●電力を巡る騒動。いちいち、面倒なのよ。
実はここ数日、「不安定電力供給」を巡って、少々、我が「体温」が上がっていた。
十日ほど前から、電流の具合が悪かった。室内の灯りが、ときどき「瞬き」をする。つまり、一定した電流が流れて来ていないのだ。一日に起こる停電の数も増えていた。
水不足に加え、電力不足も懸念されている昨今のバンガロール。インフラストラクチャー不全に対する不満の矛先を、どこへ向ければいいのかわからず。
尤も、アパートメントビルディングには、自家発電装置がついており、公共の電力がダウンしたときには直ちに「切り替え」が行われる。しかし、「寄せては返す波」のように、一定ではない電力を操作する機能は完全ではない。明らかに停電しない限り、自家発電装置は稼働しない。
従っては、万一の高電力流入を防ぐために、各家庭の電源ボックスに「制御装置」がつけられている。
誤って「津波」が襲って来たとき、自動的に電源を落とす装置だ。左写真の右下あたりにあるのが、それである。
しかし、このごろは、「津波」ではなく「さざ波」続きで、つまりは電力が少ない傾向が続いていた。部屋の灯りが、なんだか薄暗い。
コンピュータやプリンタなどの機器には、インド移住当初からUPSと呼ばれる電力安定供給&バッテリー装置を取り付けているが、それ以外の家電には、対策を施していなかった。
11月28日の朝、洗濯機が動かなくなった。
同時に、電子レンジも動かなくなった。
どちらも2年前、同じ時期に買ったサムスン製。インドでは、極力「デジタル制御もの」の家電を買いたくなかった。特に洗濯機。すぐに壊れそうな予感があった。
米国のコインランドリーそれのように、少々叩いたり蹴ったりしてもびくともしないような、たくましいものが欲しかった。が、あいにく、洗濯が終わったらピャラピャラと音楽が流れてくるような、日本的繊細さを備えた洗濯機しか売っていなかった。
カスタマーサビースが営業を開始する午前9時を待って、保証書を片手に、早速電話をする。
保証期間は2年。購入日の日付を見て、目を見張る。
2005年11月28日。
今日はなんと、2年と1日目である。
さて、このときから、カスタマーセンターとの闘いが始まった。いろいろとあったが、大幅割愛。結局、2日後の今日、ようやくサービスセンターが修理に来たのだった。
原因は、やはり電力の不安定供給。慣れた作業、つまりはありがちな事態のようで、デジタルのパネルのカヴァーを取り外し、中の装置を入れ替えてもらったら、すぐさま復活した。
電子レンジに関しては、部品が足りないとのことで、後日の修理となった。こちらは急がないので、ともかくはいい。それにしても、洗濯機はわかるにしても、なぜあまり使わない電子レンジまで同時に壊れたのか。
修理工のお兄さん曰く、洗濯機にせよ電子レンジにせよ、使っていないときでも、常時電流を受け止めているため、電流が不安定だとダメージを受けるのだとか。つまりは、「使用していないときは電源を切るように」とのことである。
インドのアウトレット(コンセントの差し込み口)のそばには、必ずスイッチがついている。だからプラグを抜かなくても、スイッチを押すだけで電源を切ることができる。
そういうことなのね。
冷蔵庫はそういうわけにもいかないが、その他家電に関しては、なるたけ電源はこまめに切ることが、家電を長持ちさせる秘訣らしい。
さて、洗濯機が使えない3日間というもの、洗濯は手洗いであった。下着などはわたしが洗い、タオルやシーツ類はプレシラが洗った。脱水できないので、なかなか乾かない。太陽の光を追いかけるように、物干し台を移動させて、干す。
洗濯板や、大きな盥や、洗濯ものを絞るローラーつきのバケツなど、子供のころに目にしていた「洗濯道具」が懐かしく思い出された。
さて、右の写真。これは28日の夜に注文し、翌29日の夜に取り付けてもらったバックアップシステムだ。
米国APC社製のUPS(バックアップシステム)である。
新しい洗濯機や電子レンジを買っておつりが来るほど、なかなかにいい値段であった。
この箱の中に大きなバッテリーが2つ入っている。
上の写真の電源ボックスを開き、バックアップしたい部分の電源スイッチとつなぐのである。
電子レンジや冷蔵庫の電源とはつなぐことはできないが、リヴィングルームや書斎のライト、デレビなどが停電時でも消えないよう、つなぐことができる。
電源のバックアップに加え、「安定した電力を供給する」スタビライザー機能がついている。
本来は、洗濯機などには使えないが、電力を安定供給させる目的にのみ使用するということで(停電時には使用しない)、つないでもらった。
働きの割に、割高な気がしないでもないが、取り付けてもらって、気分的に安心した。考えてみれば、我が家はエアコンディショナーが不要だし、天井のファンも滅多に使わない。あまり電気を使わないので、最低限のバックアップがあれば、問題ないのである。
それにしてもだ。
家電の修理や、UPSの取り付け工事をすませるために、何度カスタマーセンターに電話をかけ、何人と話をしたことか。しまいには切り札の「マネージャーを出して」事態に発展し……。それに加えてアパートメントのエレクトリシャンと何度やりとりをし……。
リサーチのため、外出せねばならないのに、約束の時間に来るべき人が来ない。催促の電話、雨霰。ストレスレヴェル、上昇の一途。
といった、毎度おなじみのドラマが展開されたことは、言うまでもない。
それにしても。洗濯機がつつがなく使えるって、すばらしい。
無事に修理が終わり、鬱陶しいと嫌っていた、しかしピャラピャラとなるデジタル音が復活し、その音が愛おしく思えた午後であった。
●仕事をする人々の話が楽しい
アルヴィンドと二人、久しぶりにBECの会合へ顔を出すべく、Taj ResidencyのICE Barへ繰り出した。
オランダの食品会社から赴任してきている男性の話が面白かった。主には、ビスケットなどのフレイヴァー作りをしているという。「味を作る」そのプロセスは、まるで実験のようだ。
ニューヨークの宝石関係のコンサルタントをしている女性の話も興味深かった。インド最大のコングロマリット、TATAグループの傘下にTANISHQという宝飾品ブランドがあるのだが、現在そこのコンサルティングをしているという。
以前は東京で、ショーメのコンサルティングもやっていたとか。
このごろはアルヴィンドも、コンシューマ・プロダクツに関する関心が高いようで、インドのジュエリー市場に関する話をあれこれと二人して聞く。
他にも、数名の人々と、今夜は主にビジネスの話に花が咲いた。
ニューヨークよりも、ワシントンDCよりも、ここは異国の、異業種の人々と接するのに適した場所だと、今夜もつくづくと思いつつ、退屈するいとまもない日々を、ありがたいと思う。