まだ開けやらぬモンスーン。ちょうどわたしがシンガポールから戻って来た日は、恐ろしいほどの豪雨であった。以来、この1週間、毎日のように豪雨。青空かと思えばたちまち暗雲迫り来て、天は裂け、大地を穿つがごとくに激しい雨。
そんなわけで、恒常的にインフラストラクチャーが劣悪なこの街の、それがよりいっそう悪化している。道路は文字通り、雨に穿たれ、排水溝はつまり水は溢れかえり、貧しき人々の家屋は水没し、オートリクショーも水に押し流され倒され。
友人に聞いたところによれば、ちょうど大雨の深夜に家族を送るため空港へ向かったそうだが、大雨、大渋滞、水没した道路をさらには逆走して来る車が相次いで、その無法地帯ぶりに生きた心地がしなかったそうだ。
幸いにも、ぎりぎりでチェックインができたらしいが、そのストレスたるや、たいそうなものだったらしい。
「雨の日には、うんと早めに空港へ向かうべし」である。
緑もまたすっきりと埃を落とされ、輝きをいっそう増している。
さて、ここ数日のわたしはと言えば、相変わらず仕事及び日常の雑事で時を過ごしている。
アルヴィンドは来週まで、あちらこちらへと出張が続く。
昨日は、お掃除部隊がやって来た。我が家の天井は2階分の高さがあるため、その開放感を気に入っているのだが、お掃除がなかなかに大変だ。
天井のファンの埃をとったり、天井の隅に発生するクモの巣などを除去するのには、メイドのプレシラでは到底無理だ。また、2階の窓ふき、その他、専門家に頼むのがいいだろうと判断し、隣人に勧められたお掃除サーヴィスを試してみることにした。
日本で言うところの、ダスキンのサーヴィスだ。ま、世界最高といっても過言ではない「お掃除が得意」な日本の基準でもって、この国のそれに対して期待をしてはいけない。
掃除を頼むにも、毎度なにかしらの覚悟がいる。
「してもらう」のに「しなければならない」矛盾を抱えつつ、褌の紐を締め直す思いで一日の始まりだ。
結論から言えば、労働者9人、現場監督1人の合計10人が参上し、朝10時半から午後6時半までかかって、なんとか仕上げて行った。
どんなに広い御殿かよ。
と、思われそうなほどの、人材の投入ぶりである。さすが人手余剰なインドである。ダスキンなら「3名で3、4時間」といったところか。
この8時間、当然ながら、我、仕事が手につかず。現場監督の現場監督をもせねばならない。
8時間の間にも、お察しの通りあれこれと、綴りたいエピソードがたくさんあるのだが、大幅に割愛。
しかしいつも思うのだが、かような仕事に従事している低所得者層の人々の中には、少なくとも10人に1人の割合で、優秀な人物がいる。
現場監督が英語を話せないのに、眼鏡をかけたおばさんは、しかしわたしよりも流暢な英語で的確に通訳してくれた。会話の運び方が、とても知的だ。多分、一日の賃金がUS$1程度の低所得者であろう。
また、手際の悪い青年がいる一方、聡明な顔をした青年が黙々と、丁寧に、手際よく窓を磨いている。生まれて来た場所が場所なら、と思わずにはいられない人材が、この国には半端じゃないほど埋もれていると、いつも思う。
教育。
Anyway. また話が長くなるので話題を変える。
本日は、OWC (Overseas Women's Club)の企画で、刺繍工房を訪れた。「手作業」が一般的なインドにあって、ここもまた100%手刺繍を行っている。
インド風だけでなく、フランス風、中国風と、さまざまな技術を用いているとのこと。なにが魅力的かといえば、オーダーメイドができることだ。こちらの依頼次第で、あらゆる作品の制作が実現可能だ。
工房で働く人たちが、青年ではなく少年に見えて、やはりそれが気にかかったが、こうして手に職をつけることができるだけ、彼らはまだいいに違いないと思いつつ、彼らの作業に見入った。
あれこれと、さまざまな刺繍の美しさを目の当たりにし、それらは決して「非常に繊細で高品質」とは言えないまでも、日常遣いに適した小物や衣類に応用できそうで、その分値段もお手頃で、魅力的である。
インド。こんな小さな街で、ですら、尽きない。
まだまだ、面白い。