先日開催した第3回チャリティ・ティーパーティ。集められた3500ルピーの寄付先を決めるべく、OWCが支援する二十余りの慈善団体から、今回はBANGALORE EDUCATION TRUSTを選んだ。
バンガロール郊外のヤラハンカ (YELAHANKA) と呼ばれる場所で、貧しい子どもたちのために無償で教育を受けさせている施設だ。
あらかじめ、マネージャーであるナガラジ氏 (Mr. Nagaraj)へ連絡を入れ、訪問する旨を伝える。同時に、寄付金以外の寄付の品についても問い合わせたところ、古着なども受け付けているとのこと。
以前、フランス在住の日本人女性読者の方が送ってくれた子どもの古着をはじめ、我が家の古着なども、まとめて袋詰めにして車に積み込んだ。
今回、他の日本人女性にも声をおかけしたところ、4人の方が同行されたいとのことだったので、市内で合流し、現地へと向かったのだった。
案の定、ウェブサイトから印刷しておいた地図は、まるで「空想地図」のようにでたらめで、なかなか現地にたどり着けない。
学校へ電話を入れたところ、先生の一人がバイクで迎えに来てくれた。
インドの地図は「デフォルメ」の域を超えて、制作者の願望や幻想が入り交じっていることが多いので、あてにすべきではないということを書き添えておく。
ヤラハンカ界隈は、バンガロール新空港が近いこともあり、開発著しく、道路はあちこちで砂塵を巻き上げ、大きなトラックが行き交い、とらえどころのない風景だ。
大通りをそれて集落に入り、左折右折を繰り返した果てに、その学校、BANGALORE EDUCATION TRUSTはあった。
この学校は、幼稚園児から高校生、つまり5歳から17歳までの子供たち総勢470人が、学び舎をともにしている。生徒は界隈に暮らす貧しい家庭の子供たち。学費や文房具、教科書などはすべて無料だ。
創設に関わり管理をしているのは、写真右下のナガラジ氏 (Mr. Nagaraj)。若いころはビジネスをしており、市街西部のマレシュワラムに50年ほど暮らしているのだという。
学校のあるこの土地は、彼が数十年前に購入した私有地だとのこと。現在70歳の彼は生涯独身で、兄弟も家族もないという。自分のためのお金をはさほど必要ないので、貧しい子供たちのたちの教育のために、1994年、この学校を立ち上げた。
創設にあたっては、ゴアで行われた会合(NGO団体の会合だと思われる)で出会ったスイスとドイツの慈善団体から多大な寄付金を受けたとのこと。左下の礎石がそれだ。
礎石の下の部分の石がいびつに削られているのは、訪れた支持者たちから、「我々は名声のために慈善活動をしているわけではないので、名前を載せないでほしい」と頼まれたことから、削ったのだという。
現在も、スイスやドイツをはじめ、オーストラリアなど海外の企業や個人からの寄付金の他、ナガラジ氏の友人や知人、地元の支援者の寄付金によって運営されているという。
ただ、昨今の不景気もあり、寄付金が思うように集まらず、現在、政府の援助を仰ぐべく申請しているところだという。
以前訪れたクレセント・トラストの創設者にしても、アガペ・チルドレンセンターの創設者にしてもそうだが、彼らが、貧しい人たちの助けのために、自らの人生を懸けて尽力している様子が伝わってくる。
こういう人たちのおかげで、多くの子供たちの未来が開けているのだ。
ナガラジ氏曰く、入学に際してはなんの試験も条件もないとのこと。訪れる子供たちをすべて、受け入れているのだという。だから子供たちも、同じ低所得者層ながらもその経済的背景は微妙に上下があるようだ。
ともあれ、望む人をみな、受け入れる。豊かな素地を持つ子供たちに、教育の機会を与えている。
学校は狭い土地に、建ぺい率いっぱいいっぱいに建てられた3階建ての建物だ。校内は清潔で明るく、とても雰囲気がよい。
インドの国旗や国花(蓮)、国鳥(孔雀)、国の果物(マンゴー)などの絵が大きく、とても丁寧に描かれていて、その心遣いに子供たちへの愛情を感じる。
左上の写真は先生方。彼らには、もちろん給与が支払われている。ナガラジ氏のみが無償での活動である。
さて、わたしたちは、朝10時前に到着し、12時過ぎるまで、2時間以上もここで過ごした。すべての教室を案内してもらったので、ずいぶんとたくさん写真を撮影した。そのなかから、子供たちの様子をお伝えするべく、いくつかを掲載する。
●幼稚園(5歳)の子どもたち。
最年少の彼らは、各自小さな黒板を持って、白墨で文字を書く練習をしているところだった。数字、カンナダ語(カルナタカ州の言語)、アルファベットなどを一生懸命綴っている。
肌を白く汚しながらも、その小さな手で小さな白墨を握りしめて書く子供たち。アルファベットをとても上手に書いていた男の子。写真を撮らせてと頼んだら、緊張している。本当にかわいらしい。
女の子とたちは、男の子に比べると「おねえさん」とう感じてとてもしっかりしている。さて、お勉強の後は牛乳の時間。みな、行儀よく一列に並んで、先生からコップに牛乳を注いでもらう。
おいしそうに牛乳を飲む子供たち。ロンパールームを思い出す。わざわざ番組の中で、子どもたちが牛乳を飲むシーンを映し出していたあのころ。
●1年生、2年生の子どもたち
教室に入ると、それぞれのクラスの子供たちが、それぞれに歌を歌ってくれる。それは先生や学びへの感謝の歌であったり、国を讃える歌であったり。
子供たちと言葉を交わし、ノートやスケッチブックを見せてもらったりする。女の子たちがダンスを披露してもくれる。右下の写真はカンナダ語の一覧表。先生が「み」と「ほ」の文字を指し示してくれているところ。
●3年生の子どもたち
子どものころは、女の子の方が本当にしっかりとして見える。優等生らしきカヴィタちゃんは、次々に課題のようなものを見せてくれる。
一方の男の子たちは写真におさまろうとにぎやかだ。それにしても、これまで訪れた慈善団体に共通して言えるのは、子どもたちへの教育が徹底していること。本当に感心させられる。
さて、このクラスでも、女の子たちがダンスを披露してくれた。伝統的な踊りらしいが、なにやらとても「セクシー」な身のこなし。
以前ボリウッドダンスのことを書いた時にも記したが、インドの踊りは「ピンクレディー的」であると、改めて思う。
●4年生の子どもたち
図画工作の作品。鉛筆を削った後のゴミを花に見立てている。また、アイスクリームの木のスプーンや、豆なども素材に使っている。豆が廉価のインドならではの図画だ。
●高学年 テスト
子供たちが、廊下でテストを受けている。なぜ廊下なのだろう……と思いつつ、次の瞬間、思い当たった。狭い教室では「カンニング」もたやすいので、多分距離を置いているのではなかろうか。
それにしても、みな黙々と、静かにペンを走らせている。
高学年になると机と椅子が大きくなり、しかし机が足りず、女子は床に座っているクラスもある。まだまだ、設備は十分に足りていないのだ。
●コンピュータルーム
小学校の高学年から、コンピュータも扱い始めるのだという。左上写真の左端の一台は、OWCから寄付されたものらしい。
生徒の一人がマイクロソフトのワードを立ち上げ、カンナダ語を入力してみせてくれた。エクセルを使ってみせる生徒もいた。
●そして高校生たち
わずか2、3年で、何が起こったのか? とでも言いたくなるほど、高校生の男子はすでに「おっさん?」的である。なにしろ、鼻髭、生やしているもの。
女子も女子で、すでに大人。視線もクール。黙々と勉強に集中している。それにしても、女子らのこの、髪のしめ縄ぶりといったら。つやつやと豊かで、本当にうらやましいかぎりだ。
ぶんぶんと振り回したら凶器にすらなりそうだ。
さて、教室の訪問を終えれば、外で鼓笛隊の子どもたちが演奏を披露してくれた。本当に歓待してもらえてうれしい限りだ。
左下の写真は生徒の構成表。ヒンドゥー、ムスリム、クリスチャンと、宗教別に人数が提示されているらしい。これは州政府に報告する必要があるとのこと。
途中、チャイやコーヒーをいただき、最後はオフィスでしばらく話を聞いて、おいとますることにした。いずれにしてもまた近い将来、何かを持参して訪れたいと思う。
最後、学校中の子どもたちが、外に出て見送ってくれた。まさに「セレブ待遇」である。
みなが満面の笑顔で手を振ってくれる。本当に、来てよかったと思った。
■帰路、近所のスラムにて。
同行の方々とランチをともにした後、買い物をすませて帰路につく。車のトランクには、大人用の古着が残っている。学校は基本的に子ども服だけ受け取るとのことだったので、別の場所に寄付しようとそのまま車に積んでおいたのだ。
これを再び家に持って帰るよりも、我が家の近所にあるスラムに直接届けようと思った。以前、西日本新聞の記事のために訪れたことのあるスラムである。
車を降り、スラムの路地に立ち、大人に声をかける。もちろん、誰も英語を理解しないが、ゼスチャーで伝えようと思う。が、当たり前だが伝わらない。
通行人に通訳を頼み、「古着を持っているが、必要ですか」と一応かと尋ねてもらったところ、二つ返事だった。
車に引き返し、トランクをあけた。と、その瞬間、子どもたちが、まるで獲物を狙う動物のような勢いでどっと押し寄せてきた。
トランクには、古着以外にも、さきほど購入した必要な品々もあるのだが、彼らはそれらさえ奪おうとする。待ちなさいと、身体を張って制するも、大勢の子どもたちが押し寄せてきて、手に負えない。
ドライヴァーも手伝ってくれて、どうにか買い物の品は死守したが、あまりの攻撃的な行動に、あぜんとさせられた。
まるで砂に水がしみ込むような素早さで、荷物が消えた。
母親たちはといえば、子どもを制するどころか、むしろ煽っている。当然ながら「ありがとう」などの言葉はなく、逆に「わたしの子たちにもなにかちょうだい」と、迫られた。
現実を見た思いがした。
感謝を乞うてるわけではない。こっちだって、もらってもらえるのはありがたいことだから。ただ、学校で出会った子供たちの行儀のよさとはかけ離れた、悲しくも、まるで獣のような彼らの姿が、辛かった。
これが、現実だ。
ぼろぼろのトタン屋根の、青いビニルシートの屋根の、つぎはぎだらけの小屋に住み、埃だらけで、裸足で、空腹で、彼らに秩序や礼儀など、育ちようがないではないか。
生き延びるための、最低限必要の欲求を満たすために、本能的に行動する。そこにはマナーも、理性も、なにもない。彼らを責めることはできない。
なにもかも、教育あってこそ、を痛感する。
いや、教育を受けている人たちですら、バーゲンの品には殺到する。安売りセールのときには開店前からドアの前に立ち並んで、人を押しのけて、店内に駆け込む。
飢えていない人だって、モノをめがけて突進するのだ。飢えている人たちなら、何をか言わんや、である。
このスラムは、地方からの出稼ぎ者が暮らしており、親は土木関係の作業に従事、子供たちは学校にもいけず、物乞いをしている子もいる。
もう、なんだっていいのだ。自分たちが使わないもの、衣類でもタオルでも文具でも玩具でも日用品でも何でも。古いボトルや古新聞だっていい。換金してもらうこともできるから。
この次、寄付の品を持ってくる時には、小さく小分けにして、一人ずつに渡せるようにしよう。いや、それでも押し寄せてくるかもしれない。
一列に並んでください、と言ったとして、彼らは言うことを聞くだろうか。多分聞かないだろう。どうすれば、みなにうまく行き渡るのだろう。もうちょっと、きちんとコミュニケーションをとれるだろう。
作戦を考えてみなければ、と思った。
子供たちが、トランクから荷物を奪い取ろうとした時に、わたしの腕を引っ掻いた。その、見えないくらいの小さな擦り傷が、しかしヒリヒリと、しばらくの間、痛んだ。