インド移住後、半年余り。最初の数カ月は引っ越し直後で慌ただしく、それに加えて国内旅行も多く、落ち着いたかと思えば義理両親来訪、日本母来訪、日本妹来訪、一カ月香港&米国旅、パーティーなんやらかんやらで、家政夫モハンの存在は限りなくありがたかった。
彼とは「言葉が通じない」という問題があるにせよ、気が利くし、料理もうまいし、性格もよさそうだし、信頼が置けるしで、わたしは非常に幸運だと思っていた。いや、今だって、幸運だと思ってはいる。
が!
ここ数週間、我々の生活に落ち着きが見られ始めたあたりから、今度は、モハンが四六時中、家の中でうろうろしていることに、落ち着かなくなってきたのだ。
「まあ! なんて、身勝手なマダムなのかしらっ!」
と、モハン派なあなた、どうか憤慨しないでほしい。
移住当初は、諸々の「新しい出来事」に混ざって、使用人の登場も興味深い関心事の一つであった。あらゆる関心事は、やがてはなじみ、日常に溶け込んでいったが、「四六時中使用人がいる」という事態は、うまく溶け込めないまま、弾く油の滴となりつつあるのである。
どうしたもんだ。
およそ3歳児時点から、わたしはなにかと「独立独行」の女だった。自分のことは自分でやる、が基本の人生だった。さらには、多分平均以上に、「一人の時間」「孤独の空間」を欲する傾向にある。
人と話すのは楽しいし、話せば人並み以上にしゃべるがしかし、その分、寡黙な一人の時間も好む。夫であるアルヴィンドとでさえ、しばしば距離を置きたくなり、彼が出張に出かけた際などの、しんとした家全体の空気というものが、実はとても好きである。
それは、アルヴィンドが鬱陶しいとか邪魔だとか煩わしいとかうざったいから。という訳ではない。一人で過ごすときの、人と一緒のときには得られない、心の平穏を、好むのである。
ところが、住み込み家政夫モハンの出現により、その時間が完全に失われてしまった。ということに、数週間前に気がついた。
彼は、働き者である。彼の働きに関しては、ほとんど不満はない。そりゃ〜、「几帳面な日本人」を基準に考えれば、あれこれと小さな問題点はある。が、米国暮らしで適度に「大雑把」になったわたしに、それらは取るに足らない不満である。よほどの問題がない限りは、黙認している。
むしろ、落ち着きないほどパタパタと歩き回り、テキパキと働かれるからこそ、今度はわたしが、落ち着かなくなったのである。
生まれたときから、家に他人であるところの使用人が常駐している環境にあったなら、違和感はなかったかもしれない。しかし、わたしの出自は日本の庶民である。実は違和感、たっぷりである。
以前も書いたが、モハンはそもそも料理人である。料理人は通常、料理だけを主にやる。掃除人や洗濯人は、その職種が異なるため、普通、別の使用人を雇うのが常である。
ところが、モハンは「一人でいるのが好き」らしく、他の使用人とのトラブルなども避けたいらしく、自ら「すべて自分にやらせてくれ」と申し出てきた。それゆえ、他の使用人を雇っていないまでである。無理に押し付けたりはしていない。
また、彼が自ら申し出た月給よりも多めに、我々は支払っている。その他、ことあるごとにお土産を買って来たり、お誕生日のプレゼントを上げたり(普通は有り得ぬらしい)、わたしなりに、気を遣っている。彼にとっては「働きやすい職場」であるには違いないと思う。
マダムの友達が来た日には、「あ! モハンさ〜ん!」などと声をかけられたりなんかして、ちやほやされたりしてるし。彼にとっては「幸せな職場」であるとも思う。
ちなみに、モハンの誕生日は、以前わたしがさりげなく、聞き出しておいたのだった。そしてそれは昨日であった。FabIndiaでおしゃれなシャツを2枚買い、石けんやシャンプー、歯磨きなどのセットを半年分ほどまとめて用意した。アルヴィンドと一緒にプレゼントしたら、非常に喜んでいた。
わたしが以前、彼に聞いたところによると、自分は37歳で妻は35歳だと言っていた気がしたが、昨日アルヴィンドが聞いたら、40歳になったという。同じ年じゃんわたしと! 無論わたしはもうすぐ41だけどさ。
つまり、我々の意思の疎通とは、数字すらうまく伝わっていないと言ういい加減なものであった。誕生日自体は間違っていなかったので、まあ、よかったといえばよかった。
そんなわけで、わたしもそれなりに、いいマダムであろうとは思っているのよ。
ところで、彼の一日の行動を記してみるに、まず朝、わたしたちが起きる15分前、つまり6時半には別室の使用人部屋(玄関は我が家と別だが、隣接している)からやってきて、各部屋の窓を開け、朝食の準備を始める。
午前中は、朝食の準備に、ベッドメイキング、掃除、洗濯。そしてランチの準備。ランチが終わったあと、2、3時間は休憩。彼は昼寝をしているようである。
夕方、洗濯物を取り込み、アイロン掛けをして、夕飯の支度をはじめる。ゲストを招いたときはお茶を出したり片付けたり。仕事を終えたあと、自分は冷めた夕飯を食べる。電子レンジで温めたらと提案したが、頑に冷めた飯を食う。それが俺の哲学。
毎晩、キッチンを完璧に掃除をしたあと(床拭きも含む)、我々にお茶を出し、各部屋のカーテンを閉じ、"Good night, sir" "Good night, madam"と言って、10時頃、部屋に戻って行く。
この半年間、無遅刻無欠勤である。
なんだか書けば書くほど、非の打ち所がないな。そしてわたしの立場がないな。
ともあれ、わたしが家にいる日は、ランチの直後の数時間以外、ほとんど丸一日、彼と一緒にいることになる。これはなんというか、過剰なのである。
書き物の合間、読書の合間、自分で立ち上がって、お茶を煎れたり、茶菓子を用意したりするのもまた、気分転換であり、必要な動作である。しかし、台所には彼がいて(なにしろ彼の城だもの)、わたしが入った途端に椅子から立ち上がり、茶の準備をしてくれるのである。
ふむ。これも、少しも悪いことではなく、とてもいいことであるとしか、思えんな。
しかしながら、「お願い、わたしにやらせてよ」「わたしをひとりにして!」と言いたくなる気持ちを、わかってくれる人なら、わかってくれると思うのだがどうだろう。
たとえば外から帰ったとき。たとえば深く考えごとをしながら玄関ドアをあけ、静かに部屋に滑り込みたいとき。しかし、玄関のドアを開けたその音を聞きつけたモハンは、すぐさま水をコップに入れ、トレーに載せて参上するのである。
ふむ。これも、少しも悪いことではなく、とてもいいことであるとしか、思えんな。
しかしながら、「水なら要らん!」と言いたくなる気持ちを、わかってくれる人なら、わかってくれると思うのだがどうだろう。
こんなわたしは、単なる我がまま贅沢者?
たまにはわたしも、キッチンに立ちたい。料理をしようと思う。けれど彼はいつだってわたしのそばで、わたしの作業を凝視している。庶民派インド人は、車間距離ならぬ人間(じんかん)距離が非常に狭いから、平気でわたしの半径1メートル以内に立っている。近過ぎるってば!
たとえばわたしの使用するオリーヴオイルは、「高級品」とみなされ、通常、奥の収納棚におさめられている。わたしがキッチンに立つと、それを取り出して来てくれる。しかし、わたしがフライパンにちょっと振りかけると、まだ使うのにも関わらず、モハンはすぐさま、奥の収納棚に片付ける。
たとえば材料を切って入れておいた小皿も、わたしがフライパンに材料を入れたそばから、奪い取るようにして洗う。次の小皿も、奪い取るようにして洗う。バターも、とっとと冷蔵庫にしまわれる。塩こしょうも棚に戻される。
「あ〜もう、せからしか〜っ!!!」
っちゅうごあるったい!! 意味は博多弁使用者に聞いちゃってんない!
米国時代、ワインでも飲みながら、る〜らら〜と料理をしていたころが、懐かしい。たとえば2003年9月26日など。
ところで、モハンには、これまで何度も、「週に一度は休みをとって」と提案してきた。しかし、彼は休みたがらないのである。休んだところで、することがないようである。
でも、わたしは、彼に休みを取ってほしいのである。そして、わたしに、好きにさせてほしいのである。
「休みを取ったら? 気分転換になるし。映画でも見に行ったら?」
そう言って、映画代をまで出すと、わたしは提案をしたのだ。でも、彼は言うのだ。人ごみは嫌いだし、映画も興味がないと。そして言うのだ。
「マダム、ノープロブレム」
と。いやいや、あなたにノープロブレムでも、わたしにゃビッグプロブレム。
そんな蓄積の果てに、本日、ヴァラダラジャン宅への派遣となったのである。
で、わたしは久々に、静まり返った家で、静かに午後を過ごし、夕飯を作り、アルヴィンドと夕食を済ませ、茶碗を洗い、9時頃になってお茶をいれ、ほっと一息ついてリヴィングルームで本を開いていた。
ら、モハンがヴァラダラジャン家から戻ってきた。
戻って来たら、わたしの片付け方が気に入らないのか。あっちの鍋をこっちに置き換え、「自然乾燥」させていた茶碗をがちゃがちゃと拭き始める。徹底的に「俺の城、俺のルール」を遂行する男。
「明日でいいから」
と言っているのに、「ノープロブレム!」と言って、無闇に猛スピードで部屋を行き来し、カーテンをシャーシャー締めたり、ベッドを直したり、やること大してないのに忙しそうで、空気が急に攪拌される。
彼が悪い訳ではないの。ただ、わたしは、他人の混ざらない空気を、ひととき味わいたいだけなの。
アルヴィンドは、わたしによりもモハンに気を遣って、うまく説明してくれないので、こんどスジャータに相談しようと思う。
だって、これから先、インドにずっと暮らすことになったら、使用人ともずっと付き合って行くことになる訳で、モハンとは、ともに50、60と、年を重ねて行くことになるかもしれないのだ。そう考えると、怖いのだ。
なんだか、随分と、書き込んでしまった。
よほど、言いたかったみたいね。わたしってば。
優雅マダムでいるのも、なかなか大変だわね〜。てへ。