ムンバイのAWC (American Women's Club) で知り合った英国人女性から、子供たちに折り紙を教えてもらえないかと頼まれていた。ムンバイの北部郊外、Santa Cruzに暮らす彼女は、週に2回公立の学校を訪れ、図画工作などを教えているという。
「ぜひ一度、伺わせてください」と約束していた日が、今日であった。3歳から8歳までの子供10名ほどが参加するだろうとのことだったので、折り紙のための新聞紙を用意して出かける。
インドで美しい折り紙が手に入るはずはなく、だから身近な素材でいつでも作れるよう、敢えて新聞紙である。大きい方が折りやすいし教えやすいということもある。
ところで、経済誌の "mint" がとても良質の新聞であることは、以前も触れた。
この新聞は、内容ばかりか、その紙質もよく、おりがみに好適なのだ。
「仰天ライフ」の収録の際にも、アガペ・チルドレンセンターにmintの古紙を持参し、活用した。
紙質がよい上に、正方形に切ってカブトを作ると、子供の頭にぴったりフィットするサイズとなり、これまた便利。
そんなわけで、しばらくこの新聞を保管しておき、まとめて本日持参したのだった。
南ムンバイの南端の我が家から、目的地の学校までは1時間半ほどかかる。渋滞などで遅れることも予想され、約束の時間の1時を遡ること2時間前の11時に家を出る。
スラムが広がる埃っぽいエリアをくぐりぬけ、あちこちを彷徨した果てに、しかし30分ほど早めに到着。ほどなくして、英国人女性のEさんも到着し、ともに学校内へと入る。
ここは低所得者層の子供たちが通っているらしく、しかしみな制服を着て小ぎれいだ。彼らが貧しいのか裕福なのかなどは、見た目をしてもちろん、わかるわけではない。
Eさんは、夫の仕事の都合でムンバイに暮らし始めて2年。彼女自身はモンテッソーリ(イタリアのマリア・モンテッソーリによって考案された教育法)の教師の資格を持っているらしく、ムンバイに暮らし始めて直後から、この学校にてヴォランティアで教授しているとのこと。
すでに2年間も通っており、従ってはすれ違う子供たち、先生、みな顔見知り。ところがEさん、ある先生に会うなり、表情を曇らせて話しかけている。
そのときは、何を話しているのか気づかなかったのだが、その後、Eさんが告げてくれたところによれば、彼女の夫は、リーマン・ブラザーズに勤務しているのだと言う。4年間の駐在予定で、ロンドンからムンバイに赴任している(いた)のだとのこと。
思わず彼女の顔を見つめ、絶句してしまう。瞬く間に目頭が熱くなってしまう。わたしが感極まってどうすると思うのだが、瞬時にして彼女の苦悩が伝わるようで、にもかかわらず、こうして子供たちの世話をしに来ている彼女に、なんと声をかければいいのか。
やはり、社員にとっても倒産のニュースは晴天の霹靂だったらしく、この先どうなるのか、まったくわからないとのこと。わたしは知らなかったのだが、ムンバイだけで現地採用者が2000人もいるらしい。それに対して駐在員は25名。
その25分の1である彼女の夫は、パニックに陥っている2000名のテイクケアをせねばならず、その負担たるや、自分のことをさておいても、どれほどのものであろう。聞いているだけで、胸が詰まる。
「なるようになるわ。命があるだけでも、よかったのよ」
そういって笑顔を見せる彼女。確かにその通りだ。命があれば、何を置いても、まずはいいのだ。とはいえ異国の地で、会社の本体を失い、行く先も見えず、どんな思いであろう。
尤も、このような業界に身を置く優秀な人材は、ヘッドハンティングの話が舞い込むことも少なくなく、久しく職を失い続けるケースはないと思われる。しかし、それにしたって、態勢を立て直すまでには、時間もエネルギーも要するに違いない。
さて、気を取り直して折り紙である。
校舎の随所で、帰宅を待つ小さな子供たちがうろうろとしている。インドの子供たちは、顔が小さくて、でも目鼻立ちがはっきりとしていて、なにやら違う生き物のようである。
瞳が大きく、睫毛は長く、大きく笑う口からは白い歯がのぞき、顔の濃度がキューッと濃く、昆虫のようでもある。どんなたとえだ。
その小さな子供たちが、平坦で淡白な顔をしたわたしが珍しいのであろう、わらわらと集まって来て、抱きついたり手を握ったりシャツの裾をひっぱったりする。かわいいったらありゃしない。
そんな子供たちを振り切りつつ、指定の教室で教える子供たちを待つ。
Eさんに、5人と10人、どちらが教えやすいかと言われたので、少ない方がいいけれど、でもどちらでもいいですよ、と答える。
と、まずは最初の5人がやってきた。
それぞれに、自己紹介をして、まずは正方形に切っておいたmintを取り出し、カブトを作る。
Eさんも一緒になって、わたしから折り方を教わり、それを子供たちに教える。
カブトを作り終え、糊で補強する。みな、うれしそうに被っている。
それから今度は、長方形のままのmintで、飛行機を作る。わたしがまだ子供のころ、父がよく折ってくれていた飛行機だ。それを折った後、飛ばして遊ぶ。
ひとしきり遊んだら、さて次のグループだ。同じようにカブトを教え、それから飛行機。
聾学校で教えるときもそうだが、人のやってることをちっとも見ていない子もいれば、注意深い子もいる。隣の子にちょっかいを出す子、無駄にいじわるをする子、ぼけーっとしている子、無関心な子、本当にさまざまだ。
やれやれ、10人を教えるだけでもなかなかに大変なものだ。幼稚園の先生にはなれんな、しかし楽しい1日だったと自己完結していたところ、Eさんが、「じゃ、次のグループを呼んできますね」という。
ん? 10人程度ではなかったの?
聞けば合計40人近くになるという。よ、よんじゅうに〜ん?!
し、しまった。カブトだけにしておくんだった。しかし今更「飛行機はなしよ」などとは言えない。すでに情報を入手している他の子供たちは、「二つともを作りたい」と張り切っているのだ。
そんなわけで、合計37名、7グループにわけて、せっせとカブトと飛行機を教えたのだった。
新聞を多めに持って来ていたのは幸いだった。
途中から紙質の悪く、サイズが中途半端なMumbai Mirrorに変わったが、それはそれで、仕方あるまい。
それにしても、同じ情熱度を維持しつつ、7グループを教えるのは、かなり大変なものである。
なにしろやったらパワフルなガキども、いやいやお子様たちである。エネルギーを要することしきりだ。それに加えて、部屋が蒸し暑い。
天井にファンがあるのだが、風の強弱が調整できないため、スイッチをいれるとプロペラのごとく轟々と回り、新聞紙が宙に舞うのである。
さらには、ランチを食べていないため、だんだんお腹がすいてくる。お腹がすくと、たちまち弱ってしまう自らを鼓舞しながら、汗をふきふき、暴走する子を制しつつ、教える。
自分で折ってしまえば簡単だが、少しでも彼らにやってほしいので、ひとつひとつの動きを指南するのがまた、たいへん。
それにしても、やんちゃな子は、実にやんちゃだ。特に今日の場合、女の子たちが強かった。
普段の厳しさで接していいものかどうか、それはモンテッソーリの教育理念に反してしまうのだろうか、Eさんの様子をうかがいつつ、勝手をして騒ぎまくる子を適度に厳しく律しつつ、教える。
そして気がつけば、時計は3時半をさしていた。なんだか、どろどろである。しかしながら、子供たちはみな大喜びで去って行ったし、心地の良い達成感ではある。
好機を与えてくれたEさんに感謝の意を表し、加えて彼ら夫婦の前途の幸運を心から祈り、いつかまた会いましょうと別れを告げたのだった。
帰路はまた、1時間半以上かかる。途中、Cafe Coffee Dayで、サンドイッチとブルーベリーマフィン、それからカフェラテで遅いランチをとる。
いろいろな人と出会って、こうして小さくでも、子供たちの記憶に刻まれる何かを残していけることは、わたしにとっても幸運なことなのだと思う。
彼らがわたしの父の飛行機を、ずっと覚えていてくれるといいなとも思う。