夕べ、ハイダラバード&ムンバイ出張から夫が帰宅。今年中に、ムンバイ&バンガロールの二重生活になる可能性大だ。
ムンバイはバンガロールよりも遥かに住宅事情が悪い。不動産が「異常に高い」ため、よほどの予算を投入せぬ限り、まともなところには住めない。またしても、ムンバイで物件巡りから家財道具の調達その他をせねばならぬのかと思うとうんざりだが、これがわたしの運命か。
何しろ米国時代から、ニューヨークとフィラデルフィアの二重生活、ニューヨークとワシントンDCの二重生活、その他、一時的にコネチカット州との二重生活や、カリフォルニア短期生活など、あちらこちらを転々とする歳月である。
遊牧民的人生を送ることは、やぶさかではないが、しかし、面倒といえば、面倒だ。ともあれ、自分たちの新居をバンガロールに得たことで「拠点」が決まっているから、精神的には随分楽だ。
それはそうと、今年のバンガロールはなんだか「はっきりしない」モンスーンシーズンだ。無論、わたしたちにとっては二度目のこの季節ゆえ、実際のところ、「正常なモンスーンの在り方」はわからない。ただ、ここ数週間はまとまった雨が降るでもなく、ただ曇りの日が多く風が強い。
特に過ごしにくいわけではないが、時折、肌寒かったりすることから、少々風邪気味だ。母だけでなく、わたしもアーユルヴェーダのマッサージを受けねばと思う。
さて今日は、夫と二人でBEC主催のアートスクール見学に出かけた。これまでもクラフト展やバザールなどが行われた折、何度か訪れたKarnataka Chitrakala Parishathと呼ばれるアートスクールである。
学芸員に案内されながら、常設展を巡る。正直なところ、我が琴線に触れる展示物は少なかったが、伝統的なマイソール・ペインティングは興味深かった。アートスクールではマイソール・ペインティングの一般コースもあるらしい。習ってみたいと思うが……。今のような日常では、時間的な余裕がとれそうにない。
見学を終えた後、ホテル、The Windsorへ赴き、インド料理店Dakshinでランチ。
以前も書いたが、ここのターリー(定食)は、なかなかに美味なのだ。
左の写真は料理人が米粉のパンであるアッパムを焼いているところ。
ここのアッパムもまたおいしいのだが、ドサ好きなアルヴィンドがわたしが席を外しているうちに、アッパムではなくドサをリクエストしたらしく、上の写真の通り、ドサが届いた。
シーフード、ノンヴェジタリアン、ヴェジタリアンの3種類のうち、いつものシーフードを。毎度店の雰囲気もよく、満足であった。
ところで、食後のわたしがおいしく飲んでいるのは、相変わらずの南インドコーヒー。
Decoction Coffee(抽出コーヒー)を頼み、ミルクをたっぷり入れて飲むのがおいしい。
一方、食後のわたしがまずそうに食べているのは、一般に「パーン(Paan)」と呼ばれるもの。
食後のお口直しのようなものだが、わたしはどうにも苦手なのだ。
インド在住歴も長くなって来たことだし、ひょっとしておいしいと感じるかも。と、久しぶりに口にしたが、やっぱりだめだった。
右の写真は、インド移住前、TAJ RESIDENCYで夕食をとったときの写真。インド料理店では、レストランの入り口に、こうしてパーンが置かれていることが多い。
パーン(Paan)とは、各種スパイスをキンマの葉で包んだもの。
口をさっぱりせ、消化を促進するらしい。
ちなみにこれらは甘いMitha と呼ばれるものらしい。また煙草を含んだものはSadaと呼ばれるという。いわゆる噛み煙草だ。
インドの人々は、食後にこれをパクリと口に入れ、ガフガフと噛んで飲み込む。わたしは香水のような強烈な香りがどうしても苦手で、飲み込むことなど到底できない。
ところで七夕の今日は我々の「出会い11周年記念日」であった。詳細は、去年十周年時にこまごまと書いたので割愛。
11年前の今日、ニューヨークのBroadway 66th Street にあるBARNES&NOBLEのカフェで「相席」となったのがきっかけで、こんなことになってしまった。
あの日あのときあの場所で、
「この席、空いてますか?」
と、彼に相席を申し出なかったら、今頃わたしは、どこに住んでいたのだろう。