🌏当記録は、結婚20周年を記念して、2001年7月の記録を発掘/転載するものです。(2021年7月)
翌日、いよいよ日本から、わたしの両親と妹夫婦がやってきた。一応、病み上がりの父と、きれい好きの母が、このインド滞在に耐えられるかどうかが今回の一大テーマである。
これまで何度か父のことは書いたが、母のことを触れたことはなかったように思う。我が母もまた、父を凌ぐユニークな人物である。
幼い頃から自分は欧州貴族の生まれ変わりと信じていて、ヨーロッパに行ったことがないにも関わらず、彼の地の文化が好きで、ことにインテリアなどに関しては、ヴィクトリア調がお好み。その嗜好はわたしも引き継いでいる。
長年専業主婦をしていたが、50歳のころ、突如、絵画に目覚め、オランダのアッセンという地方で起こった「アッセンドリュフト」という、家具や調度品に花や果物の図柄を施す絵画を学びはじめ、現在は先生をしている。母の色彩やデザインのセンスは、先天的にすばらしいものがあると、身内のひいき目ではなく、客観的にそう思う。
ちなみに母は「これからの女性は自立しなければならない」と、わたしが3歳くらいのときから呪文のように言い聞かせていた。
空港へはアルヴィンドとわたしが二人で迎えに行った。予定よりも早くJALの便が到着。遠くに黄色いシャツを着た、太った男性が見える。お父さんに違いない。アルヴィンドに、
「ほら、あそこ、お父さんだ!」というと、
「えーっ、お父さん、がんで痩せたんじゃなかったの? あれは違うよ、スモウ・レスラーみたいだもん」
4人の人影がだんだん近づいてくる。日本人らしからぬ存在感。やはり我が家族だ。
去年の3月、父の肺がん発病に伴い帰国したとき、父は80キロ強に減っていたのだが、今はすっかり回復して体重も95キロ前後のよう。ちなみに身長は172センチだから太りすぎである。とても病み上がりには見えない。
アルヴィンドは空港の花屋で買っていた二つの花束を、母と妹に渡す。色鮮やかなグラジオラスの花束だ。
その日は、ホテルへチェックインしたあと、お土産などの荷物を整理して、6人で夕食に出かけた。「タージ・パレス」というホテルのインド料理店だ。
早くも日本勢はインド料理に夢中の様子。特に「ナン」を気に入った父は「小麦粉が違う! おいしい!」とひたすら食べている。その旺盛な食欲には、安心を通り越して、呆れる。
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