本日、バンガロール市街北部に位置する慈善団体DEENA SEVAを訪れた。ここ数回分のチャリティ・ティーパーティで集められた寄付金24,000ルピー、及び寄付の品々を届けるためだ。
今回の訪問先をDEENA SEVAに決めた経緯については、先日ここに記した通り。
さて、参加者のみなさんと、まずは途中のポイントで合流するべく、車に荷物を積み込む。今週一杯は車のメンテナンスのため、今日もまた、タクシーサーヴィスを呼んだのだが……。
「いやだな」と言った矢先に、これですよ。
座席に座ってみて気づいたが、自分は背もたれによりかかるので、たとえここに撃たれても「目の前を弾がかすめる」に留まる。
などというどうでもいい話はさておき、山ほどの寄付の品々をトランク、後部座席に積み込んでもらったらもう、座る場所なし。
というわけで、助手席に。
実は、助手席に座ってフロントグラス越しに光景を見るのは好きなのだが、普段はやらない。
まず、女性がドライヴァーの隣に座るという習慣がないということもあるが、自分が隣に座ったら、「教官じみた態度」をとってしまいそうだからだ。
いろいろ言って、これ以上ドライヴァー難な人生に拍車をかけたくないのである。
久しぶりに助手席に座るとまあ、渋滞の激しさ、悪路のすさまじさが肌身にしみる。園児を引率する保母さんたちも、命がけだ。
なにしろ横断歩道なんてあってないようなもの。「道路に描かれたしましま模様」ぐらいにしか認識されていないのだから。
さて、郊外に向かうほどに、道路沿いの光景は閑散とし始め、建物も減って視界が広がる。とはいえ、舗装路の左右からは砂塵が舞い上がり、埃っぽい。
この道路は空港に続くハイウェイ(とは名ばかりの混雑した道)と並行していることもあり、通過して空港を目指す車両も増えている。
この先、数年のうちに、多分周辺の光景は著しく変化することだろう。
さて、その大通りを少し奥に入ったところに、施設はあった。緑に包まれた、静かで、穏やかな、広々とした敷地。そこにDEENA SEVAの4つの建物が立っている。
HIVの子供たちの保護施設、学校、女子用の宿舎などだ。
まずはオフィスに通していただき、お話をお聞きした後、寄付金をお渡しする。
以下、シスターたちにお聞きした話とそれに関連する話題、加えて施設内の写真を紹介する。なお、子供たちの写真は、プライヴァシーの尊重すべく、撮影が禁止されている。
DEENA SEVAでは、HIV陽性(ポジティヴ)の子供たち、乳児から17歳までの男女約100人が生活をしている。子供たちのほとんどが、身寄りのない「捨てられた子」だ。
彼らはここで暮らし、学び、成長する。外部の学校に通うことが困難なことから、この敷地内で教育を受けさせているのだ。
孤児たちを受け入れるアダプション・センターが、受け入れた子供たちの血液検査をし、HIV陽性の子供たちを、ここに届けるのだという。
HIV(Human Immunodeficiency Virus)。ヒト免疫不全ウイルス。
日本では「エイズ」と一括りで語られる場合が多いようだが、この疾患の有り様は少々複雑だ。
HIV陽性(ポジティヴ)というのは、HIVのウイルスに感染している人を示すが、感染していても症状が出ていない人と、発症している人とがある。
症状が出ていない前者を「HIV感染者」、症状が出ている後者を「エイズ (AIDS)患者」と表現するのが正確なようだ。
HIVは、血液、精液、膣分泌液、母乳といった体液が、相手の粘膜部分や傷口などに接触することで、感染する。感染経路は性行為、血液感染、母子感染などが挙げられる。
HIV感染者が治療を受けずにいると、免疫力が徐々に弱くなる。数年~10年を経て、健康な人であれば影響を受けない菌やウイルスで、疾病に罹患する。
その病気が、「エイズ指標疾患」 とされる病気にあてはまると、「エイズを発症した」、つまり「エイズ患者」 と診断されるという。
DEENA SEVAに暮らしているのは、母子感染したHIV陽性の子供たちであり、エイズ患者ではない。
HIV陽性の子供たちが、適切な治療を受け、少しでも免疫力を高めるような健康的な生活を送れるよう、ここではサポートしているのである。
この施設は、昨年他界したというMother Willigard(写真右上)によって、2000年に誕生した。
以来、HIV陽性の子供たちを受け入れており、今のところみながエイズを発症することなく、暮らしているそうだ。
驚いたのは、HIV陽性だった子供たちが、ここでの適切な暮らしを経て、HIV陰性になり、退園するケースがあるとのこと。
陽性が陰性になるとのことを知らなかったので、自宅に戻って調べてみたが、稀有なケースを除き、そのような報告が見当たらない。
シスターのいう陽性と陰性の定義が定かではないのだが、ともあれ、ここで体調をよくしてゆく子供たちが存在するのは確かのようだ。
データが公表された年にもよって異なるが、インドは世界で第2、あるいは第3番目にHIV感染者が多いらしい。
2001年末時点でのHIV感染者は400万人と推定され、南アフリカに次いで世界で2番目に高い数字だった。
HIV/AIDSチャリティの国際機関「AVERT」のサイトによると、2008年の集計では、240万人とのレポートもある。感染者が多いとはいえ、そもそもインド国民の人口が多いことから、重大事とはみなされていない傾向があるようだ。
なお、感染者が多い州として、ここカルナータカ州、アンドラプラデーシュ州、タミルナドゥ州、マハラシュトラ州、マニプール州、ナガランドが挙げられる。
シスター曰く、カルナータカ州に感染者が多い理由の一つとして、カルナータカ州北部にある鉱山の存在を指摘した。鉱山から物資を輸送するトラックの運転手が、HIVウイルスをあちこちの売春婦たちに広げているという。
違法鉱山の話題を先日紹介したが、鉱山の問題が、HIV感染にまで結びついているとは知らず、驚いた。
更には、「寺院」がHIV感染の源となっている事実にも驚かされた。
インドには古来から「デーヴァダーシーDevadasi 」(servant of god)と呼ばれる女性集団があり、「神への生け贄」として捧げられるという。
■デーヴァダーシー (←Click!)
特にここカルナータカ州やアンドラプラデーシュ州には、法律上禁止されているその伝統が、未だに残っているようだ。それがHIV感染者が多い理由のひとつでもあるらしい。
そもそもは、伝統舞踊である「バラタナーティヤム」や「オリッシー」の伝承者たち、つまりダンサーであった。
過去、彼女たちは、ダンサーであると同時に、寺院での売春を強要されてきたのだ。
そういえば以前、「神への生け贄」となる少女の運命を描いた映画を観たことがあった。あれはなんという映画だったろう。あまりにもむごい最後のシーンばかりが思い浮かぶ。
神、すなわち有力な僧侶たちへの捧げものされた少女は、集団強姦されているのと、何ら変わりない。あの映画のような事態が起こっているからこその、HIV感染者の拡散なのだろう。
シスターによれば、たとえば母親がHIV感染者だとしても、子供に感染しないよう防ぐ手だてはあるという。
たとえば出産時の血液感染を防ぐ、母乳を与えないなどすれば、感染しない子供もいるという。
また、妊娠時の投薬も功を奏するという。妊婦がもしも自身の感染に気づいていれば、子供に受け継ぐ悲劇が減るのであろうが、そのあたりの啓蒙も一筋縄ではいかないのだろう。
右上の救急車はOWCからの寄付だという。わたしたちがおさめる入会金や年会費、パーティの参加費の一部が、こうして役立てられている。
ちなみにAMBULANCE(救急車)の文字が鏡映しなのは、前を走っている車がバックミラーで即座に認識できるように、である。
施設内の子供たちには、9歳〜10歳に達したころ、HIVに関する教育をするという。なぜ自分たちが特殊な環境に在るのかを、疑問に思い始めると同時に、事実を受け止める素地が整うころ、がその年齢なのだろう。
なお、施設には専属のドクターが週に数回訪れるほか、複数の医院との連携があり、体調が悪くなった子供たちを手当するためのネットワークは確立されているようだ。
医療機関からは無償でサポートしてもらっているとのことだが、教師やドライヴァー、料理人、ケアヘルパーたちには給与を支払わねばならない。
彼らは、月収が4000ルピーから8000ルピーの低賃金のもと、就労しているようだ。
運営の費用は、すべて地域からの寄付で賄われている。
ここを訪れる人たちが、口コミで、支援を広げてくれるともいう。中でも外資系企業で言えば、IBM社が定期的に大きな支援をしているようである。
「限られた予算の中で運営するのはたいへんでしょう?」
と問えば、
「神とは、すばらしいものです。授けてくれますから」
と、シスターはやさしく微笑み、言うのである。
起床後、入浴のあと、礼拝。朝食の後、投薬され、マッサージセラピーを受ける。
その後、簡単に掃除をしたあとに学校へ行き、授業。ヨガ、礼拝もする。
ランチを挟んで、低学年の子供たちは昼寝。高学年の子供は授業。ダンスなどを学ぶこともある。
左のお兄さんはNokia Siemens Networksの写真。
教室で子供たちに算数を教えていた。
彼は会社からヴォランティアとして派遣され、週に数日、教えにきているという。
これもまた、受ける側にとっては偉大なるCSR(企業の社会的責任)の一例だろう。
いくつかの教室を巡り、元気いっぱい、笑顔の子供たちに接した。
年齢の割に小さく見える子供が多かったのは、やはりHIV感染も理由なのだろうか。
それでも、病気を抱えていない子供と変わらぬ様子で、学べる環境にある彼らは、決して不幸ではないと感じた。
たとえ広大な敷地とはいえ、外へあまり出られない暮らしは、不自由かもしれない。それでも数カ月に一度はピクニックなどで外へ出かけることもあるという。
訪れる前は、生まれながらにして、HIVに感染、さらには身寄りのない子供たちに対し、なんと気の毒なことだろう、との思いが強かった。
以前、ひとりで別のHIV保護施設へ寄付を届けに行った際、すでにエイズを発症して苦しむ人の様子などを目にしていたせいかもしれない。
だからこそ、今回はこの施設のために少しでも寄付ができたなら、と思ったのだが。
この園内に足を踏み入れ、シスターたちに出迎えられたときからすでに、ここに暮らせる子供たちは、幸運だったのだ、ということに気がついた。
それはもう、まさに「神のご加護」ということばに他ならない。
訪れるたびに、予測しなかった事実に直面する。
そして、こうして周囲と分かち合いたい、新しいことを学ぶ。
自分自身のためにも、意義深いことを行っているのだということを、あらためて痛感する。
これからも、地道に、少しずつ、続けていきたいと、思う。
■Infant Jesus Children's Home (←Click!)
■インド発 地域社会とのコミュニケーション (←Click!)