タイル工事を巡って。お金の問題、貧富の差についてなど、思うところあれこれとあり、綴りたいことが山ほどだが、原稿の締め切りもいくつか迫っていて、優先順位はこちらが低い。
が、どうしても綴っておきたいところだけを、急ぎ記録しておく。
タイルワークのトラブルで、わたしはまた少し、インドのことを「身を以て」学んだ気がする。
結論からいえば、いい加減な仕事しか出来ないタイルワークの業者も、子犬おじさんも、「貧しさ」と「教育のなさ」が、絶望的なまでに、人生を支配しているということだ。
あれこれと領収書をかき集めて内容を確認をし、計算をし直したところ、子犬おじさんは自分がコミッションを受け取っているつもりで、実は計算の間違いをもしていて、結局のところ、なんの得もしていなかったのだった。
そしてまた、タイル業者。タイル貼りに関しては、たとえ彼らが二度働いたとはいえ、その原因は彼らのミスにあるのだから、作業費を多めに払うつもりはなかった。わたし自身、タイル代を2倍支払うことになり、すでに損害を被っている。
ということで、当初、子犬おじさんから請求されていた人件費4000ルピーのうち、すでに支払っていた2600ルピーを差し引いて、最終的に工事が終わった段階で、1400ルピーだけを払うと、告げた。すると彼らは、
「今日は2人分だから、1人300ルピーずつでいい。そして明日、200ルピーくれればいい」
と言う。「1400ルピーを払う」と言っているのに、それでは合計で800ルピーじゃないか。紙に数字を克明に書いて、説明しているのに。3階のドライヴァーも間に入って通訳しているのに。わかっていないのか。遠慮しているのか。勘違いしているのか。
計算、できてるのか?
二人あわせて、今日のところはともかく600ルピーを払うことにした。目地をホワイトセメントで詰める作業はまだ、明日残っている。それが終わって、残りを支払うつもりだ。
財布からお金を出そうと思うが、100ルピー札がない。500ルピーしかないので、明日残りを払うと言ったら、3階のドライヴァーが自分の財布から100ルピーを出して彼らに渡すではないか。
実は、ドライヴァーには数日に亘って手伝ってもらったし、買い物にも出てもらったから、ちょっと多いとは思ったが300ルピーをお礼として払っておいたのだった。
彼は遠慮していたのだが、ともかくは、わたしとしてもただ働きをさせるわけにはいかない。何らかの報酬を支払うのは、当然のことだ。それもあってか、彼は何の抵抗もなく、自分の財布から、お金を出すのである。
加えて彼は、わたしがわざわざタイル屋などに赴いたことに少なからずショックを受けていたようで、
「マダムは自分で、店へ行ったりして、お金も倍、払ったんだから。無理な請求はするもんじゃない」
などというようなことを、タイル業者に説明しているふうでもあった。
聞けば、タイル業者のボス格のその男性。年のころなら30歳か。実は連絡がとれなかった2週間の間、妻を亡くしていたらしい。
彼らが帰りし後、ゆらゆらと木漏れ日を受けながら、今度は緩やかに、正しい状態で、外に向かって傾斜しているバルコニーを眺めながら、いい知れぬ悲しみがこみ上げて来た。
毎朝、我が家にアイロンかけの衣類を取りに来るのは、10歳にもならない少年だ。ドビー(洗濯&アイロン屋)クリシュナの、甥らしい。ときどきわたしがキャンディーなどをあげるから、しばしばうちに、来たがるのだ。
利発そうな瞳をした彼は、しかし学校に行っていない。このごろのインドでは、低所得者層の子供たちにも学校へいけるようになりはじめているし、13歳だか14歳だか以下の就労は違法となっている。
しかし、現実には、無数の子供たちが、未だ学校に行くことのないまま、大人になっていく。そういう人たちが就く職業は限られている。タイル業者にしても然り。
しかし、たとえば米国の経済を、低所得者層であるたとえばメキシコ移民の働き者なアミーゴたちが底辺で支えているように、今、この国の高度経済成長を支えている原動力の一つはまた、低賃金で働いている無数の労働者たちでもあるのだ。
綿農家が貧困にあえいで農民の自殺が相次いでいることはかつて記した。「安すぎる商品」の存在の向こうに、その商品製造過程に於ける諸々の劣悪な実態や、劣悪な労働者環境がある。
この国の、「近代化」を支えるように、黙々と働く人々は、こんな出で立ちで、社会の底辺で、国の成長を支えている。
上の大きな写真は、郊外の住宅アパートメントビルディングと、その界隈で働く労働者たちの姿。西日本新聞の「激変するインド」の初回原稿に併せて掲載された写真だ。
この、とてつもない貧富の差と、教育の差。識字率が高くなった、教育を受けている人間が多くなったとはいえ、なにしろ人口は十億人を超える国。日本国民総人口の何倍もの人たちが、苦しい生活を強いられている。
「インド人は数学ができる」
というが、簡単な計算さえままならない人も、たくさんいる。
我が家のドライヴァーのラヴィをはじめ、「生まれた家庭が家庭だったら、きっと然るべき仕事と地位を得られていたに違いない」と思える人たちが、どれほどたくさん、いることか。
書きたいこと、書いておかねばならないことがありすぎて、今日もまた、支離滅裂の記録にて。