●食材と花の集まるところ。大喧噪・大混沌市場をゆく
こうして写真にして集めると、毎日あれこれと盛りだくさんのように見えるけれど、しかし母が来たから敢えて、何か特別なことをしているのではない。インドに移住して以来、「旅するような日々」を送っており、日々が新鮮なのは事実だけれど。
一日数時間、外出するだけで、変化に富んだ濃密な時間を過ごせるのは、ここがインドであるせいだ。
今のところ、母はバンガロアに「好印象」を抱いている。爽やかな気候、豊かな緑、そして我が家のリゾート的ムード。すっかりインドの「極楽部分」ばかりを享受しているので、今日はそんな甘え心に「喝」を入れるため、シティマーケットへ連れて行くことにした。
母に喝を入れる必要は、ないといえばないのだが、何事もバランスが大切だしね。インドのいい部分ばかり見たのでは、見方が偏ってしまう。せっかく「暮らすように旅している」のだから、暮らしの実態のごく一部でも知るべきだろう。
そんなわけで、今日の午後は、ウマやスジャータや昨日のディピカやバンガロア生まれのアニタらさえも行ったことのない、例の大喧噪市場「シティマーケット」へ母を連れて行った。「危険な場所」へ連れて行くつもりは毛頭ないが、市場は「汚い」だけで「危険」ではない。はず。
すでに先日ラッセルマーケットへ行き、「免疫力」をつけておいたが、しかしシティマーケットの混沌はラッセルマーケットの比ではない。長袖長ズボンに歩きやすいスニーカー、大きめのハンカチにマスク持参という物々しい風情で車に乗り込む。
長居をせず、「ほんの少し雰囲気を味わう」程度に、まずはフラワーマーケットの一帯へ。なぜだかどうしても、写真だときれいにみえるのだが、実際、花はきれいであり、しかし環境は猛烈に汚いのだ。母は、あまりの喧噪に茫然としつつ、わたしとモハン、クマールの警護のもと、じわじわと歩く。
いや、クマールとモハンは、「こんなところに母親を連れてくるとは、マダムもまったくよくやるよ」といった感じの呆れムードをそこはかとなく漂わせている。それにしても、花が安い。一束10ルピーの激安バラを買う。
暑さに弱いらしい母は、大した暑さとも思えないのだが、マスクをしていたせいもあって、汗をかいている。「もう、市場は十分に堪能した」とのこと。でもちょっと待ってね。食料も買って帰るから。
真剣にピーマンを選定している家政夫モハン。野菜や果物をたっぷりと買う。先日、ディピカ手作りのココナツミルク風味カレーがおいしかったので、ココナツを買おうよと提案したが、渋い顔をされた。「ひとつ?」などと聞かれる。たったひとつ、買ってもね〜。わかったよ。買わんでいいよ。
北インドな彼は、南インドのなんでもかんでもココナツミルクな料理が気に入らないのだ。このあいだは、スイートポテト(サツマイモ)も却下されたしな。
でも、帰りしな、車窓からマダムの好きなインドの硬いトウモロコシを見つけて、窓を開けて店の人を手招きし、わざわざ買ってくれたので、我慢しよう。
さて、インド庶民派市場の迫力に気圧されたあとは、ちょいとお茶菓子を買いにK.C. Dasへ。
我々の好物ミルク菓子はいくつかあるのだが、今日は母も気に入った例の素焼きのつぼ入りヨーグルト「ミシュティ・ドイ(ダヒ)」及び、「ラスマライ」を買う。ついでに、ちょっと味見を兼ねてティータイム。母はすっかり化粧もはげ落ちて、へとへとの態なり。が、これもまた、いい経験である。
甘い物好きの母ではあるが、インド菓子の甘さには驚いている様子。わたしはすでに、この手の甘さには慣れてしまっており、かなり「ウェルカムな味だ」と思っているのだが、まだ母には刺激が強すぎたようだ。
なにはともあれ、お疲れさまでした。
●マイソールのマハラジャ主催のファッションショーを見に、パレスへ。
昼間とは打って変わって、夜はバンガロアパレスで行われるパーティーへ。マイソールのマハラジャ(の末裔?)の誕生日を祝するパーティー兼その妻が経営するファッションブランドのファッションショーが行われるのだ。
OWC(Overseas Women's Club)のメンバーには自動的に招待状が届くので、これはいい機会だと母親と出かけることにした次第。わたしは毎度のサリーを着用、母は先日、サリー店であつらえたサルワールカミーズを初着用。光の当たり具合で光沢や色味が微妙に変化するのが麗しい。
サリー用の布地を有効に利用したデザインで、個性的な仕上がりとなっている。布、仕立て込みで80ドル程度。この値段でこのゴージャスな雰囲気は、なかなかのものではなかろうか。わたしもサリーだけでなく、かようなドレスを作ってみたくなる。
さて、母が立っている場所は、ディズニーランドではない。バンガロアにいくつかあるパレスのうちの一つで、我が家のご近所である。このパレスの横に特設された巨大なテントにて、本日の宴は開かれた。
軽く千人は収容できそうな大規模な会場では、ファッションショーのための特設ステージ、それからディナーのための料理が用意され、バーコーナーもある。7時45分に開場とのことだったので、8時半くらいには開演だろうと思っていたが、ここはインド。
スナックやドリンクが供され、知人らと会話をするのも悪くないが、待てど暮らせどショーは始まらず。ついには9時半を過ぎてようやく、アナウンスが入り、ショーの開始。
母と人々のファッションウォッチをしながら、特別席に座る人々を眺めていたところ、白地にビーズのパンジー柄の、へんてこなサリーを着た夫人が現れた。「あれ、へんよね〜」と意見が一致した矢先、彼女が本日のショーの主催者であるファッションブランドのオーナーだということが発覚。つまりマハラジャの末裔の妻である。
一気にファッションショーへの期待がしぼむ。が、晴れやかな音楽とともにモデルたちが登場すると、否応なく雰囲気は高揚し、衣類よりも彼女たちの美しさに目が釘付けで、心ときめく。
左はインド系シンがポーリアン夫妻と母。彼らは1964年から十年間、神戸に住んでいたのだとか。夫のヴィアは日本語を少し話せるが、妻のプラバはほとんど話せず。それでも母と少しコミュニケーションが取れていた。
写真中央に見えるのが、マハラジャ夫妻。なんだか、少しもすてきじゃないカップル。とはいえ、本日、このようなユニークな場に招いていただき、感謝である。お誕生日おめでとうございます。
なぜだか男子は半裸なファッションばかり。セクシーな男子の姿を見るのはやぶさかではないが、しかしなにゆえに、半裸? 村人スタイル?
時計が10時半を回っても、ショーはまだ終わらず。空腹に耐えかねている人が料理を食べ始めていたので、わたしたちも立ち上がって料理を眺めるが、夜遅くに食べるには重そうな料理ばかりだったので、帰宅することにした。
すでに11時に近く、モハンも就寝していたので、母には夫の夕食の残り物を温める。心おきなくキッチンを使えて、なんだか妙にわくわくしており。わたしは、先日お向かいの駐在員夫人よりわけていただいていた「日清チャルメラお徳用パック」をゆでたりなんかする。そうして母が持参した海苔をたっぷり載せたりなどする。
こんなジャンキーな夕食を食べるなんて、いったいいつ以来だろう。不健康な感じが妙においしくて、楽しい。ふふふ。御免よモハン。
振幅の激しい、濃い一日だった。次にラーメンと作るのは、いったいいつのことだろう。