2001年9月11日、米国を襲った同時多発テロ。旅客機4機がテロリストグループに乗っ取られた。
当時、わたしが住んでいたニューヨークのワールドトレードセンターに2機が激突、そして夫が住んでいたワシントンD.C.(正確には郊外のヴァージニア州)にあるペンタゴン(米国国防総省)に1機が激突。
ホワイトハウスかキャピトル(アメリカ合衆国議会議事堂)を目指していたとされる1機が、乗客らの尽力で激突を回避されたものの、しかしペンシルヴェニアのシャンクスヴィルに墜落した。
以来16年。決して訪れることはないだろうと思っていた場所へ、今回はなぜか旅の前から訪れようという気持ちが芽生えていた。
ひとつは、「自由の女神」を、改めて見て見たいと思ったこと。マンハッタン島の南端に行くとなれば、ワールドトレードセンターの跡地を訪れることにもなるだろう、と思っていた。
National September 11 Memorial & Museum。通称、911メモリアル。
アメリカ同時多発テロ事件の公式追悼施設として、2011年にオープンした国営の施設。ニューヨークのグラウンド・ゼロにある。
実は前日、日系の美容院で髪を切った折、スタイリストの女性が、911メモリアルのことを話してくれ、行かれたほうがいいですよ、と勧めてくれたのだった。
わたしは、ワールドトレードセンターのあとに、再び高層ビルやミュージアムが建てられたのだと思い込んでいて、だから、とてもじゃないけれど、その地を踏めないと思っていたのだが、それはわたしの、大いなる思い込みだった。
「2棟のあとが、滝みたいになっているんです」
と、彼女から聞いて初めて、その場の状況が想像でき、行ってみようと思ったのだった。
その日は朝から、ひどい雨だった。雨降りの中の外出は極めて苦手なのだが、しかし、雨だからこそ、訪れるにふさわしい気もした。地下鉄でひたすら南下し、その場所へ。
ちなみにミュージアムの情報を調べたところ、チケット売り場はたいてい長蛇の列だとのことで、あらかじめネットで予約、支払いをすませておいたのだった。実際、雨の中でさほど待つことなく入場できたのはよかった。
そして遂には、16年ぶりに、キャナルストリートより南へ踏み込んだ。あの、途方もなく衝撃的な日は、人生における分岐点となり、今の自分に連なる。
二棟のビルディングの跡が、それぞれに、このようなプールになっている。周囲には、亡くなった人たちの名前が刻まれている。
ふと、日本人男性の名前が、目に飛び込んできた。タカハシケイイチロウさん。あの日、24名の日本人が亡くなった。どれほどの恐怖と、無念であったことだろう……。
雨が降っていて、周りに観光客が少なかったのは、本当によかったと思う。笑顔でセルフィーを撮る人たちが、数えるほどしかいなかったからだ。
当事者ではないわたしですら、その姿を見るのは、嫌なものだった。遺族には、とても耐えられないだろう。
水辺で手を合わせながら思う。ここに、宗教を超えた「祈りの場所」があればいいのにと。写真の撮影や会話を禁止する、できれば静かに、死者を悼むことができる場所があればいいのにと。
ミュージアムの展示について、言葉を添えるのは控える。写真だけを何枚か、残しておく。
先日、旅の途中に記した9/11に関する個人的な記録へのリンクをはっておく。
あれからテロが減るどころか、益々増え続ける世界にあって、自分自身が、自身の過去の記録から改めて学ぶところ多く。
当時の記録には、自分を取り巻く人々のエピソード、世の中の動きなどを、かなり克明に残している。
■2001年9月11日から連なる日々。大切な記録の転載〈超長編〉 (←CLICK!)
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