クリケットはインドの国民的スポーツである。日本であれば、野球やサッカーや相撲など、人気スポーツにもさまざまあるが、インドはひたすらクリケット。老若男女、社会階級を問わず、全国民が一丸となって熱血するスポーツである。
クリケットはそもそも英国発祥のスポーツ。従っては英連邦国や、「かつて英国植民地下にあった国々」において非常に盛んで、トーナメントの出場国を観ているだけで、「大英帝国華やかなりし頃」がしのばれるというものだ。
そのクリケットの、4年に一度のワールドカップが、現在行われている。人々はもちろん、観戦に夢中になるから、試合の流れによっては、それでなくても速やかに機能していないインド社会が、更に機能しなくなってしまうのである。
思い返せば4年前のワシントンDC時代。米国でクリケットのワールドカップ中継を観るためには、特殊なケーブルを設置しなければならなかったのだが、我が家では取り付けが不可能であった。
それを知ったアルヴィンドは、たとえそれが平日であれ、たとえそれが深夜1時からの試合であれ、試合が観られるという「インド料理店」や「インド人のための公民館のようなところ」へ、観戦へ出かけていた。そうして夜明け前に帰宅したりもしていた。
普段は「睡眠は8時間!」と宣言している男が、驚くほどのパッションを見せてくれたものである。
そして4年後の今、こうして母国で、自由に試合を見ることができるようになった。
さて、インドの初戦相手は「弱小チーム」のはずだったバングラデシュ。そもそもここは、パキスタン同様、インドと同じ国であったが、英国からの独立時、イスラム教国であるパキスタンとして誕生した。
しかし、現パキスタンである西パキスタンと、この現バングラデシュである東パキスタンは対立し、71年に独立したのである。
つまり、バングラデシュとは小さく、インドにとっては「地方都市」程度の存在感であり、従っては誰もが初戦のインド勝利を疑っていなかったのである。(義兄ラグヴァンは疑っていたらしい)
ところが土曜の夜。そのバングラデシュにインドが負けてしまったものだからたいへんだ。今朝の新聞は、その話題でもちきりだった。まさに、「衝撃と怒りが国中を駆け巡っている」事態がレポートされている。
上の写真の、サリー姿のおばさま方は「インドチーム、帰って来い! わたしが(かわりに)プレイする!」というプラカードを掲げて、バットを振り回すデモンストレーションをなさっている。
なにしろ、クリケット選手たちは国民的英雄で、憧れの的でもある。彼らに夢を託す人々もたくさんいるのだ。しかしそれが裏切られたとわかったら、容赦なく攻撃する人が多いのだ。呑気そうに見えて「一触即発」なメンタリティなのだ。
クリケット選手の建築中の自宅が破壊される騒ぎも起こっているようだ。
非常識なのだ。
試合の惨敗は、広告主たちにとってもかなりの痛手。
クリケットの試合で動く広告費用は、米国のスーパーボウルとまではいかないだろうが、ともかく莫大である。試合の勝敗によって、経済効果にも大きな動きが出るのである。
さて、The Times of India には、今後の展望として、「もしも」の例がわかりやすく挙げられている。
「もしも」インドが次のバミューダ戦に負けたら……
「もしも」インドがスリランカに勝ったら……
と続くのだが、最後に
「もしも」インドがスリランカにもバミューダにも負けたら……我々のワールドカップは終わり。
とある。もう、初戦から、なにやら「しょんぼりムード」である。
それよりも強烈なニュースがあった。
お隣パキスタンも、インドと並んでクリケット命の国である。そのパキスタンが、初戦は英領西インド諸島に負け、2戦目は弱小アイルランド(試合日はセントパトリックスデーだった!)に負け、敗退してしまったのだ。
敗退したその夜、パキスタンチームのコーチ(英国人)は、ホテルの自室で倒れ、意識不明となり、心臓発作か脳の障害(メディアにより報道がまちまち)で、なんと亡くなってしまったというではないか! 上の新聞の右側の記事がそれである。
なんともはや。猛烈なストレスとプレッシャーだったに違いない。
更には、ニュージーランドに負けた英国チームの選手らが、その晩、「くさくさしていた」のか、大酒を飲み明かし、羽目をはずしたのか、その罰として副キャプテンが試合出場停止を言い渡されるなどの人間模様が展開されている。
そんなわけで、興味もなく、ルールも知らないクリケットの話題を、延々と書いてしまった。
一応、インド在住者として。