22年前の7月。わたしにとって、初めてのインドが、自分たちの結婚式だった。わたしはニューヨークに、夫はワシントンD.C.に暮らしていた。
末期の小細胞肺癌を患い、しかし抗がん剤治療で一時的に回復していた父。真夏のインド、わたしでさえ未踏の地。日本の家族を招くつもりはなかった。秋にニューヨークで披露宴をするから、そのときに来て、と伝えた。しかし父は主張した。
「僕は、美穂の結婚式のためなら、インドでも、地の果てでも、どこへでも、這ってでも行くからね!」
いや、這ってこられても困る。しかも、地の果てって……😅
初めてのインドでは、自分の結婚式よりもむしろ、父をはじめ、日本の家族が無事に乗り切れるか、そのことで気持ちがいっぱいだった。夫にも、義理の家族にも、父には無理をさせたくないと、あらかじめ伝えていた。
蒸し暑い猛暑のデリー。しかし、血色よく体格のいい我が父は、病の片鱗を見せず。本場のインド料理がおいしいと、デリー宅で出された料理やホテルの料理を、それはそれはよく食べた。
「ナンがうまい! 小麦が違う!」を連発し、旺盛な食欲だった。
あのときの父の強行を、今では感謝している。なぜならば、その2か月後、我々夫婦の暮らすニューヨークとワシントンD.C.の二都市は、世界同時多発テロの標的となり、10月に予定していた披露宴パーティや前後の旅の予定は、すべてキャンセルとなったからだ。
いろいろ、あった。
父は、それからも生きたが、2004年5月、66歳の若さで他界した。
……あれから19年。
一方の義父、ロメイシュ・パパ。慢性白血病を患っていた妻(アルヴィンドの母)を若くして亡くし、孤独な時期を過ごしていたが、ちょうどアルヴィンドがわたしと出会ったのと同時期に、彼は再婚相手となる女性と出会った。そして5年後、わたしたちが結婚する直前に、彼らも再婚した。
正直なところ、実の父とよりも、ロメイシュと過ごした時間は長く、思い出も多い。だから、2020年1月にロメイシュ・パパが急逝した時には、本当に、堪えた。79歳とはいえ、まだまだ元気だったから。
……あれから3年。
歳月は流れ流れて、わたしもどんどん、年を重ねる。
このところ、重い腰を上げて、旧居の大掃除(断捨離)を始めている。人生の後期に向けて、極力、身の回りを片付けておきたい。必要なものは新居に運び込み、旧居は極力、ものを減らそうとしているのだ。
数日前、もう何年も開いていない箱を開けたら、扇子が出てきた。一瞬、「え? どういうこと?」と戸惑う。なぜならばそれは、わたしが数日前に記した、日本で一時帰国時に購入した般若心経入りの扇子と、ほとんど同じものだったからだ。
わたしは、父の扇子を引き取っていたことを、すっかり忘れていた。忘れたうえで、先日の京都で、「欲しい」と思って購入したのだ。緑、オレンジ、茶色、灰色……と、確か5色ほど選択肢があった。そこから選んだのが、父のものと同じ濃紺だった。
少なくとも20年以上前に父が買ったであろう扇子と、わたしが先日買った扇子とが、シンクロナイズしている。
裏面を見れば、
「五月雨の 降り残してや 光堂」
松尾芭蕉が『おくのほそ道』にて、中尊寺の金色堂を歌った句がしたためられている。5月に他界した父を、あらためて偲ばせる。
「時には僕のことも、思い出しなさいよ」と、言われているようだ。この扇子は夫に使ってもらうことにした。
亡き人々が見守ってくれているおかげで、わたしたちは元気に生きていられる。ありがとうございます。🙏
そしてこれからも、よろしくおねがいします!😉
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