今日は金曜日。東京滞在中、わずか2日しかない平日の1日である。午前中は、某大手広告代理店へ訪問。といっても仕事ではない。とある「ご縁」で、十数年ぶりに、かつて一緒にお仕事をさせていただいていたS氏と再会することになっていたのだ。
わたしは大学卒業後、すぐに上京し、以来8年間を東京で過ごした。その8年間は大きく3つに分けられる。
旅行ガイドブックの制作プロダクションに在籍していた最初の2年半(東京時代第一期)、創立まもない小さな広告代理店に勤めていた次の2年半(東京時代第二期)、そしてフリーランスのライター兼編集者だった3年間(東京時代第三期)。
S氏とは、第二期に出会った。S氏の勤務する会社は、我々のクライアントであり、我々はいわば、「実動部隊」であった。
今振り返るに、わずか2年余りだったとは思えぬほど、それは濃密かつ有意義かつ、散々な日々でもあった。よくもまあ、あんな無茶な仕事をしたものだと、今になって思う。そういう無茶をしている人が、この国にはあふれているとはいえ。
そんな時期を共有したS氏のことは、時を隔てた今なお、鮮明に覚えている。
わたしが編集者人生史上最悪のミス(クライアントの社名誤植事件)をおかしたのもその時期だった。滅多なことではくじけぬはずのわたしが、食欲を失い、体重が減り、声が小さくなり、「救心」(動悸・息切れに)を携帯するなど、結構な泥沼精神状態に陥っていた。
なにしろ、25歳だった。猛スピードで仕事を身につけていたとはいえ、25歳。わたしでさえ初々しかった25歳。著しく追いつめられ、自信を失っていたとき、S氏がさりげなく言ってくれた言葉を、わたしは今でもはっきりと覚えている。
「坂田さん。確かに、これは大変なミスだったけど、でも、誰かが死んだわけじゃないんだから」
森高千里の大ファンだったS氏。今ひとつ、実態をつかめきれなかったS氏のその一言が、わたしをどれほど救ったかしれない。
27歳でフリーランスになって以来、わたしはS氏とお会いすることはなかった。
さて、今回。指折り数えてみれば、実に14年ぶりの再会である。最近は、「奇抜なファッションで出社している」ことで知られているというS氏。
本当に奇抜なスーツ姿で登場してくださった。「サリー着用で応戦するべきだったか!」と悔やまれる、それはそれは個性豊かなビームを放ちていらっしゃる。
社内のカフェへ案内していただき、コーヒーを注文した後、S氏はマンハッタンのEAST VILLAGEあたりに売っていそうなカートゥーン的デザインのバッグから、「無印良品」の「らくがきノート」を取り出し、ツーッと縦横に数本の線を引いて「略式年表」を作り、ご自身の今日にいたる変遷を的確に説明してくれた。
そうして、わたしにもまた、年表に書き入れるよう促し、これまでの経緯を語らせてくれるのだった。
なんだかよくわからないが、とてもうれしかった。
あのころの自分を、こうして回想し、懐かしく共有できる人と束の間、再会することができ、色々な人に支えられて自分がここまで来ていることを、身にしみて感じた。
少々抑え気味に、しかしインドを熱く語り、「インドへいらっしゃる折にはぜひご連絡をください!」と熱を込めて訴え、おいとましたのだった。
In the morning, I visited an advertisement agency and met Mr. S. I used to work a small advertising company when I was mid 20th, and his firm was one of my company's clients.
It was really busy period for me. I was editing a monthly booklet, alone. At the same time, I had to go to 2 different countries for every 2 months. Traveling, editing, planning, proofreading, printing……
I had to manage several operations at once. It was a great opportunity for my career but of course, it was extremely tough situation.
Once, I made a very serious mistake because of my careless proofreading. I was deeply upset and depressed. I couldn't eat well, lost weight and lost smile. I was stressed out for a while.
At that time, Mr. Sugiyama didn't blame me but said “Sakata-san, It was actually a big mistake. However, NOBODY DIED through about this matter. Well, that it.”
I really got help from his comment.
Anyway, Mr. S appeared with unusual colorful business suit. He is well known that his the startling fashions by the people around him. I thought I should have wear a shiny saree and compete with him!
(left) The dining area of the hotel where I am staying in Shinagawa. The hotel is very nice. (right) A carrier of coffee cream company "Sujata"!
S氏に別れを告げた後、今度は六本木へ。東京時代第三期、ともに仕事をしたサカエさんに会うのだ。彼女のことは、これまでにもメールマガジンなどで幾度も記した。彼女が出版していた四カ国語(日英中韓)情報誌"We're"の編集を、わたしは一時期手伝っていた。
彼女自身は在日コリアンで、夫のオーランドはコロンビア系アメリカ人。長女のリアちゃんは、"We're"が休刊になった直後、そして長男のアキラ君はわたしが渡米する直前に誕生した。
アキラ君の年齢は、即ちわたしが日本を離れていた歳月である。
六本木の明治屋で待ち合わせる。学校がお休みのアキラ君も一緒だ。すっかり大きくなった彼を見て、深く感じ入る。3人で六本木ヒルズにあるレストランへ向かう。
通された席へ向かうと、なんと隣席にオーランドが! 偶然にも、彼はランチミーティングを同じ場所に選んでいたのだ。彼にも再会でき、本当によかった。
現在、主には翻訳の仕事をしているサカエさん。しかし翻訳以外の仕事もできる彼女。ここ数年は、「なにか一緒にやろうよ」と言いつつも、なかなか実現しないでいる。
アキラ君が成人してしまう前に、また一緒に仕事をしたいものである。
Afterwards, I headed to Roppongi to meet Sakae who I used to work together. She was with his son Akira and we went to a restaurant in Roppongi Hillswhich is a business and entertainment complex.
A Maitre D' took us to an table. At the next table, we found Sakae's husband Orlando! He was waiting for a business friend to have a lunch meeting. It was unique coincidence and really nice to meet Orlando, too.
ランチを終えた後は、銀座へ。銀行口座の諸手続きなどを行った後、「インド政府観光局」へ。資料を受け取るほかにも思うところあって、敢えて足を運んだのだが、案の定、手応えはなく。
このごろは雑誌などでも、これまでとは異なる側面からインドを捉えた旅行への誘いが見られるが、それでも、「貧乏旅行」「バックパッカー」「ガンジス川で沐浴」関係の情報が圧倒的に多い。
この方面に関しても、これからぼちぼち、わたしにできることを考えて行きたいと思う。
After lunch, I went to Ginza, and walked around the town. Ginza is one of the biggest prominent commercial avenues in Tokyo. There are lots of department stores, fashion boutiques, restaurants, bars, and art galleries.
(left) Main street of Ginza. (right) "Kimuraya" is one of the most traditional bread shops in Japan.
(right) A young guy is talking to a mendicant priest.
街を歩いた後、去年訪れて気に入ったフットマッサージ「烏来(ウーライ)」へ。ここで1時間、リフレクソロジーを受けて気分すっきり。三越や松坂屋などのデパートメントストアを軽く巡る。
その店内の、白い明るさ。あふれるほどの物。それぞれの、品々の、高さ。行き交う人々の、衣類の美しさ。高価さ。
そして夜は、再び恵比寿へ。今夜はニューヨーク時代の友人、ミチルちゃん(ミチルっち)と夕食。ミチルっちは、雑誌や広告業界で活躍しているメイクアップアーティスト。ニューヨーク時代初期、共通の友人を通して知り合った。主には「遊び」で会うことが多かったが、一緒に仕事をしたこともある。
彼女と彼女の夫は、ヨガやアーユルヴェーダにも興味があって、わたしたちがインドに住む前に、すでにバンガロール郊外のアーユルヴェーダ道場(アーユルヴェーダグラム)にも行ったことがあるという、かなりの「本格派」だ。
ミチルっちが連れて行ってくれたのは、祐天寺にあるMARGOという小さなカフェレストラン。マリコさんという女性がひとりで切り盛りするアットホームな店だ。ワイングラスを傾け、素材の旨味が生きた、飾り気のない、けれど味わい深い料理の数々を味わう。どれもおいしい。特に、シイタケの風味が生きたブルスケッタが気に入った。
In the evening, I went to Ebisu again, and met Michiru who is a makeup artist. We first met in N.Y. in 1997. She used to live in N.Y. a few years. She went to India a couple of years ago with her husband. They are interested in Yoga and ayurveda so they went to Ayurvedagram in Bangalore. After the trip, she changed her eating habit, and she became a vegetarian.
We had nice dinner at a cozy restaurant which is owned by a young lady Mariko. Her dishes were healthy, lovely and tasty. We had a nice evening with nice meal and red wine.
とりとめなく話すうちにも時は過ぎ、夜。品川の駅に着く頃には11時半となっていたが、駅周辺は人ごみであふれている。
仕事帰り、あるいは仕事のあとの付き合い帰りの人たちが、駅に流れ込むように続々と。
こんな夜遅くまで、スーツ姿で、東京の、日本の、働く人々は、本当にお疲れさまだ。
みんな、もうちょっと早く、家に帰った方がいいのではありませんか? と声をかけたくなるほどに。
今日もまた、とてもよき、一日だった。
It was almost midnight when I came back to the hotel. Even though, a lot of business people were walking around the station area.
You guys are working too hard!
Go back home soon!