肌寒い日が続いたかと思えば、ここ数日は、外へ出ると日差しが夏のそれのように鋭い。屋内が大理石やタイル貼りが一般的なインド、バンガロールの住まいは、外が暑くても中が適度に涼しいので気づかないが、庭に出てその太陽光の強さに驚かされることがある。
さて、今日は午前中、OWCのCoffee Morningに顔を出すためLeela Palaceへ。
数名の方々から預かっておいた慈善団体向けのクリスマスギフトを担当者に届け、何人かの知人、友人と言葉を交わした後、今度はレジデンシーロード沿いにあるホテルの会議場へと赴く。
実は夕べ、福岡ご一行様のうち約1名様が、「ネクタイとタイピン」をお忘れになっていた。みなさんを見送って、片付けをしているときにダイニングルームの椅子の背にかけられたそれを発見したのだった。
そして今朝、記者のKさんよりお電話。お忘れになったHさん曰く、「ネクタイはどうでもいいが、ネクタイピンが貴重品」とのことらしい。なんでも「半導体が埋め込んである記念の品」だとのことである。
実は食事中、今にもネクタイにエビカレーがつきそうになっていたところを目撃し、「どうぞネクタイをお外しになってください」とHさんに勧めたのは、このわたしである。
旅の疲れがあるのに加え、アルコールも入っている。ネクタイの1本や2本、忘れても不思議ではない状況だ。そんなわけで、現地企業へのプレゼンテーション及び交流会が行われているという某ホテルへ、お届けに赴いたのだった。
午後3時ごろには終了し、トリバンドラムへ向かうべく、みなさん空港へ赴くとのことだったので、ランチタイムを狙って1時ごろ到着した。受付のお兄さんたちに尋ねたところ、あと10分ほどでランチタイムになるはずだから、どうぞ中に入ってお待ちくださいと言う。
と、ちょうどそのとき、Hさんがプレゼンテーションをなさっていた。
Hさんに続き、夕べお目にかかった企業の方々3名のプレゼンテーションも、お聞きする。興味深い。来てよかった。
その後、ランチタイムとなったので、Kさんにご挨拶をし、Hさんにネクタイ&ネクタイピンをお渡しし、バンガロールに赴任されているJETROの方ともご挨拶をし、最後に視察団が用意していた資料などもピックアップさせてもらったのだった。
東京よりも、あらゆる意味で福岡の方がインドに近いと思っている、いや思い込みたがっているわたしとしては、今回の視察団の活動は、わずか断片を拝見した限りであるが、興味深いものであった。
福岡を離れて24年。去年のちょうど今頃、思い切って西日本新聞社へ飛び込み営業し、記事を書かせてもらえるに至ったのは、わたしにとって意義深いことだったように思う。
わたし自身。これから少しずつ、福岡ーインド間での仕事ができればいいと思う。
米国人、米国からのNRIも多く暮らしているバンガロール。レストランでサンクスギヴィングディナーを用意しているところも少なくない。
夕刻になってムンバイ出張から戻って来たばかりの夫と共にSunny'sへ赴き、BEC (Bangalore Expatriate Club)のメンバーたち10名ほどとテーブルを囲んだ。
わたしたちは、サンクスギヴィングデー向けのコース料理を頼んだ。ターキーにスタッフィング、クランベリージャム……と、まさにアメリカのレシピ。食後はパンプキンパイやベリーパイを味わった。
ワシントンDC時代、初めて自分でターキーを焼いて我が家でサンクスギヴィングディナーを開いた日のことを思い出す。
あのときはまだ父が生きていて、ホームページを見たあと電話をくれて、「よくもまあ、あんな料理がつくれたもんやねえ」と、感心してくれたことを思い出す。
翌年の初夏に父は亡くなり、その年の秋、母と妹は傷心ながらも米国へ遊びに来て、一緒にサンクスギヴィングデーを過ごしたのだった。それにしても、このころのわたしは今にも増してデブ絶好調だった。
と、当時の写真を見て、忌々しく思う。
1996年に渡米して以来、徐々に体重を増やし、2004年時には日本時代よりも約8キロも増えていた。なにしろ、米国には自分に合うサイズの服がたっぷりあるからいけない。デブ時の自分が、米国人の「平均」に近く、服が潤沢にあるのである。
日本じゃ13号とか、それ以上だな。
久しくそんな自分に対する危機感を失っていたのだが、2005年初頭、「今年はインドへ移住だ」と決めたときから、減量を始めた。
インドに行けば「有閑マダムな生活」が始まる可能性があり、油断するとこれ以上デブが加速すると予測し、減量を決意したのである。移住に向けて決意することが、なんだか間違っとる気がするが、まあそれはそれとして。
減量といっても、何ら無茶をしたわけではない。ただ、日本人基準での、「人並み」の食欲に抑えた食生活を心がけたら、自ずとじわじわ体重が減っていった。結果、半年で5キロほど落としたのだった。残りの3キロについては……妥協した。
だいたい米国時代は、「食器全般」が大きかったからね。食器にあわせて料理を盛りつけていたからいけない。
日本の小さな食器がないのをいいことに、どんぶりサイズのシリアルボールにごはんをよそって食べたりしてたし。育ち盛りの青少年かよ。という話だ。
そもそも太りやすい体質だから、意の赴くままに食べていたら、どこまでも太れるぞ、という無駄な自信がある。
そんな話はさておき、寒いのはいやだけれど、でも、あの、米国のこの時期の、きりりと肌に刺さるような冷たい空気が、少し恋しい。
クリスマスには、今年もまた、インドのスリムなターキーを焼こうかな。