一昨日、無事に「新婚旅行:第二」を終えてムンバイに戻って来た。採用当初から問題が尽きなかったムンバイのメイドのヨギータは、自然消滅的自主解雇。従っては、昨日は、家事に明け暮れた。
インド以前は「当たり前」にやっていたことなのに、たかだか荷解きをして、洗濯や掃除をするだけで、不条理にもたいそうな仕事をしてしまった気がする自分がいやである。
ところで今日は先ほど、歯科へ行った。インプラントをすべく、抜歯である。
「不爽やか」な話題につき、詳細は割愛するが、ともあれ前回の抜歯は30分ほどですんだのが、今回は諸事情につき2時間近くもかかった。麻酔がかかっているとはいえ、かなり辛かった。
歯科治療を受ける時、いつも思う。ジュリア・ロバーツの口を借りたい、と。
ところで歯科医。わたしと同じ世代(もしくは若い)と思しきインド人男性である。腕前がいいことは、なんとなくわかる。ついでにプライドが高い優等生タイプだということも、なんとなくわかる。
その彼が、抜歯に奮闘しながら、言うのだった。
「ミホ、大丈夫? ちょっと辛いかもね。でもね、僕にとっても、いや、むしろ君以上に、これは拷問なんだよ。本当なんだってば。でも、これが仕事だから仕方ないけどね……」
かなり不思議な弱音の吐き方、である。珍しい感情表現をする医者、だとも言える。
屈折した表現で、わたしを励ましていると解釈したほうがいいのだろうか。確かに、わたしは口を開けているだけでいいが、彼は何だかんだで格闘しているわけで、確かに辛かろう。
しかし、麻酔が切れた現在、鎮痛剤も効かず、結構な痛みに苛まれている我が現状を、彼は慮っているのだろうか。何やら、悔しい思いだ。
だいたい、昼ご飯も「アイスクリーム」を食べたのみ。お腹が空くが、何も噛めやしない。
それにしても我が歯。幼少のみぎりより、歯科とは切っても切れない縁である。
哀しいかな、現代人的軟弱な顎と歯しかもっていないにも関わらず、古代人のように、硬いものや粘着性、歯ごたえの強いものを好むから、歯がついていけないのかもしれない。
と、このごろは、思う。
気を紛らわすためにも、今日はウダイプール旅の記録をしっかりと残しておこうと思う。
2001年7月。結婚式のために初めてインドを訪れ、デリーで一連の結婚式イヴェントを終えたわたしたちは、新婚旅行先であるラジャスターン州はウダイプールヘと赴いた。
しかし、わたしの体調が劣悪で、「すばらしい場所」であったはずにも関わらず、「辛い思い出」ばかりが蘇ってしまう、それは無惨な新婚旅行であった。ということは先日、克明に記した。
なにしろ結婚式の写真を整理し、ウェブサイトに記録を残したのは、結婚から2年目も過ぎたあとである。やる気がないにもほどがある。新婚旅行の記録も便宜上、残してはいるが、少しも楽しそうではない。
今回、夫の発熱というトラブルに見舞われたものの、予定を先延ばししてまで、2泊3日新婚旅行第二@ウダイプールを決行した。
新婚旅行時よりは1泊少なかったにも関わらず、心に深く刻まれる瞬間の多い滞在となった。同時に8年前、自分がどれだけ辛かったかが、今更ながら、よ〜くわかった旅でもあった。
さて、写真もたっぷりと撮影し、本日の記録は一段と長くなりそうだが、お付き合いいただければと思う。
※大長編となったので、トップページの記録を1件だけにしています。過去の記録は、右の「最近の記事」や「アーカイブ」からご覧ください。
5泊の予定が10泊もしてしまった実家滞在@ニューデリー。長いと思っていたが、しかし、思いがけず多くの人と会うこともでき、意義深い滞在となった。
ロメイシュ・パパには夫婦喧嘩の仲裁をやってもらったりと、なにかと心労をかけてしまったが、まあ、家族である。持ちつ持たれつである。
とはいえ別れ際、それなりに心苦しく思っている嫁は、
「パパ、いろいろと迷惑をかけてごめんね」
と挨拶をした。そうしたら、
「家族なんだから、迷惑とか、ごめんなさいとか、そういう風に思うことはないんだよ」
と毎度やさしい。わたしは、インド家族と関わるようになって、本当に学ばされることが多い。義姉スジャータも、これまで何度となく、我々のことについて相談に乗ってくれたものだ(どれだけ問題の多い夫婦だ)。
ちなみに続柄上、「義姉」と書いているが、スジャータはわたしよりも、5つも年下である。ということをすっかり忘れていた。とほほほ。
インド家族の寛大を思うとき、日本の母のことを思う。たとえばときに、母から「迷惑をかけてごめんね」と言われることがある。それはわたしにとって、迷惑、という類いのものではないので、そう言われると、むしろ心苦しい。
ということを、本人にも伝えているのだが、「迷惑をかけないようにしなきゃ」と言う。一生懸命に一人で生活してくれているのは喜ばしいが、「迷惑をかけないように」というところが、寂しいようにも思う。
家族なんだから、迷惑をかけあったって、いいではないか。持ちつ持たれつでいいではないか。
悪意があって問題を発生させたというのなら話は別だが、さもなくば、気を遣いすぎたり、迷惑を恐れたり、することはないではないか、とこのごろは思う。
損得勘定なしで、助け合ったり、支え合ったりできる、家族の絆が実現できていれば、それはとても幸せなことだと思う。こんな風に思うのは、わたしが歳を重ねたせいかもしれないが。
尤もこういう思いは、「双方が合意している上で成り立つ」ものであり、どちらか一方がそのつもりでも、一方がそう判断していなければ、行き違いが発生してしまう。
よくよく考えると、日本人の多くは「他人に迷惑をかけない」ことを尊ぶ意識が強い。一方のインド人。他人の迷惑に対して、非常に寛大なように思う。それに伴い発生する問題はまた、別として。
また話がそれた。この件については、また改めて綴るとして、とっととウダイプールの話題に移ろう。
●初日:デリー発、キングフィッシャープロペラ機でウダイプールヘ!
デリーの国内線空港が改築されていたことはデリー到着時の記録に記した。
出発ロビーもまた、かなり「近代的ムード」に変わっており、レストランやショップが充実していた。FabIndiaやGood Earthの店舗も並んでいたのには驚いた。
さて、久々に、キングフィッシャー航空便にての旅である。テーマカラーが「赤」の、そしてフライトアテンダントがミニスカートの、おなじみ派手なエアラインだ。
ウダイプールは観光地である。飛行機に乗るのは主には観光客ばかりで、乗客数も多くはない。つまりは、小型のプロペラ機である。
プロペラの音が間近に聞こえてうるさかったが、それなりに快適な空の旅、であった。
これまで、数多くの土地を旅して来た。たとえ20年前の旅ですら、かなり鮮明に旅の情景を思い出すことができる。しかし8年前の新婚旅行の記憶は「断片のみ」で、たとえば空港の様子さえ、思い出すことができない。
ただ、以前よりも「かなりきれいになっている」ような気がする。一日に数便しか離発着しない空港の割に、そこそこの広さもある。駐機場から歩いて空港ビルディングに向かう「こぢんまりとした感じ」が楽しい。
あいにくの曇天だが、暑すぎもせず、湿度もほどよく快適だ。日射照りつける晴天よりも、むしろこれくらいの気候の方がありがたい。
空港からウダイプールの市街までは27キロだという。インドではたとえ27キロでも悪路ゆえ、1時間を超えることも多々あるが、ハイウェイはかなり整備されていて、速やかだ。
しかし、牛がごろごろしている光景は、インドならではである。途中の風景はまったく記憶になく、すべて「初めて見る光景」のようである。前回は車内で爆睡していたものと思われる。
ラジャスターン州のウダイプールは、1567年、時の藩王だったマハラナ・ウダイ・シンによって創られた街。ウダイ・シンは、当時宮殿のあった20キロほど離れた場所から「うさぎ狩り」のため、ここを訪れていたという。
あるとき、聖人から告げられた「その、あなたが今、立っている場所に城塞を建てなさい。そうすれば、家族は守られ、あなたは成功をおさめるであろう」という言葉に従って、湖畔にあるパレス(宮殿)を建立したとのこと。
ウダイプールをおさめてきた歴代マハラナにまつわる逸話は数多い。ウダイプールは数々の侵略にも屈せず、独立を貫いた唯一の藩であったとのこと。
さて、目的のホテルは、人工湖であるピチョーラー湖に浮かぶタージ・レイク・パレス (Taj Lake Palace) 。
1746年にマハラナ・ジャガト・シン2世によって建てられたもので、かつてはマハラナやそのゲストの夏の宮殿として利用されていたという。
ところでインドでは、他の藩の藩王は「マハラジャ」と呼ばれているが、ウダイプールでは「マハラナ」(武王)と呼ばれている。
ムガール帝国時代から英植民地時代に至るまで、ウダイプールの藩王は頑として侵略されることを拒み、自主独立を堅持。自ら戦地に赴いて敵と戦ったことに由来しているそうだ。
ちなみにマハラジャ制度は現在では廃止されているものの、各藩のロイヤルファミリーは依然として存在し、地元社会に影響を与えているようである。
さて、湖畔の船着き場に到着。8年前とは場所が変わり、雰囲気がグレードアップしている。
8年前はよたよたとした感じのボートだったが、今回は「プチ遊覧ボート」な雰囲気。船頭さんは、なぜかヴェネツィア風だ。
ちなみに彼は似合っていたが、この後、ボートに乗るたびに、「そのコスチューム、似合わなさすぎ!」な「ぼってり体型の船頭さん」に多数遭遇。
写真左上は、湖に浮かぶレイク・パレス。写真右上は、湖畔のパレス。パレスの一部はホテルやレストランになっており、現在も一画に暮らすロイヤルファミリーによって経営されている。
ところでこの湖、今はモンスーンの時期とあってか、水が豊かで情景麗しい。船頭曰く、2003年は水不足で湖が干上がり、自動車でレイク・パレスまで行き来していたとのこと。それではあまりにも、風情がないというものである。
さて、インドのラグジュリアスなリゾートホテルでは定番の、ホテルスタッフからの慇懃なお出迎えだ。
額に歓迎のビンディをつけてもらう。確か前回はマリーゴールドのレイを首にかけてもらった気がするが、今回はなし。ともあれ、冷たいおしぼりを供され、ウェルカムドリンクをいただいている間、チェックインが進められる。
このゆったりとした歓待のされ方が、とてもうれしい。
さて、ホテルであるが、全体的に改装されており、快適さが向上しているようだ。パレスが備える昔ながらの意匠を守りつつ、調度品をはじめとするインテリアを変えることで、洗練度や居住性を上げているように見受けられる。
通されたのは湖越しにパレスが眺められる部屋。窓辺のソファーが何とも言えず心地よい!
新婚旅行のときには、披露宴のゲストにたまたまこのホテルのマネージャーが出席していたことから、スイートにアップグレードしてもらえた。しかし、狭いながらも、改装後の現在の部屋の方が、かなり快適で心地よい雰囲気だ。
正直なところ、旅行先を決める前は「ウダイプールはもうすでに行ったし……」と、別の土地を訪れたく、さほど乗り気ではなかったのだが、この向上ぶりからして、来てよかったと思う。
バスルームにはローカルの工芸品で作られたコットン入れやティッシュケース、ソープディッシュなどが配されていて、かわいらしい。
遅めのランチをとろうと思ったが、その前にロメイシュパパが持たせてくれた赤ワインで乾杯。わたしが、GROVERの赤ワイン LA RESERVE がおいしいと言ったところ、早速数本を調達して来てくれていたのだ。
ランチはインド料理、コンチネンタルと二つあるダイニングのうち、コンチネンタルのJHAROKHAにて。新婚旅行時にアルヴィンドを撮影したときと同じテーブルにて、今回はわたしが被写体である。
■2001年:新婚旅行時の記録と写真:今回の内装がかなり向上していることがわかる。
内装が向上したのはいいが、メニューを開いてその値段の高さに愕然とする。
8年前はさておき、移住前の2004年から2005年にかけて、インド各地を訪れ、タージやオベロイ、リーラといった高級ホテルに滞在してきたが、宿泊費も食事代の相場も、先進国の同レヴェルのホテルよりは安かったように記憶する。
ムンバイのタージマハル・パレスのダイニングでも、「米国に比べれば安い」と気軽に食事をしていたものだ。しかし、ここ2、3年のうちに、値段は「倍以上」に上がっている。
以前、タージマハル・パレスで「路上スナック」なダヒ・バタタ・プリが高いことに目を見張ったが、今日はグラブジャムンの値段に愕然とした。
ちなみにラスマライも550ルピー。
1000円以上である。
道ばたでは10円とか20円で売っているものがである。
いくらなんだって、これはないだろう。
グラブジャムンがこれだから、他の料理も推して知るべし。
原価激安なはずのヴェジタリアンのサンドイッチが650ルピーから。やはりヴェジタリアンのパスタ一皿が900ルピーから。
とはいえ、せっかくのラグジュリアスな旅である。
いっそルピーを「日本円」と捉えてメニューを見ることにした。それでもなお、特にデザート類は高すぎるが、注文しなければいいだけの話である。
さて、二人してひとしきり、値段の高さについて意見を交換したのち、サンドイッチとサラダを注文した。料理はそれなりに美味であった。途中でシェフとレストランマネージャーが挨拶に来た。
よほど、「料理の値段、高過ぎです」と言いたかったが、今日のところは、いわずにおいた。
さて、食後は、まだ体調が完全に戻りきっていない夫と、実家滞在でそれなりに疲れていた妻は、ベッドに横たわるが早いか爆睡。
小一時間ほど仮眠をとるつもりが、目が覚めたらすでに午後6時。3時間ほども眠りこけていた。従っては、「館内巡りツアー」や「レイク・クルーズ」に参加し損ねたが、それは明日に回すことにする。
外へ出ると、雲間からほんのりと青空がのぞいていた。そして小さく、虹のかけらが!
夜は持参のサリーに着替え、ホテル内で行われているダンスのパフォーマンスを見にいく。
スパークリングワインを飲みながら、ダンスを眺めながら、湖面を渡る風は心地よく、暑すぎもせず、本当にいい気分である。
ダンス鑑賞のあとは、ホテル内を散策。麗しい夜景に見入り、二度目の来訪(夫は三度目)が実現できたことを喜びつつ。軽めの夕食をすませ、一日を締めくくった。
●2日目:湖畔のパレスを見学。夕刻は、ホテルツアーや湖上クルーズなど
目覚めれば、窓からまばゆい光がこぼれている。朝日がきらきらと湖面に反射している。曇天でも構わないと思っていたが、青空を背景に、光を受けて輝く白亜のパレスを目にすると、晴れてよかったと思う。
さて、朝食はやはり、コンチネンタルのダイニングで。世界各国、さまざまな高級ホテルがあり、さまざまな朝食のスタイルがあろうかと思うが、インドのそれは、かなりよいと、個人的に思っている。
もちろんアラカルトでも注文できるが、基本的には朝食は宿泊代に含まれている。初日は「料理の値段が高すぎる!」と憤ったものの、この点、別料金の場合が多い他国の高級ホテルとは異なるよさ、である。
数年前までは冷菜、温菜すべてがブッフェとして並んでいたが、最近ではフルーツやシリアル、チーズやヨーグルトなどの冷菜がブッフェで、温菜はメニューから好みのものを注文するスタイルが一般的になっている。
コンチネンタルに限らず、ドサなどのインド的料理も頼めるところがよい。ちなみにわたしたちは、朝食でインド料理を食べることはないが。
スイートライムジュースに紅茶。そしてフルーツなどをあれこれと。温菜は悩んだ末に、スモークサーモンのエッグ・ベネディクトを。
高カロリーな料理、だとわかってはいるのだが、これがまた、美味なのである。ところで、朝食の途中、給仕が「花の交換」にやってきた。
タイミング、間違っている気がするが、こういう緩い感じがまた、インド的である。黄色いバラの傍らにあるのは、夫が飲んでいるスイカジュース。これもまた、美味なり。
さて、前回は訪れなかった湖畔のパレスを、今回は見学しようと思う。ホテルにパレスのガイドを手配してもらい、船着き場で待ち合わせる。長身の、知的な風貌をした青年である。
ウダイプールに生まれ育ったという彼。丁寧な案内に加え、こちらの質問にも的確に答えてくれる、とてもすばらしいガイドである。
しかし、ホテルに支払ったガイド料は250ルピー。彼の手に幾ら渡るのかは知らないが、グラブジャムンの半額とは、むしろ安すぎるとさえ思ってしまう。
この国に暮らしていると、貨幣価値の感覚が乱れて仕方がない。
船着き場から歩いてパレスに向かう。このパレスはマイソールのパレスに次いで国内2番目の規模だという。ガイド青年曰く、前述の通り、ウダイプールが一度も外部の勢力に屈したことのない唯一の藩であるということがたいへんな誇りのようである。
愛郷心に満ちあふれた口調で、歴史を説明してくれる。右下の写真は、西暦566年から続いている歴代マハラニの家系図である。
マイソールのパレスもそうだが、このパレスのインテリアを手がけたマハラニもまた、「欧州趣味」だったと見える。インドの伝統工芸と欧州伝統工芸の融合。といえば聞こえはいいが、管理状態が悪く、むしろ安っぽく見えてしまうのが難。
「これは、ウェッジウッドのタイルです」
「ベルギーから取り寄せたクリスタルです」
「このモザイクも、ベルギーからです」
「このシャンデリアは、フランスのルネ・ラリックです」
ガイド青年は誇り高く説明してくれるのだが、シャンデリアは埃かぶっている。もっとなんとか、ならんのか。
ところで遠目に見ると大きく見えるパレスだが、実はさほどではない。パレス下部の窓がない部分は、実は「岩山」で、岩肌をきれいに覆うことによってパレスを大きく見せているとのこと。いわば、「上げ底」である。
館内の天井は低く、各部屋の入り口やスペースも比較的狭い。外敵が一気に流入するのを防ぐため、と聞いて納得するが、旅行者で溢れかえった回廊などは、かなり息苦しい。
館内では、史実を表したいくつかの細密画を見たが、一つの絵画が印象に残った。マハラニ率いる騎馬隊と、ムガール軍の闘いのシーンである。
ムガール軍は「ゾウ」の鼻に刀をくくりつけて、ウマを切るべく調教し、戦力としていた。その絵画は、流れる時間を同時に表していて、ゾウに後ろ足を切られたマハラニの乗るウマが、3本足で逃げ延びて、マハラニを守った様子が表現されていた。
マハラニを無事に送り届けた後、倒れて死したウマの様子が痛々しい。
それはそうと、右上の写真。ゾウの鼻をつけたウマである。ウマの鼻にゾウの鼻をつけることによって、「ゾウ軍隊」がウマを「子供のゾウ」と判断して傷つけることはないだろうと見込んでの、作戦だったらしい。
ゾウ軍団は、だまされてくれたんだろうか。血で血を洗うはずの戦場が、どこかコメディである。昔から、インドはインド的、だったのだとの思いを新たにしつつ。
インドの観光地を訪れると、必ずと言っていいほど、インド人観光客から「一緒に写真を撮ってください」と頼まれる。
多くの日本人も経験しているようで、各方面から「一緒に写真を撮って〜って頼まれちゃった。てへっ!」的な話を見聞きする。中にはすっかり「有名人気分」を堪能している人もあるが、率直に申し上げて、それは勘違いだ。
相手の風貌の善し悪しを問わず、相手は外国人であれば、とにかくは一緒に写りたいのである。
そんなわけで、わたしもここで2組から、一緒に写真に映ってくれと頼まれた。一人目のおばちゃんは、わたしの肩に、馴れ馴れしく肘を載せて映った。はっきりいって「やな感じ」だが、取り敢えず笑顔で対応した。
それを見ていたアルヴィンドが、
「ミホ、なにやってるの? ちゃんと断りなさい。有名人を気取ってる場合じゃないでしょ!」
あいたたた。そう見えましたか。やれやれ。
パレス観光は全館を巡らず、途中で切り上げた。しかしガイド青年にはとてもお世話になった。夫も非常に感銘を受けていて、かなり多めにチップを渡していた。
パレスにはクリスタル・ミュージアムも併設されているが、人ごみに疲労困憊したこともあり、立ち寄らなかった。下の写真は、クリスタル・ミュージアムと同じ場所にあるダイニングルーム。
この天井のクリスタルもベルギー製に違いない。以前、ベルギー取材でクノックヘイストという港町を訪れ、カジノに行ったのだが、そのホールに、これとそっくりのシャンデリアを見た記憶がある。
さて、ホテルに戻り、ランチをすませ、しばらくはラウンジや部屋でくつろぐ。ホテルに備えてある写真集を眺めたり、本を読んだりしているうちにも、睡魔が襲ってくる。
昨日のように寝てしまって、うっかり夕方のイヴェントに参加し損ねてはなるまいと、コーヒーを飲んでなんとか覚醒。
さて、午後5時からのホテル内ツアーは、スタッフの女性によって行われた。そもそも小規模なホテルであるから、すでに全館を巡っていたのだが、歴史上のエピソードなどを聞くのは興味深い。
屋根に施された黄色いクリスタルは、やはりベルギーからの装飾らしい。150年以上も前から、ずっとそこにあると思うと、ずいぶんと丈夫なものなのだなと感心する。
30分ほどのツアーが終わったあとは、バーラウンジに通され、コンプリメントのスパークリングワインでもてなされる。ツアーに参加し、ホテルの歴史を学んでくれたお礼に、ということらしい。うれしい心遣いだ。
さて、7時からは、ボートで湖上を巡るツアーに参加。湖畔沿いを行けば、ウダイプール市街の様子が見え隠れする。あるレストランの看板に、『007 オクトパシー』毎日上映、とある。
実はこのレイクパレスや、丘の上にあるモンスーン・パレスは、1983年に公開された映画『007 オクトパシー』の舞台となったのだ。
夕暮れの湖上は、吹く風もいっそう心地よく、山間の光景は静かでやさしく、懐かしい場所を彷彿とさせる。
ここは現在、結婚式のバンケットなどに利用されているという。
中央にはタージマハルを模した建物もあり、それなりに豪奢な雰囲気である。
日没のタイミングに合わせたツアーだけあり、ちょうどいい塩梅で、山の稜線に消え行く太陽を眺めることができた。
前回の旅の際にも、ここを訪れたはずだが、夕日を見たかどうかさえ思い出せない。やはり、新婚旅行をやりなおせてよかったと、改めて思う。
さて、夕食はインド料理店、NEEL KAMALへ。「雪辱! タンドーリ・チキン」については、すでに記した通りだ。正直なところ、すっかり今回の旅を堪能しているわたしは、タンドーリ・チキンなど、最早どうでもよくなっていた。
第一、8年前からは何もかもが変わっている。ダイニングのシェフも明らかに変わっており、あのときのタンドーリチキンを再び味わえないことはわかっていた。
それでも、せっかくなのでインド料理である。ところでブレッドソーサーは、なぜかヴェルサーチである。
さて、メニューを見るに、タンドーリ・チキンはなかった。そもそもキッチンにはタンドール釜が見られない。
ウエイターがお勧めだという魚のグリーンソースカレーと、ホウレンソウと松の実のソテー、それからチキン・ビリヤニ(炊き込みご飯)とロマリ・ロティ(ハンカチーフのように薄っぺらいパン)を注文する。
インド料理店では、たいてい料理の前に、パパル(パパド)と呼ばれる薄焼きせんべいのようなスナックが出てくるし、付け合わせにタマネギやトマト、ニンジン、キュウリのサラダも出てくるし、そもそもランチが遅くてあまりお腹がすいていないしで、これで十分だと判断した。
オープンキッチンになっていたので、テーブルを立ち、しばらく調理の様子を眺める。自分たちの料理が作られるさまを眺めるのは楽しい。
が、同時に、「わ、そんなにクリームを入れるのですか?」「え、その塊は、バター?」と、こってりな製法を目前にし、すでに胃が重くなる。家庭料理とは異なり、インド外食の多くは、ヘヴィーなのである。
ところで、なぜか、ウエイターが超親切。すでにスパークリングワインやらワインを飲んでいて、水以外、飲みたくない状態だったので注文しなかったのだが、
「これは、レストランからのコンプリメントです」と、モクテル(アルコールが入っていないカクテル)を2種、持って来てくれる。
さらには、もう一皿、お勧めだと言われたグリーンピーとマッシュルームのクリーム煮を「お味見にどうぞ」と持って来てくれる。さらには、注文時に念のため確認したタンドーリ・チキンを、確かメニューにはなかったはずなのに、出してくれた。
何が何だかよくわからんが、たいそうなもてなされぶりである。そのタンドーリ・チキンは、はっきりいって、「普通の味」だったが、心遣いがうれしかった。
そして最後にはインドの甘い菓子を2つ出してくれた。隣のコンチネンタルダイニングでは、550ルピーでチャージしているにも関わらず。
おまけに、注文したコーヒーは、伝票に加算されていなかった。これもまた、コンプリメントにしてくれたらしい。
なぜかよくわからないが、あまりにも気前のよいサーヴィスを受けたので、もちろんチップを多めに払い、気分よく、ダイニングをあとにしたのだった。
ちなみに、料理は全体的に、「おいしかった!」が、「ものすごく、おいしかった〜!!」というわけではない。しかしこの際、そんなことは、どうでもいいのだ。
一人寂しくキチリ(豆と米のお粥)を食べた8年前に比べたら、ちゃんと、おいしさを味わえただけで、最早大満足である。
ちなみにこの店のパパルは、かなりおいしかった。たいていはチャナ豆の粉にスパイスを混ぜた生地で作られているのだが、はじめて「トウモロコシの粉」で作られたものを食べた。
昔なつかしい「とんがりコーン」の味を、より素朴にしたような、とてもおいしいものだった。あのパパルについて、シェフに話を聞いておけばよかったと、今更ながら、後悔。
●3日目:プールサイドでまどろむ。市街の喧噪にまみれる。
2泊3日など、瞬く間に過ぎて行く。しかし、本日ウダイプールからムンバイへのフライトは午後7時過ぎの便を押さえている。つまりは夕方までここでゆっくりとしていられるわけだ。
夫が得意とする「交渉力」で、午後5時の「レイトチェックアウト」を実現。空港に向かうぎりぎりまで、ホテルに滞在することができる。
さて、今朝もまばゆい湖面越しに湖畔のパレスを眺めながらの朝食だ。
今朝のジュースも、スイートライム。
インドではムサンビと呼ばれるこの柑橘類。
果汁は、その名の通り、ライムのような風味があるにも関わらず、酸味が少なく甘くまろやかな味がする。
アーユルヴェーダでも勧められているヘルシーで美味なる飲料だ。
さて、今朝はフルーツなどを食した後、再びエッグベネディクトを注文。
夫はベルギー風ワッフルを。
それらを半分ずつ分けて味わうことにした。
ワッフルもまた、しっとりもっちりとした舌触りで、小麦粉の風味もよく、とてもおいしい。
パンケーキやフレンチトーストなども試しておきたかったと悔やまれるが、胃袋は一つである。
朝食の後は、プールサイドでくつろぐことにした。ホテルが小規模であることから、プールも小さい。とはいえ、泳ぐことが目的ではなく、プールサイドのデッキチェアに横たわることが目的なので、問題はない。
欧米同様、日ざしがガンガン照りつけているあたりは他のゲストに占拠されていて、東屋の日陰に置かれたデッキチェアが空いている。わたしたちにとっては、毎度、好条件である。
横たわれば、湖面を渡る涼風がそよそよと心地よく、眼前にはパレスが見渡せ、ここもまた、よい場所だ。持参していた本は数ページを読んだきり、またしても寝入る。実によく眠れる我である。
ふと目覚めれば、もう正午を過ぎている。湖畔の市街を眺めているうちに、やはりウダイプールの街を歩きたくなった。
前回は、病院に行ったり、牛から辛い仕打ちを受けたりと、いいことがなかったから、今回はホテルで優雅に過ごそうと決めていたのだが、どうもそれだけでは気がすまないらしい。
夫は喧噪が苦手なのはわかっているので、わたしは一人で行くと言ったのだが、一緒に行くという。
「途中で絶対、文句言わないでよね」
と約束して、ホテルを出たのだった。
ボートで湖畔に渡り、パレスを通過して、市街に出る。通りの両脇には土産物屋や商店がひしめき合い、オートや二輪がせわしなく行き交い、下校中の子供が歩道を占拠し、バックパッカーな欧米人ツーリストが店頭を冷やかし、たいへんな喧噪だ。
それにしても、インドのバックパッカーの人たちは、どうしてみな、揃いも揃って同じようなファッションなのだろう。
インド女性が身につけることのない、しかしインドで入手できるところのニッカポッカのようなだっぽりしたパンツに、タンクトップのTシャツ。木綿のずた袋的バッグを斜めがけにしている。
洗濯しやすいからだろうか。ともあれ、まるでユニフォームのようで興味深い。
歩道をそぞろ歩いていたら、突然、背後から後頭部を強打された。驚いて立ち止まったら、諸手を広げて走り去る10歳ほどの少年。
わざとではないにしても、あれだけひどくぶつかったら、立ち止まって謝るのが筋だろう。ところが、そのまま走り去っていく。
反射的に、追いかける我。
少年の肩をぐいとつかむ。
驚きの目でわたしを見つめる少年。
「あなたの腕が、今、わたしの首の辺りに力一杯ぶつかったの、気づかなかったの? そんなはずはないわよね。ぶつかったら謝るのが礼儀でしょ!」
まるで、自分はぶつかっていない、無実だと言わんばかりのイノセントな目で見つめる少年。なんなのだ、この無垢さは。
と、一部始終を眺めていたらしき、どこぞの店のおじさんが、近づいて来た。
「まあまあ、マダム、落ち着いて。確かに全速力で駆けてあなたにぶつかった彼は悪い。わたしからも、よ〜く言っておきます。これからは、ゆっくり走りなさいって。ともかくは、子供のしたことですから、許してやってください」
なにやらポイントがずれている気がしないでもないが、しかし、またしても、我に返らせられる。
このおじさんにとって、この少年は他人の子である。にもかかわらず、まるで自分の身内に対するような親密さとやさしさを漂わせている。
走りの速さの問題ではない。ぶつかって知らん顔をしていることが問題なのだ。と思っていたのだが、なんだかもう、そんなことはどうでもいいような気がして来た。
さて、いくつかの土産物店に立ち寄り、しかし、特に買い物はせず、ただ、細密画の専門店で、ウダイプールを舞台にした絵と、ゾウの絵を購入した。今回の旅の思い出である。
さて、そろそろホテルに戻ろうか……と話していた矢先、菓子屋の店頭で大量グラブジャムンを発見! 思わず吸い寄せられる夫。「路上もの」にも関わらず、食べる気らしい。
ちなみに左の大鍋は油で揚げているところ。右の大鍋は、激甘大量シロップに浸しているところ。
1皿2個入りで5ルピー。ホテルのグラブジャムンは550ルピー。価格差110倍!!
それはさておき、この揚げたてグラブジャムン、ほくほくとおいしかった。しかしわたしは1個でよい。しかし夫はもう少し食べたいと、もう1皿を頼み、一人で都合3個を平らげた。幸せそうである。
さて、ホテルに戻りしのちは、もう一度、パレス内を散策する。それぞれに、お気に入りの場所で記念撮影をしたり、眺めを楽しむ。
ホテルのスタッフも積極的に、「写真を撮って差し上げましょう」と申し出てくれる。
最後に、エントランスでの写真を撮ってくれた女性のスタッフが、「この次は、いついらっしゃいますか?」と尋ねる。
「多分、10年後くらいに」と答えた。
この8年が、瞬く間だったのだ。10年後も、瞬く間に訪れることだろう。そのときグラブジャムンは、いったいいくらになっているのだろう。
そんなことはさておき、本当に、よき滞在だった。
最後のボートは、夕暮れの風が清々しく、殊更に気持ちよかった。この空気を伝えたく、ボート上から、携帯電話で日本の母に電話をした。
ざわざわという風の音と、ボートのエンジンの音が、聞こえたようだった。