。さまざまな懸案をひとまずは保留にして、この宙ぶらりんの時期を、遊ぶみたいに暮らせるのもまた幸運。
今日も午後にはまた、ショッピングモールなどに出かけ、夜の7時に帰宅をすれば、夕餉のいい香りがすでにキッチンからあふれていて、水が出され、茶が出され、部屋は片付いていて、洗濯物にはアイロンがあてられ、それが当たり前でなかったからこその、ありがたさ。
この国の不便や不幸や不都合は、数えきれぬ程にあるけれど、主には幸運だけを指折り数えて過ごすのがいい。
ただ、一日、一日を、大切に。
わたしが、わたしであることも、大切に。
父や、小畑さんも、見ている。