『バンガロール・ガイドブック』は、バンガロールに暮らす人々のため、ミューズ・クリエイションによって2019年4月に創刊されたオンライン・ガイドブックだ。
そもそもは、わたしがニューヨーク在住時から、自分のライフにおいて考察したいと考えてきたテーマの一つ「異国で子どもを育てるということ」を、メンバー有志と話し合うことを目的として「Edu Muse」というチームを立ち上げた。ところが、最初のミーティングで、はじめに向き合うべきテーマがあることに気づく。
数カ月の間、打ち合わせを重ねて案を出し合い、情報を集めて提供しあい、このオンライン情報誌を立ち上げた。なにしろ旧式のホームページソフトを使っていることから、内容はしっかりしているものの、体裁が地味だ。別のフォーマットに移行させるべきかと思いつつも歳月は流れ、COVID-19世界に突入してからは更新も滞り、この1年余り、眠ったままだ。
さて、わたしは今年2月から始めたClubhouseを通し、「子どもの教育」に関するルームを訪れては、世界各地で暮らす日本人の声を聞いている。そんな中、先日、なんとなく立ち寄ったルームの主催者が、偶然にもニューヨーク在住時代の知人だったことがわかって驚いた。
20年ぶりに言葉を交わしつつ、しかし彼も、わたしも当時と変わらず、思うところを発信し続けているということがわかり、うれしく思った。当時、彼は日系の新聞社に勤務する傍ら、個人的にミニコミ誌を発行していた。一方のわたしは、日系出版社の広告営業を経て、自分で出版社を立ち上げ、『muse new york』というフリーペーパーを出版していた。
ちなみに昨日立ち寄った「日本文化を海外へ広める」というコンセプトの部屋でも、ニューヨーク在住の方と言葉を交わし、『muse new york』をご記憶だということがわかってうれしかった。過去と現在の往来が、このごろは頻繁だ。
さて、この『バンガロール・ガイドブック』は、「バンガロール生活マップ」や、「バンガロール生活Q&A」など、ミューズ・クリエイションのメンバーから寄せられた、実体験に基づく情報をもとに編集されている。
しかしながら、バンガロールに限らぬ、インド各地、あるいはインドを超えて異郷の地に生活する上で役立つ情報も掲載されている。眠らせておくにはもったいない情報も多々あるので、ぜひご覧いただきたく、下に冒頭の挨拶文を転載するとともに、『muse new york』の最終号「異国で子どもを育てるということ」という特集も転載する。ぜび、目を通していただければと思う。
*バンガロール・ガイドブック* オンライン情報誌(2019年4月創刊)
インド生活に役立つコンテンツが満載です。ぜひブックマークを🔖
➡︎https://lit.link/en/bangalore
*内容の例/CONTENTS
〈暮らしのための、実践的な情報〉
●超便利! バンガロール生活に役立つ生活マップ
●バンガロールでの住まい選びと、暮らしの注意点
●バンガロール生活〈Q&A〉食生活
●バンガロール生活〈Q&A〉ショッピング
●バンガロール生活〈Q&A〉暮らしのあれこれ
●バンガロール生活〈Q&A〉医療、妊娠、出産
●便利! オンラインショッピングを使いこなそう
●バンガロールでの食生活と健康管理
●インド生活に役立つ日本語サイトのリンク集
●バンガロールの各種コミュニティ、イヴェントサイト
〈子どもの学校や教育について〉
●バンガロール生活〈Q&A〉育児、教育、学校
●バンガロール生活〈Q&A〉帰国後の教育・進路
●バンガロールの教育機関、学校情報
●異国で子どもを育てるということ
〈バンガロールを知る。インドを学ぶ〉
●知れば楽しい。バンガロールは、こんな都市
●混在する新旧の価値観。究極の多様性国家を見つめる
●バンガロール歳時記:祝祭日や風物詩
●インドのエンターテインメントに触れ合う
●インド・パキスタン分離独立の背景と二大政党を知る
●日本とインドとの深い関わり
●インドの中心〈ナーグプル〉で仏教を叫ぶ
〈インドで働くあなたへ〉
●日系企業のCEOによるビジネス勉強会や日系企業の工場見学などの記録
●インド・ビジネスに役立つ日本語サイトのリンク集
〈バンガロールの社会問題に目を向ける〉
●在バンガロール日系企業によるCSR活動の実践例
●ミューズ・クリエイションが支援する慈善団体一覧
●バンガロールのゴミ問題と向き合う
●インフラ事情を知り、無駄のない暮らしを心がける
〈心の健康も、たいせつに〉
●ストレスを抱え込まないために。メンタルヘルスケア
●うさぎのアリスの猫レポート(やや強引にアニマルセラピー)
〈バンガロールを遊ぶ。インドを楽しむ。〉
●在住者が勧めるバンガロールのお気に入りスポット
●インド国内旅行、インド発海外旅行情報(リンク集)
〈インドでは働きたくても働けないあなたへ〉
●退職 or 休職し、家族帯同ヴィザで赴任した妻の課題
●異国に暮らし働くことについて。個人的な体験と所感
☟以下、『バンガロール・ガイドブック』の冒頭あいさつ文を転載している。
◉インドに暮らす方々へ/はじめに
インド赴任が決まった日。「やった~!」と喜び勇んで帰宅し、家族に報告。家族みんなで手を取り合い、祝杯をあげる……という人は、多分、稀だと思います。妻からは「なんでインドなわけ?」と悪態をつかれ、子供からは「毎日カレーなの?」と困惑の表情で尋ねられ、赴任前から不安を抱えている人が多いことでしょう。
もっとも最近では、自らの意思でインドを選び、語学留学をする学生や、新規ビジネスの設立に携わる人、あるいはインド駐在を志願する人など、インドの未来に可能性を託して、この国に暮らしている人も少なくありません。
しかしながら、住み始めれば、何かにつけて手強いインド。日本の約9倍の国土に、約10倍の人々が住む多様性の国インドでは、 宗教、地方、階級、コミュニティなどにより、ライフスタイルは千差万別です。わたしたちが日常生活を通して知り得るインドは、広大無辺の国の、氷山の一角に過ぎません。
無数の価値観が渾然一体となって漂っている国を前にして、「一般的な日本人」は、たいてい怯み、動揺します。憤慨することもあれば、途方に暮れることもあるでしょう。インド人同士ですら、異文化を受け入れ合って共存しているこの国において、「母国、日本の常識」は、とてもはかないものです。
それでも、縁あって暮らすことになったインド。公私を問わず、有意義な歳月を送りたいものです。この国の背景、文化や習慣などを知っているのと知らないのとでは、日常生活のあり方や、心持ちが大きく変わります。
『バンガロール・ガイドブック』は、インド、特にバンガロールに暮らす日本人のために創刊された、オンライン上の情報誌です。日常生活に役立つ実践的な情報から、インドへの精神的理解を深め、知的好奇心を高めるべく情報に至るまで、これから少しずつ、掲載していきます。どうぞ、ご活用ください。
ここからは、『バンガロール・ガイドブック』の編集者である坂田マルハン美穂の私事を交えつつ、創刊の背景について言及したいと思います。
◉インド以前。はじまりは、ニューヨーク
わたしは、高度経済成長期の日本に生まれ育ち、バブル経済の最中に成人しました。大学卒業後、上京。20代は海外旅行誌の編集や執筆、広告関係の仕事に携わっていましたが、英語力をつけるため30歳のとき、語学留学目的でニューヨークに渡りました。
1年間の滞在予定だったはずが、ニューヨークを殊の外、気に入ってしまい、やがて出版社を起業、就労ヴィザを自給自足して約5年間、マンハッタンで働きました。そこで出会ったインド人男性(夫)が、わたしをインドへ導く契機となりました。尤も2001年、結婚式を挙げるため、初めて彼の故郷であるデリーに降り立ったときには「こんな国、住めない」と、思いました。
結婚の2カ月後、米国を襲った同時多発テロを機に、わたしはニューヨークを離れ、夫が暮らすワシントンD.C.に移転。その数年後、わたしは、インドに住んでみたくなりました(詳細は割愛)。「これからは、インドが面白い」と直感したわたしは、インド移住に消極的な夫を説き伏せること1年。事前のインド旅行で「バンガロールが一番住みやすい」と思っていたところ、夫が、バンガロールで米国企業のオフィス創設に関わることが決まりました。数カ月に亘る米国ベイエリアでの準備期間を経て、 2005年11月、我々夫婦は、バンガロールへ移住しました。
◉1991年の市場開放を端緒に、インド社会は変化
1947年、久しい英国統治時代を経て、印パ(インド・パキスタン)分離独立を果たしたインドは、社会主義的政策を推し進めていました。夫の子ども時代は、電話回線を引くにも数年待ち、自家用車を購入するにも数カ月待ち、テレビをつければドゥールダルジャン(国営放送)がメインで、番組も「収穫を祈る農民の踊り」みたいなものしかなかったと言います。多少、話が盛られているかもしれませんが、夫にとって「インドは遅れた国」との印象しかありませんでした。
1991年、 ソビエト連邦のゴルバチョフ書記長が推し進めた社会主義体制の改革、即ちペレストロイカ(再構築)の影響で経済危機に陥ったインドは、経済の自由化を図るべく市場を開放しました。その前年の1990年、米国の大学に進学し、その後、ニューヨークの企業に勤務していた夫にとって、インドは「第三世界」でしかありませんでした。「今でもそうじゃないか」という声も聞こえてきますが、だいぶ違います。
「半年はお試し期間だからね。嫌になったらアメリカに帰るから!」
と言いながら、かれこれ14年。 夫は、今でも母国に対し、愛憎の念が入り混じっている模様ですが、ここを離れるには至っていません。米国生活とは異なる魅力や利点も多々あるインド。わたしにとっては、米国と並んで、第二、第三の祖国です。夫の意向はさておき、わたしは今のところ、この国を拠点に、生涯を過ごすつもりでいます。
◉2006年からインドで仕事を開始。多彩な情報を日本へ
インド移住以来、わたしはインドと日本を結ぶさまざまな仕事に携わってきました。 情報誌への寄稿、 新聞への連載、ラジオを通してのレポートのほか、市場調査や日本からの視察旅行のコーディネーションなど、多岐に亘ります。
なかでも、個人的に極めて意義深かった仕事は、日本の大手広告代理店の研究開発局に所属する女性との、10年に亘るビジネスでした。彼女からの依頼を通して、インド各地のライフスタイル、ビジネスに関わる多彩な市場調査を行い、レポートを作成し、ときには日本の本社でセミナーを行うなど、山ほどの貴重なプロジェクトに関わる機会を得ました。
2006年から、彼女が退職した2017年にかけての、変貌著しい時期のインドを、自分の興味や関心、また単発的に依頼される仕事では決して得られない視点から眺め、調査することができたのは、わたしの人生にとって大いなる収穫でした。
◉情報が溢れる時世にあって、欲しい情報を得にくい実情
ビジネス、文化、ライフスタイルとあらゆる面において、刻一刻と変化し、栄枯盛衰が激しい昨今のインド。日本の約9倍の国土に、約10倍の人々が住む、この多様性の国ではまた、宗教、地方、階級、コミュニティなどにより、ライフスタイルは千差万別で、無数の価値観と、時代の新旧が、渾然一体と存在しています。一つの国でありながら、その濃度は欧州連合 (EU) に勝るとも劣りません。
ゆえに、ピンポイントでの情報を、的確に得にくいのが実情です。
インターネットの普及により、遍く情報が流通している現在でもなお、インド、特にバンガロールに関して、日本人が知り得る情報源は極めて少ないとの印象を受けます。多くの日本人がインドに対して抱くイメージは、十数年前にわたしが移住したころから、さほど変わっていないとも感じます。
◉駐在員夫人との会話を通して、問題点が明るみに
わたしは、2012年に日本人有志からなるNGO「ミューズ・クリエイション」を創設し、以来、多くの日本人(特に駐在員夫人)と関わってきました。メンバーは常時約40名が在籍し、のべ200名を超えています。
彼女たちから異口同音に聞くのは、「インド赴任前の、情報収集の困難さ」です。バンガロールへの赴任が決まっても、まとまった情報を入手できる情報源がなく、当地での暮らしをイメージしにくいとのこと。夫の帯同で赴任したものの、知り合いもおらず、外出するのも不安で、何カ月も自宅に引きこもっていたというメンバーもいました。
また、バンガロール赴任に際しては、特に子どもを連れて行くことに不安を覚え、悩んだ末に、単身赴任を選ぶケースが多いこということも、数多、耳にしてきました。
一方、家族そろってバンガロールに赴任したものの、入学を予定していたインターナショナルスクールの試験に通らず、数カ月間、語学学校に通う子どもがいるという話を、数年前に聞いたときには、衝撃を受けました。
義務教育下の子どもが、たとえ数カ月でも、海外赴任によって正規の学校に通えない状況に置かれるというのは、由々しき事態です。その状況は改善される様子もなく、未だに情報不足で、速やかに転校できない子どもがいるとのことを、昨年もまた、メンバーから聞きました。
学生時代「国語の高校教師」を目指していた時期もあったわたしは、子どもの教育に関して、少なからず関心があります。海外に暮らし始めてからは、『異国での子どもの教育』に対する思いが、萌芽しました(詳細は割愛)。
◉異国に育つ子どもの未来を考える。EduMuse始動
わたしは、これからの日本が、真にグローバルな社会を築き上げていくに際し、海外で暮らした経験のある「帰国子女」たちが、大きな役割を果たすと確信しています。ゆえに、ミューズ・クリエイションのメンバーに声をかけて有志を募り、昨年の師走、新たなチーム、EduMuse(異国に育つ子どもの未来を考える)を始動しました。
EduMuseのメンバーとのミーティングを通し、この『バンガロール・ガイドブック』は誕生しました。 当初は子どもの教育情報に特化する予定でしたが、「基本的な生活情報が知りたい」「住まいを決めるにも、家や学校、会社の位置関係がわからなかった」といった声があがったことから、Googleマップのオリジナル地図作成機能を利用しての『バンガロール生活マップ』を作ることにしました。また、現地での体験談が貴重だとの意見が出たことから、ミューズ・クリエイションのメンバーによる生きた情報が募られた『バンガロール生活Q&A』を作るに至りました。
ミューズ・クリエイションのメンバーから集められる情報の編集にとどまらず、さらには、坂田が個人的に書き溜めてきた記事を整理し、有効な情報をピックアップして加筆修正をし、この『バンガロール・ガイドブック』に集約するべく、掲載することにしました。
◉「情報は、無料ではない」と、思い続ける一方で
インターネットが普及し、過去20年余りにおける情報の伝達形態は劇的に変化しました。誰もが瞬時に「活字」を世界中に発信できる世の中にあり、誰もがライターに、あるいは出版者になれる時代です。
原稿用紙に文字を記し、それを写植(写真植字)会社、あるいは印刷所に持ち込み、紙に印刷してようやく、出版物が誕生するというワープロ以前のアナログな出版業界で仕事をした経験のあるわたしにとって、「情報は無償で誰もが得られるべきもの」だとの趨勢に、違和感がないといえば嘘になります。
わたしはプロのライター、編集者、リサーチャーとして、過去30年以上、仕事をしてきました。時間をかけての取材や調査、あるいは経験に基づいてまとめた情報を、本業の傍らとはいえ無償で提供し続けたのでは、プロとしての矜持を保つことも困難です。
ただ、その一方で、自分が抱え持つ知見を、セミナーなどを通して限られた人たちだけに伝えることに、限界を覚えているのも事実です。バンガロールには住んでいない、しかし赴任を目前にして、バンガロールのことを知りたいと切望している人に、リアルな情報を届けることができないからです。
時代を経て生き続ける情報がある一方で、時の流れとともに価値がなくなる情報があります。
わたしが10年ほど前に執筆したバンガロールのライフスタイルに関する記事を、今なお、赴任前の家族に配布している日本企業があるとの話も聞きます。10年前と今とでは、バンガロールの暮らしは劇的に変化しており、その資料の記述が現実に即しておらず、むしろ混乱を招く原因になりかねません。数年前に知人を介して、その資料の配布をやめてもらうよう頼みましたが、未だに配られているようです。バンガロールの現実的で実践的な情報が届いていないことへの懸念もまた、ひとつの契機となりました。
個人的には、それなりに逡巡しつつ、着手を決めた『バンガロール・ガイドブック』。創刊した以上は、これからも少しずつ、改訂を重ねながら、バンガロールに暮らす日本人のために、実践的な情報をシェアしていきます。
バンガロール在住、あるいは在住経験のある方からは、今後、情報提供などのご協力を仰ぎたいとも思っています。
◉最後に。読者のみなさまへの、お願い
もしも、この『バンガロール・ガイドブック』に記載されている情報が、みなさまの暮らしに少しでも役立つ部分があったならば、公私を問わず、金額の大小を問わず、どうぞ、ミューズ・クリエイションへ寄付をお願いします。
ミューズ・クリエイションは2015年にCharitable Trust (NGO) の登録をしており、2017年9月には、課税控除のための資格(直接税法第80G条に基づく第12A条の証明書発行)申請を経て、「12A」及び「80G」フォームを取得しています。
即ち、寄付金をいただいた際には、領収書及び「12A」の写しをお渡しするので、課税控除となります。寄付金は、ミューズ・クリエイションが責任をもって、ローカルの慈善団体へ寄付します。あるいは直接、各慈善団体へ寄付していただいても構いません。寄付先のご相談や、CSRに関するご相談などは、当方が無償で承ります。どうぞご連絡ください。([email protected])
バンガロールに暮らす日本人の生活が、少しでも快適なものとなり、日印友好、さらには日印ビジネスの活性化に微力ながらも貢献できたとすれば、幸いです。(2019年4月1日 坂田マルハン美穂)
☀️以下は、昨年開設したミューズ・クリエイションのYOUTUBEチャンネルにアップロードしている動画です。かつてバンガロールに暮らしていた帰国子女たちと、2度に亘って対談しています。必見です!
🇮🇳同時期、バンガロールに暮らした3人が、当時の経験や帰国後の生活について忌憚なく語る。楽しい会話の中にも、帰国子女が抱える課題が浮かび上がる。
*座談会開催日/2020年9月8日
*参加者/藤田杜、清原思香、村田倫規
*モデレーター/坂田マルハン美穂
🇮🇳子ども時代をバンガロールで過ごした3人。今はフランス、日本で学生生活を送る彼女たちの、インド生活の体験談や帰国子女の先輩としてのメッセージなど
*座談会開催日/2020年9月15日
*参加者/村田桐子、佐橋愛那、太田瑚己奈
*モデレーター/坂田マルハン美穂
😸おまけ/子どもだった彼女たちと、大人になって歌い踊る(笑)
【異国で子どもを育てるということ】
『muse new york』 最終号 2001年 秋号
わたし(坂田)は、1999年から2年に亘り、ニューヨークでフリーペーパーを出版していました。ビジネスの傍ら、それは自己実現のような媒体でした。即ち予算がないことから、自分で取材、編集、デザイン、執筆、印刷手配など一人で行っていました。たいへんな作業でしたが、同時に有意義でした。
2001年、インド人男性とニューデリーで結婚。ワシントンDCで働く夫との住まいと「二都市生活」を継続するなか、趣味の領域で発行を続けるには負担が大きくなったことから、ウェブマガジンに以降すべく廃刊を決めました。
紙媒体としての最終号のテーマは「異国で子どもを育てるということ」。ニューヨーク在住時、わたしは日本人駐在員社会とはほとんど交流がありませんでした。しかし、帰国子女問題については、当時から強い関心を持っていました。同号の取材を行っていた時期の9月11日。世界同時多発テロが、わたしの住んでいるニューヨーク、そして夫が暮らすワシントンDCを襲いました。それは筆舌に尽くしがたい、衝撃的な出来事でした。
自分の中の優先順位がバラバラと崩れ落ち、結果、わたしはニューヨークを離れ、夫と一緒に暮らすことを決意しました。その延長線上に、インドに暮らす現在のわたしがいます。
この号を開くと、当時のニューヨークの、締め付けられるような重い空気と切迫感、焦燥感が蘇ります。それと同時に、生きているものは、未来に向けて、まっすぐに生きねばならない、次代を担う子どもに対し、大人は道標を示す手助けをせねばならないとの思いもまた、蘇ります。
歳月は流れ、暮らす場所は変われども、異国に暮らす子どもたち、親たちが抱える課題は、当時も今も、あまり変わらないように思います。この号を編集するに際し、取材をさせていただいた方々の言葉は、今でも、誰かの心に、何らかの示唆を与えてくれるものと確信します。ここに、紙面の一部をシェアします。目を通していただければ幸いです。
【その他の記録】
*東大バンガロール事務所開設と、2003年のメールマガジンで書いたこと。
➡︎https://museindia.typepad.jp/2012/2012/02/edu.html
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