インターネットのお陰で、日本のニュースをライヴで見ることができる。いくつかのサイトを見てみたが、USTREAMのNHK総合テレビにつないでいる。
ときおり、テレビでCNNやBBCのニュースを見る。BBCでは、原子力発電所の爆発シーンが繰り返し放送されている。NHKで見られるよりも、むしろすさまじい津波の模様が、これでもか、これでもか、というほどに流されている。
昨日、今日と、インドの友人知人、いろいろな人から電話やメールが届く。日本の家族や親戚を案じる言葉に胸が詰まる。
母が通っていたアーユルヴェーダの診療所のドクターも、母を案じる電話をくれた。近い人、遠い人、どんな人からであれ、やさしい言葉をかけられるたび、ぐっとくる。そういうときは、舌の先を噛む。
遠い昔、黒柳徹子が、「泣いちゃいけないときに涙が出そうになったら、舌の先を前歯で噛むと涙がとまる」と言っていたのが、心に残っているのだ。
父の葬儀の際にも試してみたが、かなり効果的だった。妹にも教えたら、葬儀のあと「舌を噛みすぎて、舌の先が痛い」とこぼしていた。あまり強く噛みすぎないようにするのがポイントだ。
日本の友人、知人、仕事関係者と、メールや電話で連絡を取り合っている。東京では、携帯電話が通じる人、ランドラインしか使えない人、それぞれ事情が異なるようだ。
身体的に無傷とはいえ、みなそれぞれに、たいへんな思いをしていることが伝わって来る。数時間かけて帰宅した人、家の中が無茶苦茶だった人、ご主人が海外出張中で不安な人……。
木曜日の夜にインドから日本へ帰国された方は、成田着陸の5分後くらいに地震が発生し、8時間近くも機内で待機だったという。
ニュースには流れないところで、どれほどたくさんの人たちが大変な目に遭われていることか、察するに余りある。
子供がいる人はまた、子供の心が心配だ。子供だけを、遠くに避難させることを考えているという友人もいる。そうして深刻に話していたかと思えば、
「余震が恐いから、一緒に寝よう、って娘と寝たんだけど、朝になったらベッドにいないのよ。どうしたの? って聞いたら、ママのいびきがうるさすぎて、地震よりいや、って言われちゃった!」
と言って笑う。地震よりいやないびきって、どんないびきよ!
「みぽり〜ん(と呼ばれている)、いざってときは、インドに子供たち送るから、預かってね」
「もちろん! いつでも送って! あ、でもこっちは停電もしょっちゅうだし、コンビニとかないし、道路とか普通に歩けないし、むしろ、子供たち、いやがるかもよ」
などと言いながら、ともかくは、元気でがんばってね、何かあったら連絡してね……と、電話を切る。
直接の被害を受けていない人は、「いつも通りの生活を」することが大切だ、とわたしは思っているのだが、そのいつも通りを、いつも通りにレポートしたことで、不快に思われた方がいらしたことを、コメント欄を通して知った。
未曾有の大惨事。夜があけるたびに、被災のすさまじさ、ひどさが明らかになってくる。わたしにしても、まさか原発があんなことになり、惨事が大きく拡大することになるとは、想像していなかった。
12日のその時点で、食べ物やら服のことやらをレポートしたのは、確かに不適切だったと思い、削除した。
わたしがホームページを持ち、インターネット上に言葉を発しめたのは今から11年前。10年前の9/11のテロのころは、メールマガジンを発行していた。
テロ直後の思うところをあれこれと綴った際には、やはり今回と同じように、賛否両論のメールがたくさん届いた。
ニューヨーク時代の方が、読者数(メルマガ登録数)は圧倒的に多かったので、一つ一つに返信するには時間がかかったが、しかしそれは同時に、自分の考えをまとめるのに、役に立った。
人の、物事の捉え方、考え方、行動の仕方はそれぞれだ。ただ、強いて言えば、こういう事態において、心を痛めていない人は、多分、ほとんどいない。
反感の言葉をぶつけている方も、多分、ご自身がたいへん苦しい思いをされているのだろうと思う。そこへきて、お気楽そうに見える日常は許し難いと思われたのも、理解できる。
ただ、同じ方が名前や文体を変えて、いくつもの批判のコメントを送られるのは、ルール違反だ。編集画面を見れば、IPアドレスが出てくるので、発信されている地域などがわかる場合がある。
今回の惨事以外の部分で、心が塞ぐような思いをしないよう、もちろんわたしもそうだが、誰もが「誰かを責めすぎないように」することも、大切だと思う。
地震発生以来、広く大きな部分で、政治家や、東電の人や、メディアや、その他諸々、あちこちで、誰かを非難する声、文字を目にする。
それぞれの対応に、反論、不満ははあるだろう。しかしこの状況下において、誰が事態を悪くしたいと思うだろう。みな、なんとかしようと一生懸命であることは、間違いない。
これがテロであれば、怒りの矛先をテロリストに向けることができる。そこに怒りをぶつけることで、心身に満ちた不条理を、緩和させることもできるだろう。
しかし、今回は、天災である。怒りのぶつけどころがない。だからといって、誰かを責めても、何も得られない。
今後、多くの人々の、緊張や疲労が、怒りや不満に移行し、心のバランスが崩れてしまう方も増えるだろう。
今、この不安定な状況にあって、自分の、明日の気持ち、来週の気持ちはわからない。わからないが、わたしは自分のできること、インドからのレポートを、その表現を模索しながら、続けるつもりだ。
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